2016 再開祭 | 貴音 ~ 夢・柒

 

 

「おお、来られたのですか!」
「久し振りだ!!」
「ふざけるな、お前は先月御邸に伺ってるだろう」
「ひと月も離れたら久し振りだろうが!」

蜂の巣突いたような騒ぎの中。
迂達赤兵舎への道を歩く吾子は、勝手知ったる顔に行き合う度抱き上げられ撫でられ笑っている。

「大護軍!」
表の騒々しさに兵舎を飛び出し此方へ駆けて来る男に気付き
「チュンソクおじちゃん!!」
吾子はその影に向けて叫ぶと一目散に走り出す。

「ああ、俺が行きますから!そこでお待ちに」
「おじちゃーん!」
そう言って走り出した吾子は小石の目立つ土の面に足を取られて、そのまま前へ派手につんのめる。
その体の下へ腕を差入れ、地面へ顔を打ち付ける寸前に掬い上げる。

「待てと言われたろう」
本人も驚いたのか、肩を引き起こされて無言で頷く。
「年長の者の言葉は聞け」
「はい」

そうして素直に頷くところが俺のあの方とは違う。
柔らかな髪を撫でて頷く俺達の許へと駆け寄ったチュンソクは
「大護軍、昨夜戻られたばかりなのでは」

息を切らせてそう言うと、横の吾子を見て目を細めた。
「お元気でしたか」
「うん!」
「良かった。御父上と久々に会えて嬉しいでしょう」
「うん!!」

唯でさえ優しい男の目が、糸のように細まった。
チュンソクは心から嬉し気に頷き返すと、ようやく俺へと向き合う。
その目はもう笑ってはいない。

吾子に掛けた声とは全く違う低い声で、チュンソクは俺へ問うた。
「都巡慰使達と軍議だったと、トクマンから報告を受けています」
「ああ」
「その件でわざわざ、皇宮に御出でになったのですか」
「まあな」
「何か問題でも」

チュンソクの深刻な気配を察したか。
少し離れてしゃがみ込み、夏の白い地面に列を成す蟻を見詰める吾子を確かめチュンソクへ眸を戻す。

「大したことは無い」
「倭寇ですか、済州ですか」
「牧子が厄介なのはいつもの事だ」
「また何か、裏で企んでおりますか」
「確証は無い」
「しかし信用も置けぬ者たちです。何しろ開京から離れている。おまけに離島ですから」
「確かにな」
「まさか大護軍自ら、乗り込んだりされないでしょうね」

流石に付き合いが長いだけのことはある。
的確に肚を読んだ声に曖昧に頷き、言葉を濁す。
「今は何とも言えん」
「大護軍、それは無謀すぎます」
「王様にご相談申し上げる。一存では動けん」
「動けんのですか、動かんのですか」
「しつこい」
「心配なだけです。もうお一人ではないのですよ」
「説教爺か」
「大護軍、俺は」
「判ってる」

あの方がいる。吾子もいる。
絶対に護らねばならぬ、どうしても護りたい者たちがいる。

「決まれば伝える」
「大護軍、他にも行ける者は居ります。大護軍が直々に行かずとも」
「離れ小島で逃げ場も無い」
「それは大護軍でも同じでしょう」
「海戦には慣れている」
「だからと言って大護軍の顔は相手にも知れ過ぎています。密偵として潜りこむのは無理です」
「その時は正面からだ」
「そこまで切羽詰まっておりますか」
「まずは相手の腹を探る」

チュンソクは大きく息を吐くと、困り果てたように俺を見た。
「俺でもアン・ジェ殿でも、手裏房でも。
相手方に顔の知れていない者は山ほどおります。まずはお願いですから」
「その時は頼む」

互いに判ってはいる。俺がこいつにそんな事を頼むわけがない事を。
それでも今はまだ決まらぬ事をあれやこれやと杞憂しても仕方無い。
「ひとまずは終わった。王様へのご報告は日を改める」
「は」
「迂達赤の方はどうだ」
「変わりありません。大護軍の御留守中、王様の周囲も穏やかに」
「そうか」
「何の心配もありません。ですからせめて明日から一両日は休みを」
「・・・ああ」

留守中にあの方に心労を掛けた分まで、暫く子守は俺の出番。
蟻と戯れている筈の吾子を振り返った途端。

確かに先刻其処にしゃがみ込んでいた小さな影がない事に、己の眸が信じられずに瞬きをする。

「吾子は」
「つい其処に」

チュンソクも同じ場所を見つめ、続いて俺を振り返る。
「兵舎内です。御子の足では、そう遠くへは」

頷いて開けた周囲を素早く見渡しても、その何処にも気配がない。
鍛錬場への道、兵舎への道、裏の隊舎へ続く脇道、武器庫への道。
「探します」

顔色を変え短く言ったチュンソクが懐から警笛を取り出し、鋭い息を短く吹き込む。
集合の警笛に兵舎の彼方此方から三々五々飛び出した人影が、一斉に此方へ向けて走り寄った。

「大護軍のご息女が消えた。遠くへは行っていない筈だ。探せ!」
「はい!」

チュンソクの荒い語調に迂達赤が一斉に深く頷く。
「甲、兵舎南を」
「は!!」

甲組頭が振り向くと、後ろへ控えた甲組の兵へ顎先で兵舎側を示す。
「行くぞ!」
その声に組頭を先頭に兵達が走り出す。

「乙、北を」
「はい!!」
兵舎の中央から門へと戻るその道を指し示すチュンソクに頷くと、
「急げ!」
乙組頭が叫び、隊を率いて駆けて行く。

「丙、西へ」
「判りました!」
兵舎西、武器庫への道を示された丙組頭が
「武器庫周辺は危険も多い、細道奥まで絶対に見逃すな!!」
そう言って先頭に立ち駆け出した背を、丙組たちがぴたりと追う。

「大護軍、俺達は鍛錬場側へ」
「まずこの庭周辺を探せ。見当たらん時は鍛錬場への道を」
チュンソクとテマンそして丁組頭のトクマンらを残し、止められぬ足が鍛錬場へ続く東の道目指して駆け出す。

兵舎への道は直線。その奥まで行くには一人にした刻が短過ぎる。
比べて鍛錬場への道は途中でうねり、その先には今は濃い緑の葉を抱く櫻の木々が並んでいる。

吾子が誘われるとすれば此方の道の可能性が最も高い。
その勘だけをただ信じて。

 

 

 

 

3 件のコメント

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    チュンソクおじさんですかぁ~(笑)
    小石に躓くのは、ウンスに似たんでしょうね(^-^;
    とうとう迷子になっちゃいましたね。
    目を離した大人が、めっですよ!
    ヨン、あまり怒らないでね(^^;

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