2016 再開祭 | 金蓮花・丗柒

 

 

お部屋の扉を開けて外に出る。その瞬間に私に向き合う王様のお顔。
お伝えするしかない。どんなに残酷でも、真実を。
「意識はあります。命に別状はありません」

その瞬間に浮かんだ王様の表情で、どれだけご安心されたか分かる。
それなのに言わなきゃいけない。
「でも、お腹のお子は助かりませんでした。お話を伺ったところ、薬を飲まされていて。
恐らく強力な睡眠薬だったと思います。それがお子に障って・・・」

王様からお返事が戻ることは、一度もなかった。
ただ王様はとても辛そうなお顔で、無言のまま目の前の私が出て来たばかりの扉を開くと、黙って中に入って行かれた。

確かに王妃様の命に別状はない。睡眠薬での薬害による完全流産。
それでもこれからが始まりなんだと思う。
あの若い王様と王妃様は、この心の傷をお二人で乗り越えて行かなきゃいけない。

王妃様の部屋の前、何とも言えない空気が流れる。
泣き声をこらえる王様のお付きの人、回廊に並んだまま複雑な表情を浮かべてる迂達赤のみんな。

私が逃げなければ、王様にも王妃様にもあんな顔させずに済んだの?
さっきの叔母様、今目の前で泣いているお付きの人、そして迂達赤のみんなにこんな顔させずに済んだ?

医者なんて無力。何度も何度もこういう瞬間にぶち当たるたび、とことん思い知らされる。
結局歴史通りになった。王妃様は今回、お子を産むことはなかった。
でも、だからって。

その瞬間。私の目の前が大きな壁でふさがれた。

泣いていた人も迂達赤のみんなの顔も、壁の向こうで全部見えなくなる。
大きな背中。そっと後ろ手に回された大きな手のひら。
その手が私の手をゆっくり確かめるように握り締めてくれる。
励ますみたいに。慰めるみたいに。大丈夫だって言うように。

深呼吸をして、そして目を閉じて。
あなたがいれば大丈夫。その背中がこの世で一番安全なシェルター。
目の前の大きな背にそっとおでこをつけて、私は大きく息を吐いた。

 

*****

 

王妃媽媽の手当てを終えたあの方が戻った典医寺。
様子を見たくて顔を出す。扉へ凭れ、窓からの陽の中の横顔を無言で見つめる。

霞むほどの遠くから、息の届くほどの近くから。
見る度に誓う。男として、己の成せる全てであなたを護る。

窓際に並ぶ薬皿を確かめていたあなたが、気配に顔を上げる。
「天人では無いと、重臣たちの前でおっしゃったとか」

疲れているか、それとも王妃媽媽の一件が堪えているか。
あなたから返る言葉にいつもの勢いはない。
「王様がおっしゃったのよ。どうして?」
「奇轍が、医仙に面会を求めております」

奴にしてみれば寝耳に水だろう。
天人と思って追い駆けて来たこの方が、今更違うと言われれば。
さぞ立腹しておろうあの男が、この方にどう出るか。
それに加えて、王様の自滅の策をしくじったあの鼠。
そしてこの方の処刑も、引き渡しも断られた断事官。
枚挙に暇が無い程だ。

「キチョルかぁ・・・困ったわね」
「これより出来る事は二つに一つです。一つ目。天門が開くまでの間、ひたすら死に物狂いで逃げる」
その言葉に促されるようあなたは窓際を離れ、部屋に据えた卓の椅子へと腰掛ける。
「この間みたいに刺客に追い駆けられて、戦って逃げての繰り返しになるの?」
「二つ目。先制攻撃です」

椅子へ腰掛けこの眸を見上げる瞳に頷き、此度は俺が卓へ寄る。
この方が厭う事は知っている。けれど伝えずこの先は遣り過ごせん。
「追手を仕掛ける奴らを先に消す」
「消すって、殺すの?」
「はい」
「冗談でしょ?」
「徳成府院君。徳興君。必要ならば元の使臣。
その為に先ず俺は迂達赤隊長も護軍の役も返上します。さもなくば王様にご迷惑が」

市井の民が奴らを弑すのと、王様の兵がするのは明らかに違う。
まずは全ての役を辞し、平民となってからだ。
その手順を伝えようとしたところで、
「じゃ、3番目にするわ」

思いもせんこの方の声に、思わず聞き返す。
「・・・何です」
「帰れるその日まで、高麗の中で一番安全な場所にいる」
「何処に」
「んー、でもまずはお許しをもらわなきゃね」

