2016 再開祭 | 気魂合競・拾玖

 

 

甲高い指笛の音は、立つ鳥の残す鳴声にも似ている。
残した囀りが辺りに響く頃にはその影は既に空高くへ舞い上がり小さな点になっている。
春の野のそんな景色なら風情もあるが、この人だかりの中で聞くには注意を惹き過ぎる。

音に振り返ると奴は人々の頭の先で埋もれそうになりながら、大きく飛び跳ね両腕を振り回した。
気付いて足を止めた俺の許に人波を掻き分けながら近づくテマン、その横にはシウルとチホの姿。

ようやく声の届く距離で
「ここにいたのか、旦那」
「すれ違ったな。いったん酒楼に戻ってすぐ出て来たんだ」
「大護軍、分かりました」
人の多さの所為かこの暑さの所為か、奴らはそれぞれの額に汗を浮かべ口々に言った。

 

*****

 

「・・・ブフ」
「はい」
「何だそれは」
聞き慣れぬ言葉に眉を寄せる俺に、テマンが説明を添える。
「元の角力、みたいなもんです」

共に足早に戻る酒楼への途すがら。
通行人らも見物客らも並ぶ俺達に頭を下げ、互いに身を寄せ合いどうにか行く手を開ける。
その隙間を抜けながら、斜め後を急ぐテマンに問い返す。

「何故判った」
「大護軍、あの、実は」
奴らは顔を見合わせると、そのまま言い難そうに淀む。
刻を無駄にする気はないと眸で促すと、テマンではなくシウルが渋々声を続けた。

「ヒドヒョンがさっきぶっ倒した奴が、今酒楼に来てるんだ」

 

*****

戻った酒楼の東屋は、妙な静けさに満ちていた。

ヒドは腕を組み目を閉じ石段の柱に凭れている。
チュンソクとトクマンはそれぞれ敬姫様と侍女殿を守るようその脇に付いている。
叔母上は無言で全員の動きを俯瞰するよう、見通しの利く東屋の隅に立っている。
そしてタウンはコムと並んで、その叔母上の横に添うていた。

あの方とトギは東屋の中央の卓を占領し、その上にいつもの桃色の包みを開き、様々な治療道具を並べている。
そして恐らくトギが持参したのだろう薬草の籠が、その治療道具の脇に乗っている。

トギは今小さな乳白色の擂鉢で、何かを懸命に擂っていた。
そしてあの方は見知らぬ男の頭に当てた濡れ手拭いが落ちぬよう、小さな手で押さえている。
俺達四人の姿を見つけ、最初に動いたのはあの方だった。
「ヨンア、お帰り!」

男の手拭いを片手で支え立ち上がるともう片の手をひらひらと振り、屈託ない笑みで出迎えて下さる。
そして次に動いたのは意外な事に、頭に濡れ手拭いを当てたその見知らぬ男。
奴は無言で立ち上がると俺の顔を真直ぐ見据え、小さく頭を下げ、その後に何事かを言った。

何を言ったのか。到底言葉とは思えない、理解できぬその音色。
聞いた事があると思った。この耳には笛の音にしか聞こえぬ響き。

あの頃、元の草原で。大河に沿って兵を率い、馬を駆りながら。
あらゆる肌の色、あらゆる色彩の鎧、あらゆる形の武器を携えた兵と共に過ごした夜の野営地。

呉越同舟と最後に残したあの男の、風雅な簫の音が漂っていた。

揺れる焚火の影で、張った天幕の内で、互いの姿すら見失いそうな丈高い夏草の中で。
高麗と違う香りの風に乗って耳にしたその音。

托克托だ。
あの男らが話していた元の言葉と、それはとても似た響きだった。
托克托は高麗語が堪能だったが、どうやら目の前の男はそう器用には操れぬらしい。

頭の中で警笛が鳴る。先刻のテマンの指笛より大きく甲高く。

元の者。角力の上手。何故此処にいる。目的は何だ。
あの方がその正体も判らぬ奴の真横に立っている。
角力大会には不要だろうと、鬼剣を離れに置いたのが悔やまれる。

久々に憶える指先の痺れ。
これ程眩しい陽射しの許でなければ、飛び散る銀白の火花がもっとはっきりと見えたろう。
平たく深く息を整え、その簫の音のような言葉を無視し、相手の真直ぐな目を無表情に睨み据える。

相手の目に敵意は感じん。何か事を起こそうという不穏な空気も。
しかし元の者というだけで充分だ。

石段のヒド。
半歩後に控える若衆三人。
隅の叔母上。タウン。コム。
チュンソクとトクマンが両脇で守る二人の女人。

奴らはどうにか逃げおおせるかも知れん。
しかしあの方は余りに近過ぎる。そしてトギ。
どれ程男一人を狙い澄ましても、雷功を放ってその二人が無事で居られる自信がない。

気配にいち早く気付いたヒドが腕組みを解き閉じた眼を開くと、凭れた石柱から体を起こす。
その動きにつられるよう、半歩後のテマンが大きく二歩前に出る。
そして目前の男は俺と自身の間に立ち塞がったテマンに向け、再び何かを口にした。

それを聞いたテマンの背から、張り詰めていた糸のような緊張が緩む。

元の言葉を解す奴は一歩半前から俺に振り向くと、驚いたような眼で俺と男を交互に示して言った。

「て、大護軍。あなたがチェ・ヨンかって、聞いてます」

 

 

 

 

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3 件のコメント

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    ヨンにしたら
    元の人って分かっただけで
    警戒してしまうよね。
    ウンスの事もあるし…
    でも、案外良い人かもね(^^)

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    今晩は、凄いですねぇ。読んでる方が緊張します。私には難しい内容ですが。何度も読み返します。それでも難しいわ。悪い脳だから、入っていかないのよね。それでも何度も読み返します。水分補給しながら怪我無く過ごして下さい。

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