2016 再開祭 | 金蓮花・拾陸

 

 

扉の影から外の斬り合いを覗いてたことは、バレてないはず。
でもこれだけ勘の良い人だから、やっぱりどこか心配になる。

あなたの世界。 皇宮も高麗って国も、私の中では理解できない。
生き馬の目を抜くような整形外科業界で、モンスターペイシェント相手に毒舌を振るってきた私でも、やっぱり理解は出来ない。

ましてヒポクラテスの誓いを立てた医者としての私には。
「ねえ」
床の上で体を起こすと、瞳を閉じたままのあなたに声を掛ける。
「何です」

そこから床をハイハイしながら、壁にもたれてるあなたに近寄って行く。
あなたは閉じていた目を開けて、床を這う私を不思議そうに見る。
「何をしているのです」
「隣に行ってもいい?」
「・・・はい」

頷くとわざわざ立ち上がって、ゴザの上に置きっぱなしだった私の荷物を指先でひょいと取り上げる。
それを床に置いて、もう一度その横に座り直してくれる。

離れずにそこに座り直してくれるだけで嬉しい。
ハイハイの姿勢で同じ目の高さから、その瞳を真っすぐに見る。

何も話してくれなくても。その上着からどれだけ血の匂いがしても。
医者としては失格なのは、自分が一番分かってる。
でも私には外で斬られた人の傷より、今のあなたの心の方がずっと大切。

だからその横に、わざとぴったりくっついて座る。
ねえ、チェ・ヨン将軍。 あなたが生きてる世界は私には分からない。
分かってるのは、ただあなたが心から大切ってことだけ。

好きで斬ってるわけじゃないって知ってる。
さっきだって言ったでしょ。剣が迷ってる。体たらくだって。

人を斬る事は、やっぱり今でも許せないと思う。
斬らなきゃ生きて行けない世界も理解できない。

でも、じゃあ斬るのを止めたらどうなるの?
止めた時は、あなたが斬られるってこと。

何も知らずに、未来の歴史を押し付けた。
あなたは将軍になるって、何度も言った。
じゃああなたが有名な将軍になるには?

威化島回軍が起きた70歳過ぎまで生きたチェ・ヨン将軍。
紅巾族の鎮圧、倭寇を追い払った功績、元に奪われた当時の北の領地をいくつも取り返してるはず。
国史に全く興味のない私ですら、授業で習った大きい戦争をこれだけ知ってる。
それを生き抜いたんだから、敵をそれだけ斬って来たってことよね。

剣が迷ってるって言った、それを私に伝えたあなたの心。
許せないけど、理解できないけど、それでもあなたが剣を止めたら。

斬れないまま武士を続けたら待ってるのは負け、つまり死だってことは私にも分かる。
そんなあなたを責めるなんて絶対できない。どんなに医者としての倫理に悖るとしても。

ねえ、ウンス。自分の倫理観だけが絶対に正義?
授業で習った自分の知識だけがいつだって正確?

じゃああの時、笑って思い出を話してくれたテマンくんは?
1人で山の中で生きて来たあの子は、単なる虐待の被害者?

あの日心配そうに送り出してくれた手裏房のお姐さんは?
裏の世界で生きて情報を売買してる、極悪非道な犯罪者?

高麗の将軍になるこの人が代わりに払う犠牲と心の痛みは?
歴史には必ず光と影があるのに、光だけを見てれば良いの?

帰れれば血液検査1回、血清注射1本。治るのは分かってる。
死にたい?ノー、死にたくない。

でもここで生きて行くこの人は?
返り血を染み込ませた上着で、横の私を気にしてるこの人は?

昨日、そして今日。
長い人生で二日間しか心のままに生きられなかったこの人は?
心を殺して人を斬ってきて、今迷ってるって言ったこの人は?

ねえ、どうしよう。ウンス。考えて。あなたはどうしたいの?

少なくとも今夜だけは。
黙ったままであなたに伝えるしかない。静かに目を閉じて。

気にしない。少なくても帰るまで私はずっと一緒にいたい。
上着から血の匂いがするのは、絶対あなたのせいじゃない。

この時代で生きてくあなたの匂い。それでもどうしてもあなたに生きててほしい。
それが理由であなたから目を逸らして逃げるなんて絶対しない。
慶昌君媽媽の時みたいに傷つけるなんて、もう絶対に出来ない。

黙ってその肩に寄りかかって、声が届く事を祈って。

 

*****

 

「そんなに嫌がらないでよー!」

右に避ければその右に。左へ避ければその左に。
周囲を跳ね廻る兎のよう、あなたがこの眸を覗き、明るい声で叫ぶ。

「馬の乗り方とか短剣の使い方とか教えてくれたから、そのお礼がしたいだけなのよ」

声を返さぬ俺に諦める事なく、纏わりつくあなたが言った。
丸二日険しい道を歩いた挙句に人相書きを廻され、碌に眠れもせずにいたとは信じられん。
その勢いを見ただけなら、未だ休息には早そうだ。

「結構です」
短く断れば業を煮やしたか、小さな手が実力行使に打って出る。
「ちゃんと聞いてってば!」

秋風に靡く上衣の腰辺りを思い切り引張られ、足を止めざるを得ん。
乱れた上衣と腰帯を整えれば、止めた歩みを了承の証と取ったか。
俺に向き合うこの方が、秋の林の立木の中で真面目腐った顔で言う。

「名付けて天の呪文、天界の魔法の呪文よ?しっかり覚えて、ちゃんと唱えてね?」

ご自分より余程高い処にあるこの肩に、爪先立ったあなたの小さな両掌が乗る。
「迂達赤のみんなにも伝えてね?」
「前置きは結構です」
「うん、わかった。じゃあまず、拳を握って?」

あなたは俺に向き合い、肩から降ろした小さな拳を御自身の顔横で握る。

周囲の木々の紅い葉。向き合うこの方の陽に透ける紅い髪。
その中で明るい鳶色の瞳が輝いて、この眸をじっと見上げる。

「やってみて?」

何がしたいのか。
その瞳を見詰めるだけの俺を気にも留めぬのか、それとも聞いていると思っているのか。
あなたは小さく息を吸うと、握った小さな拳に力を籠めた。

「アジャ!」
「・・・・・・・・・・・・」

あ、じゃ?

返す声すら失って、俺は紅い光の中のこの方を無言で見つめた。

 

 

 

 

2 件のコメント

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    生きていく為に…
    やりたくないことでも やらなきゃならない。
    スケールが違う。
    ヨンだって 鬼神だなんだ 言われるけど
    ほんとは 優しい人じゃない
    生きていく為に
    こころを押さえつけてるだけ
    ウンスに 出会って ほんとの自分が
    見え隠れ 迷いもでちゃう。
    ウンスの存在が 救い。
    ウンスの気持ちが こもってるもの♥

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    あの夜、ヨンとウンスがどう過ごしたのか、すごく知りたかった。
    同じ空き家で、二人だけで夜を過ごす。
    ウンスは、ヨンのために、いっぱい、たくさん、悩むほど、自分が辛いほど…、心で理解してあげ、愛しんであげていたのね。
    人を助ける医者と、敵を斬らないと自分が死ぬ武士。
    互いを理解するのは難しい立場の二人だけれど、
    それでも、理不尽な話だけれど、そうしないと生きて行くことができない高麗の時代…の、高麗武士ヨン。
    あの夜が、心に沁みます…

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