2016 再開祭 | 桃李成蹊・25

 

 

こんな事を繰り返すと身代わりを引き受ける前に知っていたなら、決して応じる事は無かった。
余りに忙しなく刻が過ぎる。足を止め周囲を見渡す暇さえ無い。
鉄の鳥からようやく出れば滑る廊下を促され、その突き当りに待つ黒い馬車へと連れ込まれる。
窓外は夜なのか、それとも窓が黒いだけか、確かめる事も無いまままた旅籠に押し込められる。

窓は厳重に幾重にも分厚い布で覆われ、ほんの僅かの隙間すら無い。
唯一の救いはその分厚い布さえ開かぬ限り続き扉からあの方が入って来るのを許される、それだけだ。

これで終わる。俺はこれで終えられる。
眩暈のするようなこの身代わりの猿芝居も、帰れば全て終いだ。
天門が開こうが開くまいが奴の腕さえ治れば続ける意味は無い。

ふと思い立ち寝台の頭脇のすいっちで、部屋中の灯を全て消す。

立ち上がって窓際まで進み、窓を遮る分厚い布に半ば身を隠し、指先で重い布の端を捲り上げる。

其処から眸だけで表の気配を探る。

どうやら夜らしい。そして海が近い。重い布の向こう、空気の中に潮の香がする。

深閑とした闇。誰かが其処から此方を見張る気配も無い。
息を吐き、捲った布をもう一度確りと重ねて閉じ直す。

真暗な部屋の中、灯は点けず寝台へと戻る。

こんな事ばかりしていれば心も凍りそうだ。
疲弊し、擦り減り、抜け殻になる気がする。

景色を見る暇も、見た景色を語り合う者もなく、分厚い布の此方から隠れて夜を見つめるしかない。
出歩く度歓声を浴びせられても移る季節を味わう間もなく、帰る場所さえ判らぬまま流されて行く。

奴の家を出る前に再び預けた指の金の輪。それが指に無いだけで心許ない。
心をざらりと逆撫でるのは、己の苛立ちか奴の虚しさか。

あの方と己とを隔てる扉は開かない。

こんな夜こそ顔を見たい。黙ったままで抱き締めたいのに。

 

*****

 

明るい陽射しの中、大きな声が広い石段中に響き渡る。

「1、2、3、そこで止める。右、左、もう一度右、ここまで。で、蹴り。ここが一番怖いからな。右の後、ひと呼吸置こう」

これがあくしょんというものか。

石段の二、三段下から男たちが一人ずつ順にゆっくり腕を伸ばす。
それぞれこの胸倉を掴み殴りかかるような仕草をして見せる。
一様に纏う、眸が痛くなるような柄物の薄衣。油を塗りつけた髪。
何の冗談かと吹き出したくなるような代物だ。

その薄物では急所を庇うべくも無い。
そんなに余分な布があれば其処を掴んで引き摺り倒される。

そもそも敵三人を一人で相手する者が開けた石段になど上がるか。
相手をするなら一本道。
突き当りまで誘い込み左右から襲われぬよう壁を背に、前から来る者一人ずつ片付けるのが定石だろうに。

詰めの甘さに呆れつつ、一先ずあくしょん監督と名乗った男の声の通りに動いてみる。

男たちが順に伸ばす腕を順番に更にゆったり払い躱し捻り上げ。
一拍置いてそのまま軸足に重心を掛け、もう片足を振り上げる。

欠伸が出る程長閑な景色。
戦場で対する敵がこうして予め動きを教えれば、鬼剣どころか蹴りすらも要らん。
この腕一本で勝てる。
真白い石段の上で敵と思しき相手と動きを合わせつつ、横の監督を振り返る。
その男は満足げに頷き、足元の白い石段を確かめるよう目を落とす。

「階段の幅が思ったより狭いな。気を付けろ、踏み外すなよ」

その声に目前の男たちがそれぞれ頷く。奴らの派手な薄衣が風を受け、大きくはためいた。

 

「最終リハ行きまーす!」
「ミノ、足元な!蹴りの時は軸足、絶対ずらすなよ!」
「カメラスタンバイ!」

石段の上、己のすぐ足元まで敷かれた黒い線。
その上に据えられたかめらが滑るように動き出す。

「3!」

三、二、一。奴の身代わりを始めてからその声を幾度聞いたろう。
いつの間にか己の頭の中でも数えられるようになった。

「2、1!」

同時に石段の上で振り返る。
予め決められた敵の動き。伸ばされる腕。払い、躱し、捻り上げ。
そしてそのまま軸足に重心を掛け
「おい!」
「ミンホ!?」
「ミノ、早いって!!」
「ヨ!」

咄嗟に出たのだろう。
監督やすたっふの息を呑む気配の中、確かにこの名を叫ぼうとするあの方の小さな鋭い声がする。
勢い良く振り上げた片足を敵、いや相手の鼻先でぴたりと止める。
その男は己の鼻の寸前で止まったこの足裏を凝視している。

「カット!カーット!!」

監督が怒鳴り声をあげ、丸めて握り込む本を頭上で振り回す。
「ミノ、何考えてるんだよ!一歩間違えたらお前もスタントマンも大怪我だろうが!!」
慌てたようにあくしょん監督の男が石段下から駆け上がって来る。

「あの蹴りでは、蠅が止まりそうだ・・・よ」
「だからってこの幅だぞ!これ以上早くしたら重心がずれて足元が危ない!」

石段の俺の真横で止まった男は、その沓で足元の石段を踏み付ける。
「問題無い、ってば。絶対ずれない」
「アクションに絶対はないって、いつも言ってるだろ!」
「ある」
「勘弁してくれよ。お前がここでコケたら本当にシャレにならない」
「他の動きは我慢する。蹴りだけは遅すぎる」
「分かったよ。でも良いか、絶対無理するなよ?俺は言ったからな。無理だと思ったら途中からでも最初の速度に戻せよ?」
「はい」
「スタント、速度合わせて」
「はい!」

男は諦めたように石段を戻り、監督に何かを告げている。
一悶着の様子を石段上から眺めれば、最後に監督が本を握る手を挙げ、それを俺に振って見せる。
「一回だけだぞ?無理だと思ったらすぐ元に戻すからな?!」

無理と思えば最初から挑むか。

呆れる肚裡を読まれぬように奴の無邪気な笑顔を作り、石段上から下に居並ぶ男らに向け、俺は手を振り返した。

 

 

 

 

2 件のコメント

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    こんばんは。
    これから始まるドラマ、さらんさんが描かれているように、本当にヨンが演じているかも、となんだかドキドキします(≧∇≦)

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