2016 再開祭 | 天界顛末記・卌(終)

 

 

余りと言えば余りな扱いに、逆に副隊長が慌てたようにソナ殿の声を窘める。
「ソナ殿、隊長は決してそんな方では」
「だけど・・・チェ・ヨンさん、ちょっと怖すぎます」

ソナ殿は声を重ねれば重ねる程に、深みに嵌ってしまわれるようだ。
隊長は副隊長を睨むと
「チュンソク」
と、臍を曲げたように呼んだ。
「は」
「留守中、どんな話をした」
「それは・・・」

言い淀む副隊長に向けて、尚も隊長は不機嫌に重ねる。
「俺への愚痴に花が咲いたか」
「隊長、まさかそのような!」

その声にようやくソナ殿が笑い出す。
副隊長は困り果てた様子で、そんなソナ殿に首を振る。
明日は離れる筈の、明日の夜は別々の夜空の下に居られる筈のお二人が、今までで一番近く見える。
そしてその近く結ばれた魂の縁は、もう二度と離れない気がする。

項垂れた副隊長と呆れ顔の隊長を見比べて笑う私に気付いて、近付いて来たソナ殿が目の前で頭を下げた。
「ビンお兄さん」
「はい、ソナ殿」
「お元気で。ずーっとずーっと、お元気で。また会いたいです」
「・・・はい。いつかまた、必ず」

姿がどれ程変わろうと。形がどれ程変わろうと。
人波の中で偶さか出逢う。何かの糸に導かれるように。
そして他人のままで擦れ違うことなく言葉を交わす。
それこそが輪廻転生の意味なのかもしれない。

良縁であれ因縁であれ、縁である事には変わりない。
意味があるから出逢うのだろう。そしてその先幾度でも。

「私はずーっと元気です。熱も出さない。だからもう心配しないで」
瞳にいっぱいの涙を溜めて、ソナ殿が笑う。
「そうして下さい」
「じゃあみんなで一緒にご飯を食べましょう!」

元気良く響くソナ殿の声に、私達はそれぞれ頷いた。

 

*****

 

その時に隊長と副隊長が大層お気に召された結束ばんどを、まさかこのように使うとは。
さすがの徳成府院君も自身の腕の自由を奪う硬い紐が、隊長副隊長の背負う荷を結いているのと同じ物とは思いもよらぬだろう。
広義で言えば徳成府院君も供も、厄介な荷である事は違いない。
荷を結ぶ紐一つとっても、天界の物は大層便利だった。

そのままソナ殿の操る馬の無い馬車に奇轍たちを詰め込み、ソナ殿が御者台代わりの丸い輪を据えた席から後ろを振り返る。
「あ、あの・・・このまま空港まで?ですか?」
「いえ」

隊長が首を振り、副隊長が慌てて声を添える。
「申し訳ありません、ソナ殿、奉恩寺へ」
「奉恩寺?観光・・・じゃないですよね」

両腕を縛り上げられた徳成府院君たちの姿にソナ殿は首を傾げる。
「ええ。奉恩寺まで」
副隊長はそう言うと、後ろの席からソナ殿を真直ぐに見た。

 

見上げるような銀色の高い箱の前。
河のように流れる馬車の群れから外れた一尾の魚のように、ソナ殿の繰る馬車が停まる。
そのすぐ真横の堂々たる寺門。掲げられた扁額の奉恩寺の文字。

「ここ一時停止だけなんです。すぐパーキングに停めて来ますから」
「ソナ殿」
副隊長の目が少しだけ苦し気に笑むと逆側の扉横の隊長を確かめ、続いて御二人の間に挟んだ徳成府院君と供を確かめる。
「此処で」
「え?」
「此処までで」
「だって」

その声に頷くと隊長が馬車の扉を開けて行き交う人の流れの中、徳成府院君を引き摺るように降ろす。
続いて私がソナ殿の横から馬車を降り、懐から鉄扇を取り出しつつ供の男の腕を固く握る。

