2016 再開祭 | 絹鳴・後篇

 

 

真冬の寝屋の寝台に、あの秋月の夜の戸惑った沈黙はない。
あるのはただ互いの暖かさ。
そして腕の中には、ようやくこの素肌に触れても叫ばずにいて下さるようになったこの方。
「イムジャ」

鼻先を擽る髪の中へと囁けば、その瞳が俺を見上げる。
「なぁに?」
「・・・敬姫様が」

どう切り出せば良いだろう。
敬姫様があなたと同じ衣裳を召されたいと。
けれど俺は、他の誰にも着て欲しく無いと。
この世で俺の為だけに着て下さった雪白の絹衣を他の誰が着る事も、その姿が誰の頭に残るのも厭だと。

下らん。判ってはいる。他の誰が着ようと深い意味など無い。
この方があの日、あの時に着て下さったから意味がある。
他の男の瞼にあの日の姿が残ろうと、俺の為に着て下さったあなたの姿が映っているだけだ。

判ってはいる。それでも。

「キョンヒ様?」
「はい」
「何かあったの?体調が悪いとか?!」
この方は慌てたように真剣な顔で、腕の中から身を起こす。
跳ねた掛布の隙間から入り込む冷たい空気。掛布をこの方へ巻き直し
「いえ、そうでは」

首を振る声に安堵したよう、小さな体が腕に戻る。
「ビックリした。ヨンアが珍しくキョンヒ様のこと言うから」

腕の中で心地良い処に納まり直し、細い両の腕が俺を抱き締める。
先刻入り込んだ冷たい空気は、双身の間で温まる。

「確かに」
俺が敬姫様の事に関わるなどまずない。この方が驚くのも当然だ。
「で?キョンヒ様がどうしたの?」
「あなたの婚礼衣裳と同じものを仕立てたいと」
「・・・え?」

予想外のあなたの尖った声に、俺の方が目を瞠る。
「それは、ちょっと困るかも・・・」
こんな些細な事、全く気にせぬと思っていたのに。

「あれは・・・絹を探すところからあなたとの思い出があるし。それにデザインもね?
あれでもいろいろ考えた、世界に一着きりのドレスだし・・・」
平然と笑うと思っていたこの方が、言いにくそうに渋る。
「だったら、キョンヒ様に似合うデザインを書いてあげるとかじゃダメなのかな?
どっちにしても私とキョンヒ様じゃあ年齢も体形も違うし。でも・・・」

そして迷うような瞳が、再びこの眸を見上げた。
「私達の時はあなたが全部許してくれたけど。この時代の典型的な結婚式ってあるんじゃない?着る衣裳とかだって。
まして王様の姪御さんなんだし、貴族のお姫様でしょ?
勝手に決めて、あなたが後で王様やキョンヒさまの御両親とのトラブルに巻き込まれたら、それが一番困るの」

・・・意外な程に考えて下さる。
それだけで俺は忽ち機嫌が直る。
「でも、気に入ったドレスで結婚式を挙げたいって思う気持ちもよく分かるし」
この方は悩ましそうに唸り、俺の胸に鼻先を擦り寄せた。

「だけど出来上がった後でやっぱりダメなんて言われて、仕立て直す時間が残ってなかったら最悪よね。
ウエディングドレスをいちから新しく仕立直しなんて、何だか縁起も悪いし・・・」

俺達が此処まで悩む事では無い。
俺もこの方も、あの雪白の衣裳は着て欲しくない。

確かに高麗の婚儀の衣裳とは言えない色と仕立て。
敬姫様は伝統に則った衣裳をお召しになるのが、最も当り障りがない。
「俺よりお断りします」

この話は此処で終いだ。
結んだ俺に向け、この方は両手をご自分の顎の前で合わせて見せた。
「断わる前に一度だけ、キョンヒ様に会ってお話しちゃダメ?」

ああ始まった。着て欲しくないとその口が言ったろう。
俺もそうだ。他の誰であれ、あの衣は着て欲しくない。
例え違う衣でも、同じものを着た女人を他の男が娶る。
その晴姿が他の男の瞼に残る。

それだけで眩暈がするほど腹が立つ。
まるであの日のあなたが盗まれるようで。
例え新しく仕立てた全く別の衣でも、同じ色同じ形は。

了見が狭いと笑われようと、心が狭いと罵られようと。
あの秋の日のあなたは俺だけのものだから。その総てが俺だけのものだから。
結い上げた髪も光る簪も、陽射しに透けた吉祥の花々も、白絹の衣も。
近くなるほど慾が出る。もっともっとと乞うている。

もっと近くに。もっと俺だけに。
その瞳に何も映さずに。その声を誰にも聞かせずに。
その総てが叶ったあの日の夜の、色も景も音も声も誰にも渡せない。

「これ以上何を」
「だってお断りするにしたって、こうしてちゃんと聞いて下さったし。私が行ってお断りするのが筋じゃない?」
「俺からチュンソクに」
「でもそうしたら、チュンソク隊長は花嫁さんの言うことも聞かない意地悪な人みたいになるじゃない。
チュンソク隊長は優しいから、キョンヒ様に伝えにくいかもしれないし。
それが理由でもしケンカになったら、チュンソク隊長も立つ瀬がないだろうし」

・・・チュンソクは、優しい。

その一言にまたざらりと神経を逆撫でされる。

「結婚前はただでさえイライラするし余計なケンカが増えるでしょ。周りが協力できるところはしないとね?だから」
「関わりない」
「はい?」
「俺は優しくない」
「・・・ねーぇ?」

驚いたか、呆れたのか。
この方は目を細め俺をじっと見た。
「優しくないなんて一言も言ってないでしょ。白い婚礼衣裳って言った時、碧瀾渡で一生懸命絹を探してくれたわよね?
あなたが優しいのは、誰より私がよく知ってるわ」

それでも本当の処は全く判っていない。
判っていれば俺の前で他の男を褒めるなどしない。
それとも俺が変わり者なのか。
他の男への褒め言葉に一々目くじらを立てるなど。まして相手はチュンソクだと言うのに。

「すぐ拗ねるんだから、うちの旦那様は」
あなたは俺の唇の両端を細い指で持ち上げる。
「ほら、笑って?」
言われて笑えるなら苦労はない。

指を振り切るよう寝返りを打つ。
背を向けた俺を後ろから抱き締め、あなたは小さく息を吐く。
背に当たるそれを感じても、どうしても振り向けない。

背を向けた視線の先の窓の外、夜の雪景をぼんやりと見る。
あなたは新雪を踏み締めてもきっと思い出さんに違いない。

俺だけだ。いつもこうして俺だけが思い出す。
雪を見るたび、踏むたびに。
背を向けたまま次に俺が息を吐けば、あなたの指が肩を擦る。

躊躇うのは決めるまで。一度決めれば迷わない。
だから俺には判らない。
着て欲しくないと言いながらこれ以上何を悩むのか。

あなたが何を言おうと、俺は優しくない。
あなただけが大切で、他の事などどうでも良い。
チュンソク達が揉めようと、奴の立つ瀬がなくなろうと、あなたがそれを気にする事に腹が立つ。
雪を踏む沓下で鳴る小さな音にあの日の雪白の衣を思い出すのが、俺だけなのが苛立たしい。

だから初雪の寝台の上、今宵だけは振り返れない。
振り返りその瞳を見てしまえば、どうせ許すと知っているから。

 

 

 

 

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