2016 再開祭 | 貴音 ~ 夢・陸

 

 

「お味は如何ですか」

にこやかに笑まれた王妃媽媽に御手ずから口廻りを拭かれながら、吾子が笑って口の中の菓子を飲み下し
「おいしいです」
そう言って上機嫌に笑う。

「そうかそうか。何よりだ。お好きなだけ召し上がるが良い」
王様はその笑顔に満足気な御顔で頷かれ、吾子を眺めておられる。

絵に描いたような倖せな風景を、複雑な心境で一歩離れ眺め遣る。

お望みとはいえ王様と王妃媽媽に吾子を会わせる事が、果たして正解だったのか。
あの一件以来御二人がどれ程御世継を望んでおられるかは、臣下としてよく判っている。
そして御嗣子がどれ程必要なのかも。

完全に元との縁を絶った高麗。
そして王様の世を盤石にする礎は、御嗣子に懸かっていると言っても過言では無い。
まして元から嫁がれ、その元と縁を切られた王妃媽媽の御立場はなお不安定な事だろう。

どれだけ王様の敵を斬り如何に戦で武功を挙げようと、御嗣子の問題だけは己の力は及ばない。

御嗣子に恵まれれば、元への大きな抑止力となる。
そして皇宮の中に吹く王妃媽媽への逆風は弱まる。

それだけなのだ。今やこの御二人に必要なのは王様の後を担われ、次に玉座を継ぐ御嗣子。
御嗣子さえ授かれば、すぐにでも王世子として封冊を享けられ、次王としての地位を確かなものとされる。

御嗣子を得られた時には王様は宸襟を安んじられた上、政務に一層邁進されるだろう。
また王妃媽媽は次王の御母媽媽として、皇宮での御立場を強固なものとされるだろう。
周囲の雑音や勘繰りや馬鹿げた側妃争いがなくなるだけで、御二人がどれ程安らがれるか。

「お腹は満ちましたか」
そうおっしゃいながら吾子の横、嬉し気にあれこれと無く御手ずから世話をして下さる王妃媽媽。
その王妃媽媽と吾子の姿を、御口許に心から嬉し気な笑みを浮かべ、眺めておられる王様の御姿。

周囲の内官長も叔母上も御二人と吾子を囲み、微笑んで立っている。
その中で王様が此方へ頷かれ、独り言のよう小さく呟かれた。
「佳いのう」

その声にお側へ寄り、小さく呟き返す。
「王様」
「このように可愛らしい御子がいてくれるだけで、殿内がこれ程に明るく楽しい」
「・・・騒々しい事も多いかと」
「チェ・ヨン」

王様は改まった御声で呼ぶと、もう一度吾子をご覧になった。
「ご息女には先をお約束した方がおられるか。どこぞのご子息なり、そなたの旧知の繋がりなり」
「まさか」
「そうであろうな。そなたがご息女を政に使うなど、天地が返っても有り得ない」

その御声に内官長も叔母上も頷き、王妃媽媽が吾子の顔を覗き込む。
「ではコモに息子が生まれたら、その子と夫婦になってくれますか」

菓子を食べ終え蜜で濡れた手を拭かれながら、吾子はきょとんとした瞳で王妃媽媽の御顔を見つめ、その御声を繰り返した。
「めおと」

恐ろしい言葉に部屋中の笑みが凍りつく。

「・・・王様」
内官長が絞り出すように呼び掛ける。
「王妃媽媽」
叔母上が厳しい声でそれだけ囁いた。

先刻までと同じ幸せな光景の中、微笑むのは王妃媽媽と王様だけだ。
たとえまだ生まれておられなくとも。
そしてお生まれになった時はその御嗣子は王世子殿下として封冊を享けられ、王様の次を継がれ、そして。

口約束だけだとしても。王様と王妃媽媽のほんの戯言だとしても。
たとえそうでも王様と王妃媽媽の御心の何処かに残る言葉になる。

拒否すれば不敬、応ずるなど有り得ない。
今交わすのは口約束でも、何れ翻せば大逆罪。

己の犯した失策に此処に来て臍を噛む。
まさかこんな事を考えておられたなど。
己の読みが甘かった。王様の御心裡を読み切れなかった。

考え直せば判る。
御嗣子に恵まれた暁には、王様も王妃媽媽もその御子に最強の後ろ盾の用意を願われるだろう。
不徳な己とあの方に過分の信頼を、身に余る御寵愛を寄せて下さる御二人だ。

