2016 再開祭 | 貴音 ~ 留守居・拾(終)

 

 

秋の夜の東屋に抜ける風。
心地良さ気に目を細め、ヒドが掌の中の盃を干す。

「冷えて来たな」
「寝ろよ」

酒を控える師叔の前で二人で飲み交わすわけにもいかん。
師叔が床に就き、寝静まるまで待っていたのだろう。
ヒドは遠慮なく杯を重ねつつ、声音一つ乱す事は無い。
「お前が父か」
「ああ」
「信じられんな」

何が可笑しいか低く笑いながら、眸の前でまた盃が空になる。
「何か喰えよ、ヒョン」
「嬉しい酒に肴は要らん。悪酔いが無いからな」

首を振るとヒドが手酌で杯を満たそうと上げた酒瓶を奪い、その杯を半ばまで満たす。
「俺が父ならヒドは伯父だ。何方も信じられん」
「・・・まあな」

頷くと満たされた杯を己の鼻先へ持ち上げる。

その刹那、俺は腰を上げヒドが杯を卓へ置く。

同じ声が聞こえた筈だ。
言葉を交わす事も無いままそれぞれ椅子を蹴り、俺達は無言で離れへ足音も無く駆けた。

その戸を音を立てずに開く。
暗がりを怖がる吾子の為、部屋内には柔らかく細めた油灯が揺れている。
そして叔母上がまだぐっすりと眠り込む寝台。
吾子だけが目を開き、戸を開けた俺の顔を確かめるように見た。

「あぱ」

横たわったまま伸ばされた腕。
そのまま気配を殺し寝台上の吾子を腕の中に抱き締める。

そのまま静かに扉を締め直し、離れをそっと後にする。

「おま」

吾子の目があの方を探すよう、夜中の真暗な酒楼の庭を見渡す。
だから戻ると言ったんだ。慣れぬ場所で目を醒ませば大人とて驚く。
まして幼い吾子では、不安に思って当然だ。
「おま」
「すぐ戻る」

あの暖かい部屋の中から秋の寒空へ攫われ、風邪などひかぬか。
不安で上衣の袷を大きく開き、己の胸と上衣の間に吾子を挟む。

吾子はこの心の音を確かめるよう胸の肌へ耳をぺたりとつける。
それでも気に入らぬのか頭を振ると、この肌から耳が離れる。
「おまー」

呼ぶ声が大きくなる。
いつもならこの首にしがみ付く柔らかい腕は、あの方を探すように庭の暗闇へ伸ばされる。
「おまーー」

明日逢えると判っているのに、子が母を探す声は何故これ程悲しいのだろう。
ヒドも何も出来ず言えず、困り果てたように眉を顰めて立ち尽くす。
「おまーー」

白銀の月の下、あの方とそっくりな白い頬にほろほろと涙が落ちる。
「おまーーっ」

ついに声を上げこの腕の中、吾子が叫んで泣き出した。
「おまーー!!おんまーーー!!」

ああん、ああんと大きな泣き声の合間。
あの方を呼ぶ声に叔母上が、音を立て離れの扉から飛び出した。
「どうした」
「恋しいのだろう」

どうしてやりようも無い。今からでは駆ける馬も無い。
迂達赤の厩舎へ馬を借り受けに行っても、吾子を連れ寒空に碧瀾渡まで駆ける訳にはいかん。
ヒドと叔母上と三人揃って成す術も無く、悲しい声を聞くしかない。

おんまーー

おんまーー

夜の中、胸に抱く吾子が叫び疲れ泣き疲れ、草臥れ果ててまた眠りに落ちるまで。

 

*****

 

「困らせちゃった?寝られなかったの?」
「あぱ」

昨日の悲しい声など嘘のようだった。
あれ程逢いたがったこの方の腕の中、身を捩ると吾子が俺へ腕を伸ばす。
「あぱー」
「本当に大好きなのねー。オンマはあなたと再会の感激シーンを夢に見て、急いで帰って来たのに」

昨日のあの姿を、あの叫び声を知らぬからそうおっしゃるのだ。
この方がつまらなそうに、俺に抱かれたがる吾子を危なかしく揺すり上げる。

世は全て事も無し。
少なくともこの方が無事に戻り、吾子はこうして笑っている。
それさえあれば他には何も要らん。

この方が俺の前でこうして笑っていれば。
あの悲しい声で吾子が泣く事が無ければ。

俺ももう少し幼く素直なら。
昨夜の吾子のよう夜の中、この方を探して泣いたかも知れん。

イムジャ、イムジャと呼びながら。

ただ逢えたから、もう良い。他の事など、全てどうでも良い。

吾子を腕に納めたこの方に一歩寄り、その耳元へ低く囁く。
間違っても周囲の手裏房たちには聞こえぬように。
「逢いたかった」

近付いた俺の顔に、嬉しそうに吾子が手を伸ばす。
そしてこの胸には小さな体が凭れかかる。
あなたのその重み、抱かれた吾子の重み。
二人分の嬉しい重みを一身で受け止める。

