2016 再開祭 | 佳節・伍

 

 

「大護軍」

雨除け外套の頭巾を外しつつ駆け込んで来たテマンが、懐から文を差し出した。

「トギから預かってきました」
「わざわざすまん」
文を指先に、中をこの眸で確かめる。

「それで・・・」

テマンは訳が判らん風に、文を読む俺に声を続ける。
「全部そろえるなら、松嶽山の満月台の峠が、一番近いって。
満月台って、あの満月台ですか」

奴の声を聞きながら目を通し終え、壁に掛けた外套を片手で毟る。
煽って羽織りつつもう片手で鬼剣の柄を握り
「ああ」

頷いて足早に部屋を出る背に従き、テマンは小走りに階を駆け下りる。
「お俺も行きます」
「いや、他に頼みがある」
「はい」

振り向かず伝えた声に奴は大きく頷いた。
何れこの雨だ。一斉に室内の鍛錬場を使うのは無理だろう。
「チュンソク」

階下の吹抜けで張った声に、奥の私室からチュンソクが飛び出してくる。
「はい、大護軍」
「鍛錬の順を決めろ。全員は無理だ」
「は」
「新入りからだ」
「は」
「暫し出て来る。二刻で戻る」
「鍛錬でしたら、俺とトクマンとで」
「お前は今夜の歩哨があるだろ」

足を止めずに外への扉へ向かう俺の脇、チュンソクが渋い顔で頷く。
「まず休め。テマナ」
「はい大護軍!」
「手裏房の処へ行って、頼んだ荷を取って来てくれ。俺の物と言えばマンボが判る」
「はい!」
「取って来たら、新入りに手縛の鍛錬をつけろ」
「はい!」

開け放った扉の外は煙るような白雨。
全く今年はよく降ると、其処から灰色の空を仰ぎ見る。
己が濡れるのは構わん。ただ濡れてしまっては困るものもある。

首廻りに垂れる外套の頭巾を引き上げると、目許まで深く被り直して雨の中へ飛び出す。

白雨に打たれる俺の背に、扉内から二人が頭を下げた。

 

*****

 

「大護軍様、ですか」
松嶽山の南麓。
満月台の脇の官舎の門をくぐった俺に、中の男が驚き顔で深く頭を下げる。

頭から濡れた頭巾を下ろし、それに目礼で応えつつ
「庭を借りたい」

そう言った俺に、男はどうにか頷き返した。

満月台の立つ書雲観の庭、初夏の花々が雨に打たれて揺れている。
「夏至の件ですか」

問われて思い出す。そうだ、今日は夏至日だった。
「いや、関係無い」
男は安堵したように、大きく頷いてやっと深い息をした。

「どうぞお好きなところをお使い下さい。我々にお手伝い出来る事はございませんか」

その庭を打つ雨脚の下を歩みつつ、突然の闖入者にも厭な顔一つ見せずに笑む男。
「いや」
「まさかこちらに、大護軍がおいで頂けるとは」
「突然済まん」
「とんでもない!」

男は驚いた様に、大声を上げて頭を振った。
「皇宮から離れておりますので、なかなか直々に御目にかかれず。
いつもお噂だけ耳にしておりました」

改めて俺に深く頭を下げると、男は嬉しそうに名乗った。
「書雲観官吏、姜保と申します」
「・・・待て」

聞き覚えのある名に雨の中で足を止め、横に立つ男の顔を改める。
「授時暦捷法立成を記したか」
「お恥ずかしい」
男は否定する事なく、鼻の頭を搔いた。

「大護軍様にお読み頂いていたなど、夢にも思わず」
「戦時の空見に役立っている」
戦の勝機は空模様にも左右される。幾度も眼を通したその書の筆者は忘れようもない。

「観雲に涯はありません。これからも研究を続けて参ります。
新しいものが出来れば、随時王様のお手元へ運んでおります」
「頼む」
「こうしてここで我らが空や星月を眺められるのも、大護軍様が守って下さるお蔭です」
「馬鹿を言うな」
「本当です。どの者も皆等しく感謝しております。まさか直接こうしてお伝えできる機会に恵まれるとは思いませんでしたが」
「お前も月星や陽を読んでいる。俺より強大な者を相手に」

雨の中を歩みつつ、空を見上げる。
雨が多ければ読めぬ、少なすぎればいつ降るとせっつかれる書雲観の役目は、決して楽なものでは無かろう。
陽や月の昇降、疫病、飢饉、事の吉祥までその読みに懸かっている。

「一つ聞いても良いか」
「勿論です、大護軍様」
「明日」
「はい」
「晴れるか」

姜保は空を見上げ、その顔に雨を受けた。
目を細め、この眸に映しようもない何かを探すように雲の流れを見る。
そしてこの耳には届かぬ風の音を聴くように耳を傾け。

暫しそうしてじっとしていてから顔を戻す。
目に流れ込んだ雨を払うよう幾度も瞬きを繰り返して、男は満面の笑みを浮かべた。

「今年は荒梅雨ですから、明けるまでにあと二十日はかかります。
但し五風十雨の諺通り、荒梅雨でも毎日雨が降る訳ではないのです」

声に無言で頷く俺の顔を見て
「申庚の刻以降にして下さい」
「・・・随分細かいな。申の刻では無くか」
男は満足げに頷き返し、自信あり気に請け負った。

「その頃から小降りになった雨が、完全に上がるまで半刻かかるかと。
僭越ながら大護軍様を拝見する限り、とても大切な御用のようです。
万一にも雨で流れるような事があっては申し訳ないので」

空を相手にする者には、地に居る者の顔色を見通すなど易いか。
心裡の空模様を見透かされ、濡れた外套の頭巾を引き摺り上げる。

今一度それを目深に被り直し、俺はその目からこの顔ごと背けた。

「ところで大護軍様、書雲観の庭に御用とは」
「・・・花が欲しい」

顔を背けたまま呟くと男は再び雨の中、不思議そうに首を傾げた。

 

 

 

 

2 件のコメント

  • SECRET: 0
    PASS:
    ヨンのウンスが喜ぶ贈り物❤
    何となく分かったような…
    違うなかなぁ?
    ウンスの贈り物は未だに
    ???の私です(^-^;
    ウンスさん~甘いの苦手なヨン。
    甘さ控えめケーキでお願いしますね(笑)

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です