2016 再開祭 | 閨秀・玖

 

 

「今日はお前らか」

昨夜お寝みになったのが遅かったのか。いまだ階上に人の気配はない。
隊長の気配がないのはいつもの事だが、医仙の気配は隠しようもない。
起きていらっしゃれば洗面だ何だと、隊長と共に動き回る。
まるで親鳥から逸れまいと雛鳥が鳴きながら従うように。

その声が響き始めるまでの吹抜は、気が抜ける程静まり返っている。
立っているトクマンとチョモに声を掛けると、奴らが振り返り頭を下げた。
「お早うございます、副隊長」
「お早うございます」

挨拶の後、二人もそれぞれ視線を上げて階上の回廊を眺める。
「まだ隊長も、医仙も」
「昨夜は鍛錬の後に
お出掛けだったようだ。このまま待っていろ」
「はい」
「くれぐれも、上まで忍んで行って様子を見ようとなどするなよ」
「・・・はあ」

チョモはともかく、トクマンはそのつもりだったのかも知れん。
露骨に気落ちした表情に
「トクマン、お前絶対に階を上がるなよ!」

吹抜けの片隅を指して制止すると、トクマンは額を突き合せるよう俺の方へと顔を寄せて来た。
「でも副隊長、気になりませんか」
「何が」
「俺達の隊長が、どんな風に医仙と過ごしていらっしゃるのか」
「俺達が考える事ではない」
「それはそうなんですが、あの口数少ない隊長ですよ。言葉が足りずに、医仙に何か誤解でもされたらと思うと・・・」

どうやら好奇心と心配とが半々らしい。トクマンは不安そうに言って再び階上を見上げた。
「あの部屋でお二人きりっていうのも気掛かりです。あの寝太郎の隊長が寝台を独り占めして、医仙を椅子ででも寝かせてたら」
「まさか、それはなかろう」
「でも兵站でも、予備の布団を運んだ記録はないと」
「そんな事まで確かめたのか」
「そりゃそうですよ。医仙を安全に守るなら健康だって大切です」
「・・・まあ、そうだが」

布団を運ばせねばならん。そう考えつつ俺も階下から上を見上げる。
確かに気にならんと言えば嘘だ。
俺の上階への出入りは特に禁じられてはおらんが、かといって用もないのに覗く訳にはいかん。
兵らを止めておきながら、副隊長である俺がそんな事を。
「このまま王様の歩哨につく。隊長への用の時は、必ずテマンを通せ。良いな」
「はい!」
「お気をつけて、副隊長」

戻ったら兵站に伝え、隊長の部屋へ予備の布団を運ばせねばならん。
そう考えつつ康安殿へ向かおうと、俺は足早に兵舎の扉を抜け出た。

 

*****

 

王様への拝謁に訪れた、早朝の康安殿。
廊下の左右に控えた奴らの浮かれた空気が気に障る。

王様の御部屋を守る自覚があるのか無いのか。
通り過ぎた俺を目で追いながら、嬉し気な視線が背に当たる。
振り返れば其処に立つのは姿勢を正し正面を向き、整列した隊員たちの姿。
怒鳴る事も出来ずに再び背を向ければ、漣のような騒めきが再び背から寄せて来る。

「王様。チェ・ヨン参りました」
「入りなさい」
王様の御声と共に開かれた扉内。

王様からは、一体どんな御言葉があるのか。
これ以上揶揄い言葉を浴びせられれば、黙るわけにはいかん。
肚を据え開いた扉内へ踏み込む。
「お呼びですか」
「掛けよ」

既に人払いされたか、チュンソクと内官長だけが控える御部屋内。
人気も疎らな殿内で王様は卓の玉座に座られ、入室した俺を出迎えた。
「戻る気はないのか」

王様の御言葉の意味は分かる。
俺は未だに迂達赤隊長も護軍も返上したままになっている。

それでも場合によっては斬る事になる。
あの方に毒を盛った徳興君。あの方を追い回す奇轍。
あの方の処刑を望む断事官。相手がたとえ誰であれ。
王様の兵に戻って斬る訳にはいかん。そんな事になれば迷惑は王様に及ぶ事になる。

惑いが返答の声を鈍らせる。
無言の俺の心裡を読むように、王様は小さな御声で続けた。
「最初は医仙に国医大使の役を考えたのだ。高い位につければその分安全と思うてな。
しかし医仙が、迂達赤へ行くとおっしゃった」
「は」
「それでそなたをこうして皇宮へ留められた。正式に戻らぬか」
「先に決着をつけます」
「徳興君か」
「王妃媽媽の件があります」

頑迷な俺の返答に、王様が静かな息を吐かれる。
奴だけは決して赦す事は無い。
天地が返ろうと、西から陽が昇ろうと、絶対に。

医仙であるあの方に毒を盛り、与えた心と体の傷。
王妃媽媽を手に掛けた上、御世継の御子を死なせた罪。
王族だろうが言い逃れをしようが、赦されるものでは無い。
「医仙の解毒薬が必要だろう」
「斬るお許しを」
「断事官が庇護しておる」
「公にし辛ければ、某が内密に」
「・・・王命にて罰そう」

此処まで来てもだ。
俺は心のままに動く事ができる。
こうしている間にも毒の回るあの方の味わっている恐ろしさ。
その欠片でも味わわせ、猫が鼠を甚振るようにじわじわと責め殺してやりたい。

同じ敵を相手にしながら、心から大切な者を奪われ手に掛けられておきながら。
それでも御心のままに動けぬ王様。
背負うものの大きさ重さの違い。俺と王様の違いは其処だ。

だから直ぐには頷けん。
迂達赤隊長でも護軍でもない俺は此処で席を蹴り、あの男を襲いに行ける。
強引に攫って縛り上げ、地獄の責め苦を味わわせる事も出来ないではない。
総ての後先を考えずに済むのなら。

だからあの方は俺の許へいらした。
俺が憎しみの業火の中、道を踏み外す事の無いように。
臣として王様を守るように、後悔する事の無いように。

それでも、イムジャ。

高麗武者として、あなたを護りたい男として、決して赦せぬ事がある。
だから王様に即答が出来ない。答が決まっていたとしても。
答を導く為に、あなたが命を賭して戻って来て下さっても。

 

 

 

 

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