柔らかな長い髪、花の香を感じるのも久々な気がする。一夜離れただけなのに。

「あっぱー」
腕を伸ばした吾子を抱き直し、この方が鳶色の瞳で吾子を見詰めて首を振る。
「ダメ!アッパはオンマのものだから、あなたにも譲れない!」
吾子は言われて怒ったように、この方をじっと睨んで首を振る。
「あんで!」

・・・台無しだ。皆の目前、聞こえぬように漸く囁いた言葉まで。
「帰る」

其処に集う家族が皆それぞれに呆れ顔で首を振る中で告げる。

帰る。帰って慣れた宅で、吾子を寝かしつけねばならん。
昨夜あれ程遅くまで泣いていた。もう一眠り足らんだろう。

吾子が眠っているその間は、この方は俺だけのものになる。
吾子のよう素直に、どれ程淋しかったか伝えるのも大切だ。
帰ろう、俺達の宅に。
吾子を迎えて家族になっても、俺は男としてこれ程あなたが恋しいから。

「おいおい、この勢いで二人目の孫も見せてくれるのか」
師叔が嬉し気に顔を綻ばせる。
「それもいいねえ!どうせ産むなら年が近いと楽だよ、天女」
マンボがしたり顔で言って頷く。
「そしたら俺が一人、お前が一人で面倒見れるな」
シウルがチホと目を交わす。
「ヨンア、午後に拝謁だけはせよ」
叔母上が忘れるなとばかりに釘を刺す。

二人など考えられん。この方と吾子で手一杯だ。
今ですら吾子を背に縛らねば、鬼剣を振る手が空かんのに。
今はこれ以上の重みは負えん。ただこの方に伝えたい。

離れる度に思い知る。逢いたかった、淋しかった、恋しかった。
何にも代え難い命より大切な宝を授かっても。
そしてこうして父になっても、あなたを想う別の気持ちがある。

この留守居は吾子を育て、俺の心も育てたらしい。
「ほざけ」

勝手な奴らの揶揄い声に吐き捨て、俺は荷を取りに離れへと踏み込んだ。

 

 

【2016 再開祭 | 貴音 ~ 留守居 ~ Fin~ 】

 

 

 

 

8 件のコメント

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    あらら オンマこいし 泣いちゃったんだ
    困ったな、参ったなぁ…
    やはり オンマがいいのか。(•́ε•̀;ก)
    ウンスが 無事戻れば 今度は
    アッパー!
    吾子vs.アッパー または オンマ…
    しあわせな戦いだね。
    そんな ものよね (๑⊙ლ⊙)ぷ
    父も 母も 子も もう 離れられない存在
    だものー。 しあわせね。
    憎くてたまらない人が増えるより
    愛しくて、 恋しくて、 大事な人が
    増える方が いいじゃな~い。
    ヨンたちが しあわせそうで
    まわりのみんなも しあわせになるのよ。
    わたしもね(๑´ლ`๑)フフ♡

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    さらんさま
    お忙しいなか、お話upありがとうございました。
    ニヤニヤが止まらず、家人に不気味がられておりました❤
    このシリーズのヨンもまた、とてもイイd(≧∀≦)b
    可愛らしくてたまらん感じです❤
    も~、映像が浮かんで浮かんで・・・最高でした‼
    寒暖の差が増す今日この頃。
    風邪など召されませんよう、ご自愛ください。

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    ウンス、お帰りなさい!
    赤ちゃんは勿論だけれど、ヨンも、ウンスを心配して待っていましたよ。
    無事に行けたか、ご飯を食べたか、眠れたか…
    そして、離れていた一晩で、改めて想いを強くしたようです。
    「逢いたかった…」
    ヨンからウンスにかけた本音。
    逢いたかった…
    淋しかった…
    恋しかった…
    伯父さんヒドも、ありがとう!
    この後ヨンは、ウンスを独り占めしたいみたい

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    おはようございます。
    お休み前に更新して下さり、ありがとう
    ございます。
    吾子のお話が大好きです。
    また読みたいです。
    何か嫌な事でもあったのかと心配
    ですが、リフレッシュして帰ってきて
    下さるのを楽しみにしています。

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    さらん様
    いや~、ヨン頑張りましたね。(ヒドヒョンも♪)
    遊び相手に、昼餉に、湯浴みに、襁褓替えに、お昼寝、夕餉まで。
    そして最難関の夜泣き。
    母親を求めて夜泣きする子供になす術はありませぬ~。
    父親としてのヨン、男としてのヨン。
    ウンスがいなくて寂しいのは吾子だけじゃなく。
    だけど、アッパはがんばらねば(汗)
    ヨンに「逢いたかった、淋しかった、恋しかった」なんて囁かれたら撃沈しそうです。
    お疲れ様でしたm(__)m
    ゆっくり休んでくださいね。

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    ヨンとヒドの振り回されっぷりが微笑しいです(^-^)
    昼間は良くてもやっぱり夜はオンマなんですよね~~
    オンマ恋しさに泣いてる声が切ないです(ToT)
    それを知らないウンス、ヨンを取り合うやりとりには、大人げないぞ、と思わず 笑
    でもそこがウンスなんですよね♪
    さらん様、落ち着かれましたら、またお話の再開待ってます(^-^)

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