「逃げるつもりなんてないんです。でも、私行かないと」
ひとまず頭は冷えたみたいだったから、捻挫した足首を濡らしたハンカチで冷やしながら、目の前の男性に聞いてみる。
転ばせた挙句、熱まで出したのかもしれない。脈はまだ読んでないから、何とも言えないけど。
そこから空を見上げても、雨が降りそうな気配は全然ない。透き通るみたいな一面の薄いブルー。
そよそよ吹いてる風には私の鈍い鼻でもはっきり分かるくらい、5月の花の香りがした。
高麗に来てから分かるようになった。こんな空の色、風の吹く日に雨は降ったりしない。
外で待つにも暑すぎないし寒すぎない。むしろ気持ちいいと思う。
真っ赤な顔で、捻挫を冷やすために運んだ桶に頭まで突っ込んだ、まだ若い男性患者。
若様って呼ばれてるし、着てる服も見るからに上等。
お付きの人が西京では有名な貴族だって言ってるくらいだから、そうなんだろうし。
どこでどうつながったかで、私の事故が巡り巡ってあの人に迷惑が掛かるのは絶対にイヤだもの。
テギョンさん自身は良い人そうだし・・・まあ、かなり変わってるけど。
でもその周辺人物まで、全員が良い人かどうかは分からない。
あの人がこの事故で後になって責められたり、余計なトラブルに巻き込むのは絶対に避けたいわ。
「本当に、ごめんなさい。捻挫の治療をしたいので、ここか・・・どこか別の場所で待っててもらえませんか、えーと・・・テギョンさん?」
尋ねた私に、さっきテギョンと名乗った彼は勢い良く頭を振った。
「良いんです!本当に、本当にもうこれで充分で」
そう言いかけてくれた彼の横、そして私の横。
睨みあう2人の男性が、お互い叫ぶように私たちを見た。
「若様!」
「医仙!」
同時に叫んだ後に、また彼らだけで睨みあう。
「きちんと責任を取ってもらいましょう。大切な若様を突き飛ばして怪我まで負わせたんですから」
テギョンさんのお付きの人はさも不満そうに言って、突き飛ばした私じゃなく、トクマン君を睨んだ。
そしてトクマン君はテギョンさんでなく、そんなお付きの人を睨み返すと
「医仙はこうしてきちんと治療したでしょう。これ以上一体何をするんですか」
さも嫌そうに、きつい口調で吐き捨てる
テギョンさんは本気で怒ったみたいに
「いい加減にしてくれよ、ソンヨプ。こうして冷やして下さっただろう。これ以上失礼を言うなら、お前は西京に帰れ!」
って強い声で、お付きの人を叱る。
そして私はトクマン君をなだめる為に
「でもね、捻挫はクセになりやすいの。この後ちゃんと固定して湿布薬も渡したいから。迂達赤でもそうしてるでしょ?」
って、分かりやすく説明してみる。
叱られたお付きの人と説明を受けたトクマン君はお互い渋々頷いてもう一度、また無言でギリギリと睨みあう。
でももうこれ以上、ここで時間は使えない。少なくともテギョンさんとのディールは成立、と見ていいわよね?
私は立ち上がって、勢いよく頭を下げる。
「絶対すぐ戻ってきます。逃げたりしません。さっきトク・・・この男性が言った通り、私、皇宮の医者です。
皇宮の門で医仙、って言ってくれれば絶対分かりますから。だからいったん用を済ませて戻って来ていいですか?」
「もちろんです、逃げるなどと思っていません。でも本当にもう」
テギョンさんはほんとに良い人みたいだった。
そこまで言ってまた真っ赤になった顔で、ブンブン音がするくらいに大きく頭を振る。
その拍子に、まだ濡れてる髪から盛大に水しぶきが飛び散った。
素直で無邪気な様子が何だか、濡れた仔犬みたいで。
「私の気が済みません。転ばせて冷やしただけなんて。せめて、固定と湿布はさせて下さい。戻って来たら。でも今は」
「では・・・お言葉に甘えます。ここでお待ちしています。どうぞお行き下さい」
これ以上お互い譲り合えば、ムダな時間になるって分かってくれたんだろう。
見た目は私より若そうだけど、シッカリしてるし機転も利くし、お付きの人の無礼はちゃんとたしなめてる。
「ありがとうございます!すぐ戻って来ます」
私の声にギョッとしたように、トクマン君が慌てて大声を上げる。
「医仙!そんな、大護軍に伺わずに決めちゃ」
「分かった、あの人には後でちゃんと聞くから。まずはすぐ薬房に行きましょ」
まだ文句を言い足りなさそうなトクマン君を急かして、私は最後に
「戻って来ますから、この辺りにいて下さいね!」
そう言って、マンボ姐さんの薬房に向かって走り出す。
「あ、う、医仙!待って下さいってば!」
大声で叫んで、後ろから走り出すトクマン君をそこに置き去りに。
*****
「・・・台風のような女人でしたね・・・」
ぐったりとした声でソンヨプが言うと、疲れ果てた様子で俺の隣に座り込む。
「良い人だなぁ」
通りの向こう、人波に紛れてすぐに小さくなる白い衣の背。
でもあの伴の男の大きな背と目立つ鎧姿で、まだどの辺りにいらっしゃるかが判る。
後姿を見送りながら、半ば夢見心地で俺はもう一度言った。
「素敵な人だなぁ」
なんて良い方だろう。もとはと言えば人の往来の激しい通りにぼさっと突立っていた俺のせいなのに。
あんな小さい方が軽くぶつかったくらいで、受け止めるどころか無様によろめいた俺が情けないのに。
あんなに美しい方は、やっぱりその心映えも同じだけ美しいのか。
魂を抜かれたような俺のぼんやりした声に、ソンヨプがこの目前に手の平を差し出し、左右へ振った。
「若様、本当に大丈夫ですか。いきなり水に頭を突っ込むし」
「・・・うん、大丈夫だ。だから手を」
手を退けてくれ。あの人の姿が完全に見えなくなってしまうまで。
思いながら俺の視線はまだどうにか見える白い衣を、ずっと追いかけていた。

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嵐を呼ぶ女人…
雷を伴う嵐になりませんよう…って
なります。ならないことを祈ります
(。>ㅅ<。)
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こんにちは、又増えたかな。ウンスを、想う人が ?ヨンが、知ったら。どうなるのやら。トクマン君が、叱られるのかな?お気の毒ですね。いつもいつもトクマン君が、犠牲に成る。
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ソンヨプさん。
ご主人思いだけど…
嫌い!(ミアネヨ)(^^;
ウンス後で来るって?
まさかヨンと一緒に……
大嵐の予感がしますf(^_^;