しかし幾ら何でも買い被りが過ぎる。己に国舅を担う力など無い。
俺とあの方に出来るのは唯一身を挺し、この祖国を守る事だけだ。

此度ばかりはどんな名分も言い訳も無い。探しようが無い。

夏の陽の燦燦と降り注ぐ明るい部屋。氷庫のように冷たい空気の中。
はっきり首を振ったのは、誰あろう吾子だった。
「わんびまま」

そう言ってもう一度横へ振る、そのふわふわとした髪が陽に透ける。

「お厭ですか」
王妃媽媽の御声に吾子は笑うと、蜜を拭った指で迷わず俺を指した。
「ちちうえのおよめさんになるの」
「・・・え」

その場にそぐわぬ澄み切った明るい声に、全ての目が此方へ向く。
「ちちうえのおよめさん」

もう一度その場で宣言すると、吾子は席を立ち俺の許へ駆けて来る。
そして其処に在る俺の袖口を掴むと、ねだるように左右へと振った。
「ちちうえのおよめさんになるのー!」
「・・・判った」
「ははうえは、ちちうえにききなさいって」
「・・・そうか」
「でもちちうえのいちばんだいすきは、ははうえよって」

子の口に戸は立てられん。聞いたものを言うなというのも酷だ。
一番の策は耳に入れぬ事。しかしあの方はおっしゃったのだろう。
それを公の場で口にするなと言うのは周囲の大人の勝手な言い分。

耳朶の熱さを感じつつ、黙らせようとこの袖を揺らす小さな手を己の指先で緩く包み込む。
「もう良い」
「およめさんに」

気の無い俺の返答にべそかき顔で吾子が言い募る。
王様が大きく笑って頷かれると、吾子に優しい御声でおっしゃった。
「そうかそうか、御父上の嫁御になりたいのか」
「はい、ちょな」
「では大きくなられて再び尋ねれば、またその時は考えて下さるか」
「はい、ちょな」
「それは嬉しい」

王様は微笑んで吾子を見つめ、そして俺へと御目を移す。
「御父上はもっと嬉しかろう。御母上がいらっしゃるうえ、これ程可愛い嫁御の候補がいるのだから」

吾子は御声に頷いて、そして栗色の瞳で俺を見上げた。
「ちちうえ、うれしい?」

嬉しい。お前がそれ程無条件に愛してくれる事。
そして母上と、こんな己を取りあってくれる事。
王様の前でなければもっと嬉しかったろうが、言ってくれたお蔭で助かった。
少なくとも王様と王妃媽媽が御嗣子を授かられ、そしてお前が物事を己の心に従って決められるようになるまで。

部屋に射し込む陽の中で笑むと吾子はせがむように背伸びをし、短い腕を精一杯に伸ばす。
それに応えて小さな体を抱き上げ一度だけ強く抱き締めると、すぐにその体を床へ降ろす。
「・・・失礼致しました」

頭を下げる俺からさり気なく顔を背け、部屋中の顔がそれぞれに微笑んだ。

 

 

 

 

5 件のコメント

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    今日は夜UPされるのかなと思っていたら、珍しい時間帯ですね^^
    タイミング良くお邪魔出来ました♪
    史実のチェヨンの娘は、王様(次の王だったかな?)に乞われて嫁いだんでしたよね。
    なので、王様と王妃様の願いも冗談ではなく本気でしょうね。
    一番信頼のおける忠臣の娘、まだ生まれていない子の嫁になんて言うんですもの。
    ヨンなら実現しても、王家と親戚になったからといって、権勢を振るうなんて事無いし、王様も安心ですよね。
    他の重臣は色々言いそうですが・・・
    今後の展開も楽しみにしています^^

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    純真無垢な愛しい幼子の一言に
    ヨンも周囲も救われましたね(^-^)
    いつの世でも子供は天使だと
    さらんさんのお話で
    あらためて思いました(^^)

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    なんとも答えても答えずも…良くも悪くも取れる。
    吾子のおかげで危機回避でした( ゚ε゚;
    チョナにも早くお世継ぎが授かれば良いですね~
    でもお世継ぎの相手はヨンとウンスの吾子たちなのでしょうね( ´△`)

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    サラン姉さんうまい‼︎
    「ちちうえのおよめさんになるの」なんとうまい切り返し‼︎
    (えっどうするの⁈)と心配しながら読んでいたので、かわいい結末に胸を撫で下ろしました。
    しかもウンスと愛娘二人に取り合いされるなんてヨン嬉しかったでしょうね。

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