2016 再開祭 | 天界顛末記・柒

 

 

「ナウリ」
「ええい、煩い!」

拳を握り怒鳴り散らすと、良師は蒼白な顔で身を引いて頭を下げる。
天門から出て以来、怯えた犬のように私の名を呼び背後をついて来る男が邪魔で仕方ない。

天門は考えていたものとは全く違った。あんな穴だったとは。
しかし門とはくぐるもの、何処かへ続く道、その考えは正しかった。

あの天門は私がくぐるべきものだった。私は天界へ来るべきだった。
此処は私の求めた世界、全てを手に入れられる世だったのだ。

今まで見た事も無い、明るい灯の下で足を止める。
何故こうも光に溢れておるのか。そしてその灯は野外でありながら何故全く揺れぬのか。
風で消える心配のないあの灯を手に入れたい。どうすれば手に入る。
「良師、腹が減った」
「は?」
「夕餉を用意しろ」
「・・・はあ、何処で・・・」
「そんな下賤な事は、お前が手配すべきだろう!!」

大勢の民が行き交う道の真中で叱り飛ばすと、良師は背を丸め慌てた様子で目を逸らす。
使えぬ。全く使えぬではないか。
高麗でどれ程有能であろうとも、この天界で私の手足となれぬならば足手纏いなだけだ。

今の私の見たい物、知りたい物、聞くべき物、手に入れるべき物、揃えるのがこの男の役目。
それだけを愚直に熟しておれば良いものを、それさえ出来ぬのでは側に置く意味も無い。

「この天界で初めての夕餐だ。最も天界らしき料理を用意せよ」
「そんな」
「何だ!」
「初めて訪れた天界で、最も天界らしきものとおっしゃられても」
「道行く民に尋ねるなり、店の者に尋ねるなり、幾らでも手立てはあろう!」
「は、はい」

良師は縺れる足で必死に近くの店らしき所へ駆け込んで行く。
何故この徳成府院君奇轍が、此処まで教えねばならぬのだ。
「ナ、ナウリ!」

駆け込んだはずの良師の余りにも早い呼び声に振り向けば、喜色満面で店から必死に手招きをする。
手招くなぞ何を考えておるのか。つまらぬものを見せられれば氷功で息の根を止めてやる。
通りを横切り、表の通りより一層眩しい店内へと足を踏み込む。
「私を呼びつけて、只で済むと」
「ご覧ください、ナウリ!」

この声も聞こえぬか、良師は店の中の景色を指差した。
「今まで見た事もなき食事です!!」
指の示す先、みすぼらしい狭い卓に腰掛けた者どもが口に運ぶのは、確かに見た事もない食物。
そして振り向けば、出入口の前の長卓から戸惑い顔で私達を見る女が、慌てて顔を背ける。

女の頭上には茶色い饅頭を横に割り何か挟んだような絵が、所狭しと掲げられている。
どれほど優れた絵師が筆を取ろうと、高麗であれ程鮮やかな絵を描く事は出来ぬだろう。
見れば見るほど、まるで本物ではないか。
絵に添えられたあの記号は、華侘の天の書簡に書かれていたものとそっくり同じだ。

医仙に訊いておくのだった。死ぬまででも問い詰め、口を割らせておくべきだった。
こうして眺めて何を書かれているのか読めぬのでは、どうしようもないではないか。

「この私に、饅頭を喰わせるつもりか」
「し、しかし珍しいものを御所望と」
「珍しいではない!最も天界らしきものと言っただろう!」
「明日には調べて必ずや。今宵はご辛抱ください、ナウリ」
「ふん!」

鼻息も荒くみすぼらしい卓に据えた小さく固い椅子に腰掛ける。
その途端、店にいた男が慌てたように私に向かって駆けて来た。
成程、給仕はこの男かと顎を上げその姿を眺めると
「お客さん、注文前に座らないで」

男は私の視線よりも尚冷たい目で私を見下ろし、吐き捨てるように言った。
「注文」
「そうですよ、うちは貸スペースじゃないんだから。お客さんいい年して、ハンバーガー屋のマナーも知らないの」
「無礼者!!」

脇の良師が叫び、男の胸倉を掴む。
「この方をどなたと心得ておる!徳成府院君奇轍殿であるぞ」
「離しなさい!」

胸倉を掴んだ手を振り払うと、その男は良師を突き飛ばす。
「店に飛び込んで騒いだ挙句に暴力か?警察を呼びますよ!」
突き飛ばされた良師は紅潮した顔で、懐に震える手を差し入れる。
「馬鹿者が!こんな処で毒など使うな!」

この近さで毒粉を撒かれ、万一私に被害が及べばどうするのだ。
叫んだ私の声に、固唾を飲んで成り行きを見守っていた店内が騒然とし始める。

「ど、毒?」
「あのオヤジ、毒って言ったのか?」
私の声に店の中は、水を打ったように冷たく静まり返った。
次の瞬間立ち上がる客、店内に溢れる悲鳴、狭い出入り口へ殺到する足音が入り乱れる中。
「あ、待ちなさい!」

これはまずい。察知した私は裳裾を翻し人波を突き飛ばし、誰より先に扉を駆け抜ける。
良師は私に従い同じように走りながら、後から大声で叫ぶ男を置き去りに、扉外へ飛び出す。
「お前は何処まで愚かなのだ!」
「申し訳ありませんナウリ、しかし」
「もう良い!!言い訳など聞きたくもない!!」

叫びつつ通りを駆け抜ける。あの騒ぎからなるべく離れる為に。
厄介事に巻き込まれるなど真平だ。私の足を止める者は、誰であれ決して許さぬ。
見るべき物、知るべき事、これから欲する全てを手に入れる為に
「良師」

行き交う民草の多さに思うように足が進まず、苛立つ気分で呼べば
「はい、ナウリ」
相変わらず怯えるように、脇から弱々しい声が返る。

「何処に居を構えるのだ」
「・・・はい?」
「これから私は天界に居るのだぞ。屋根も無い処に寝るのか」
「それは・・・」
「一刻も早く手に入れねばならぬ。我らの新たな拠点を」

周囲の者共が私の大声に、怪訝な目を投げ通り過ぎて行く。
見ておれ。今にこの誰もが目の前で平身低頭、額を爪先に擦るような立場に立ってやる。
高麗のように。王ですら、そして元の皇帝ですら軽んじられぬような立場に舞い戻る。

人を支配するには恐怖、そして金。方法はよく知っている。
しかしまずは
「何でも良い、何か食べねばならぬ」

私の声に良師は己の腹を押さえ、無言のまま深く頷いた。

 

 

 

 

1 個のコメント

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    (ノДT) かわいそうな ヤンサ(ちょっと同情)
    いいわよね 主人は 威張ってればいいんだもん
    ヤンサだって 天界のこと何も しらないのに~
    侍医とチュンソク組に比べたら
    大苦戦中 どうなる事やら
    散々な目にあって 天界なんかコリゴリに
    なれば いいかもね ( ´艸`)

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