一体何を考えているんだ、あなたは。

卓向い、迷いのない瞳で俺を真直ぐ見つめ、優しい声がそう言った。

 

*****

 

「都巡慰使はお前が適任だ」

兵舎に酒を持ち込むのも法度なら、役目中に呑むのは尚更だ。
秋とは言えまだ陽は十分に高い刻。それでも呑まずにおられんか。

結局一時腰を据える羽目となった、迂達赤兵舎の私室の中。
斜向いに腰を降ろした禁軍鎧のアン・ジェは、体裁を整えるよう革袋に詰めた焼酎をぐいと煽った。
次にその革袋を俺へと投げて寄越しながら
「小競り合いどころではない。本格的な戦になりそうだからな」

酔いか、疲れか、この先の見通しの昏さか。
奴は何処か投げ遣りに言いながら、深い息を吐く。
「ああ」

その声に短く応ずる。
離れた四日でこれ程に状況が変わるとは思わなかった。
しかし王様が戦を決意された、そして遠因でもあの方の引き渡しも処刑も拒んだ事があるなら。
それでもこの心のまま、あの方を護り抜くなら。ならば俺の取るべき道は。

「お前、どうした」
投げ寄越された革袋の中身を続いて煽った俺に、アン・ジェが問う。
「何だ」
「全ての官職を捨てて、皇宮を去る気か。部下が皆心配してる」
「・・・そうか」
「女の事か」
「さあな」
「それとも」
アン・ジェは酒の勢いのまま其処まで言って、声を切った。

「剣が重くなったか」

その声に、逸らしていた眸を奴へ向け直す。
奴は視線を合わせずに、それを私室の天井へと彷徨わせる。思い出すように。

「赤月隊の師匠が亡くなる前の日に家に来て、親父と話し込んでいた」
「・・・師父が」
「その夜、何度もおっしゃっていた。剣が重い、両手でも持てぬ時があるとな」

師父。最後に見たあの姿。
忠恵に呼び出された控えの間の中、何も知らず騒ぐ俺達を尻目に、無言で鬼剣を握っていた。

師父が言った。剣が重い。その声の意味。
あの時あの掌に納まっていた鬼剣。
今横にある同じその剣を取り、この掌で確かめる。

剣が、重い。両手でも持てぬ時がある。

師父。それは。その言葉の意味は。

「それで、師父は何と」
「潮時が来たようだ。だから最後の舞台を探す、と」
「・・・何だと」
「確かにそうおっしゃった。そして翌日お前らと皇宮へ行かれて、最後にあんな風に亡くなられた。
悔しくてな。あれ程の方が、あんなつまらん王の手で」

忠恵の手に奪われた鬼剣。裸同然の下衣姿のメヒ。
忠恵とメヒの間に飛び込み、その体であの汚い男に奪われた鬼剣の刃を受けた隊長。

ヨンア、お前が家族を守れ。

最期の息の下で赤い涙と共に託された、遺された隊長の声。

守る為に。遺された家族を。迂達赤では歴代の王を。
守れと言われても守る方法を、俺は一つしか知らなかった。

「何年になる。いつから人を斬って来た」
アン・ジェの声を遠く聞く。考えたくも答えたくもない。
「さあな」
「家を出たのが十六だったよな。ざっと十と三年、四年か・・・その間、何人を斬った」

それ以上の答の返らぬ事は承知か。アン・ジェは酔った腰を上げ、ふらりと部屋を出て行った。
最後の声だけを投げかけて。

「それで、お前も剣が重くなったか」;

護る為。その為にあの方が最も厭う方法しか知らん。
人の命を救うあの方を護る為、俺は命を奪い続ける。

手にした鬼剣を鞘から抜き、眸の前に翳した刀身を確かめる。

今、俺も重いか。両手ですら持てん程に。

あの方をこれ程護りたい。そして護る方法は一つしか知らぬのに。

 

 

 

 

2 件のコメント

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    色々考えて 自分を責めてしまわないよう
    泣き顔を見られないよう
    ヨンの背中、大きな掌は
    とてもとても 大きく暖かい
    人を斬る意味って… 何だろう
    生きるって 何だろう
    段々 考えていくうちに
    心は重く 剣は重く…
    ウンスは 強いね
    逃げない 生きる! 

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    ヨンが、ウンスを思って背中に隠して手を握ったシーン♡
    すごくすごくすごく、胸キュンです(//∇//)
    ヨンが素敵すぎます♡
    王様、王妃さまの悲しいところなんですが
    ヨンだけをみてるわたしには、怒られちゃうかもしれませんが、大好きなシーンなんです♡

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