副隊長が最後に車内で頭を下げると、その開いた扉から滑り降りた。
ソナ殿が後を追うようにして続いて慌てて降りると、馬車の鼻先を大きく回り、歩き出した私達に叫ぶ。

「ビンお兄さん!」

私が振り向くと、もう既にそれぞれを隔てる人波の向こうに立つ白い外套の姿は遠くなりかけている。

「また会おうね!!」

小さな姿が精一杯の爪先立ちで、此方に向けて大きく手を振る。

「チェ・ヨンさん!」

続くソナ殿の声に、隊長が奇轍の腕を掴んだまま振り返る。

「いっぱい笑って!!」

頷くように小さく頭を下げると、隊長は前を見据えて歩き出す。

雑踏の騒めき。川のように流れ過ぎる馬の無い馬車の列。
こんな時も天界は聞き慣れない音に溢れている。
別れの悲しみを少しだけ和らげんとするように。

「・・・チュンソク」

雑踏の中、最後に響く声に、私の足も隊長の歩みも止まる。

「チュンソク」

私達の半歩後、副隊長が静かに振り返る。

「チュンソク・・・!」

私達は振り返らない。帰らねばならない。待つ方がいる。成さねばならぬ事がある。
たとえどれ程呼ばれようとも。流れる人波に逆らって、もう一度駆け付けたくとも。

きっと副隊長は微笑んでいる。
白い外套の両腕を振り続けるソナ殿が泣きながら微笑むように。

人波を隔てたソナ殿へ深く頭を下げると、副隊長は顔を上げ踵を返し、私達の後をもう一度歩き出す。
二度と振り返る事なく。

弥勒菩薩の白い像へと歩みつつ、隊長が静かに声を掛ける。
「徳成府院君ナウリ」
「・・・何だ、迂達赤」

その余りに疲れ切った六日ぶりの声。
「御同行頂けるお礼に、耳寄りな報せを一つ」
「だから何なのだ!勿体ぶりおって!」
「天門は必ずしも高麗に繋がるとは限りませぬ」
「・・・何だと」
「某が天門の中でついうっかり」

そう言った隊長は敢えて、徳成府院君の腕を掴む力を緩めてみせる。

「腕を離してしまえば、辿り着く地は別々かも知れませぬ」
その声に慄くよう、供の男が縋るように私の握る腕を確かめる。

「お望みであれば、今この場で」
「そんなわけには行かぬ!私は必ず高麗へ戻らねばならぬのだ!」

何処にそれ程の力が残っていたか、徳成府院君が恥も外聞もなく雪の残る境内で叫ぶ。

「それであればどうぞ大人しく、このまま皇宮まで御同行下さい」
「・・・・・・」
「典医寺に押し入った罪、医仙を脅かした罪。王様の御前にてお認め下さい」
「・・・医仙にお会いしたいのだ」
「赦されませぬ」
「罪を認めれば、医仙と話す機会をくれるか」

隊長はそれきり徳成府院君への返答はされず、無言で首を振ると
「副隊長」
半歩後ろの副隊長を呼ばれた。

「戻れば暫し慌ただしい」
「は」
「良いんだな」
「は!」

歩き続ける境内の先。目の前に開けた雪の広場。あの夜、徳成府院君を取り逃がした弥勒菩薩の前。
此度の全てが此処から始まった。
そして戻る。己の居場所へ。
待つ方の許へ、成すべき事を成しに。

目前の光は辿り着いた時よりずっと白く強く、台座の中の渦は大きく私達を呼ぶように揺れている。
徳成府院君の腕を引いたまま隊長がゆっくりと台座への石段を上る。続いて私が供の男を引く。

副隊長が息を小さく吐くと、最後にその段を迷いなく上がる。
そして一度だけ、雲まで届くような白い弥勒菩薩像を見上げた。
副隊長が再び天門に向き合うまで、隊長は声も掛けず真直ぐに石の台座を見つめ続ける。
そして副隊長の上げていた顔が戻る。それを眸で確かめ
「・・・御覚悟下さい、徳成府院君ナウリ」

隊長が呟くと共に、私達は一歩踏み出し白い光の中へ溶けた。

 

 

【 2016 再開祭 | 天界顛末記 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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