双城総管府の千戸、そして小府尹を務める高官にしては、邸は予想よりも控えめなものだった。
訪いを告げる俺とこの方の前、すぐにその門が開かれる。
「誰のお屋敷なの?」
まだ何も知らぬこの方は開いた門に目を向け、次の瞬間佇む男の顔に息を呑んだ。
どうやら李 成桂は俺達の訪いを今か今かと待っていたらしい。
家人が門を開くと同時に、門内でわざわざ出迎えの頭を下げ嬉し気な声で言った。
「大護軍、医仙様。わざわざご足労頂き、恐縮です」
この方は奴の顔を確かめ、そして俺に視線を向けた。
責めるでも咎めるでもなく、突然目前に現れた男の顔が信じられぬと言うような、茫然とした表情で。
「どうぞこちらへ。父もお二人をお待ちしております」
成桂はそう言うと、自ら案内に立ち邸内へと進んで行く。
桔梗の盛りの庭先にも、その奥の邸内にも、目立つような兵の姿は見当たらない。
杞憂だったかと息を吐き、ようやく肩の力を抜く。
残された問題は門先で成桂の顔を見て以来、貝のように口を閉ざしてしまったこの方。
背を伸ばし、硬い横顔で前を行く奴の背を睨み、それでも何を言うわけでもない。
成桂は黙り込んだこの方を気にするように背を振り返り
「父が御二人に無理をお願いしたのでは・・・」
と、見当違いに問い掛ける。
李 子春が無理を願い出たのは確かだ。 しかしその手に敢えて乗った己にも責はある。
この方を護りたい一心で、却って事を荒立てたのか。
邸内の様子も私兵の数も、憂いていたような気配はない。
ごく普通の高官の邸。いや、寧ろそれよりも穏やかかもしれん。
但し相手は李 子春だ。俺が考える以上に肚の読み切れぬ男。
邸内に兵を置かぬからと手練手管を見くびれば、双城の折のように予想外の返り討ちに合わぬとも限らん。
今はまずこの後の顔合わせを済ませ、一刻も早く帰りたい。
これ以上この方を此処に置き、成桂と向き合わせるのは忍びない。
「医仙、ご体調が優れぬのですか。御顔の色が悪いような・・・」
李 成桂の声にこの方は首を振り
「大丈夫」
とだけ短く言った。
*****
俺の横、この方は無表情に卓向こうに並ぶ親子を眺めている。
いや、その瞳に本当にこの親子は映っているのか。
横から確かめる限り、そこには憎しみしか映していない気がする。
しかし正面の親子にはそれは伝わってないらしい。
「天界の医仙直々に足をお運び頂けるとは、光栄ですな」
鷹揚に口火を切ったのは李 子春。
横に座った李 成桂は父親の言葉に満面の笑みを浮かべ、幾度も深く頷いた。
「典医寺でも、双城でも、倅の命を御救い頂きました。お礼が遅くなり、お恥ずかしい限りです」
秋の陽が射し込む大きな窓の設えられた胡風の居間。
卓に向かい合う俺はその声に黙って小さく顎を下げる。
しかしこの方は相槌を打つでも笑みを浮かべるでもなく、唇を強く結んだまま正面の親子を見詰める。
亜麻色の髪に半ば隠れた横顔が、俺の知るこの方の横顔とは別人のように強張っている。
今にも倒れてしまうのではなかろうかと不安になる程、引き結ぶ唇も蒼褪めている。
失敗だ。例え如何な理由があろうと、この方を連れて来たのは判断の誤りだった。
俺が考える以上に、この方は李 成桂を天敵として憎んでいる。
先の世と俺の運命を知るこの方の憂いも憎悪も、俺には正しく汲み取る事は出来ないのかもしれん。
逆の立場であれば。
もし俺がこの方の先と、その運命を知っていたなら。
もしこの方を殺める相手を知っていたなら。
考えるまでもない。
この方が泣いて止めようと、言葉の限りを尽くそうと、俺は間違いなくその相手を殺す。
奇轍が、そして徳興君が良い例だ。
王様がいらっしゃらねば、そしてお止めにならねば、この方に一度目の毒を盛った時点で徳興君を殺していた。
奇轍がああして己の黒い慾に呑まれて自滅する事がなければ、いずれ必ず奴を殺していた。
それなのに俺は頼んだ。この方が誰よりも命を大切にする方と知っていたから。
生かせと頼んだ。傷を負った成桂を助けろと、泣き叫んで首を振るこの方に怒鳴った。
奴の命を救う為ではなく、この方の心を救いたくて。
あの時は正しい事をしたと信じた。助けねばこの方の心が壊れると思った。
奴の命のせいで、この方が一生消えぬ傷を負う事が怖かった。
それは本当に正しかったのか。今の様子を見ればその自信など雲消霧散する。
こうして無言で耐えるのは、偏に俺の為なのだと判っている。
当人である俺に怒鳴られ、この方はどれ程心を痛めたのか。
体だけじゃなく、心も守って。
そう言われたのを思い出し、この方の心を護る為に頼んだ。
だがその方法は本当に正しかったのか。
あの折この方を護る方法は本当にあの道しかなかったのか。
今もこうして迷いながら、卓向こうの李 成桂親子へ眸を投げる。
いつまで繰り返すのか。これが悪縁というのもか。
起きるかも判らぬ何れの先など、俺の与り知るところではない。
ただそれを畏れるこの方の目前に、その顔がちらつく事だけが我慢ならん。
それだけでも充分にこの親子を排斥する理由になる気がする。
ささくれだった気を鎮める為に深く息を繰り返し、鬼剣の柄へ伸ばさぬように拳を握り込む。
そして俺はようやく正面の親子から、僅かに目を逸らした。

皆さまのぽちっとが励みです。
お楽しみ頂けたときは、押して頂けたら嬉しいです。
にほんブログ村
今日もクリックありがとうございます。
SECRET: 0
PASS:
はっきり何処へ行くって言ってたら
ここまで ウンスは来なかった
門を開けたら 見たくない顔…
できたら 会いたくないんですけど…
ウンスもイヤでしょうけど
ヨンもかなり 辛いわね~(T_T)
SECRET: 0
PASS:
今晩は、ウンスを、どなるとは、何事だ!ウンスの、心は、大丈夫か?