2016 再開祭 | 釣月耕雲・拾玖

 

 

店の裏、呼ばれたチャンイは抗いもせず静かにチェ・ヨンの後を従いて裏木戸を抜けて来た。
前を行くヨンが足を止め振り向くと、その黒い眸に真直ぐ向き合って不思議そうな声が言う。
「まだ、お客様が残っていらっしゃいます」
「ああ」
「チェ・ヨン様のお戻りをお待ちのお客様も多いのでは」
「いい加減明かせ」

回り道は出来ない。
女の言う通り店の中には客が残り、そしてウンスが居る。
内心で焦れながら、チェ・ヨンは単刀直入に切り出した。

「正体を」
「正体」
「今更馬鹿し合いはせん。俺は皇宮迂達赤隊長チェ・ヨン。お前は」

外連味の欠片も無い声に口許を指先で押さえ、チャンイは俯いた。
立ち尽くす目前の女の様子を、冷徹なヨンの黒い眸が見据える。

肩の震えが腕へ、そして口許を押さえる手へと伝わる様子を追うヨンの耳。
女の指の隙間から掠れた声が響く。
「・・・っく、・・・っ」

嗚咽、などではない。この女。

「・・・ぷぁーーーっはははははは!あはは、は、はは」

弾けるような大笑い。
目尻に浮かんだ涙を先刻まで震えていた指先で拭い、チャンイが顔を上げる。
余程可笑しいのか、そのまま腹の上を擦りながら身を捩り
「ちょっと待って、堪忍して」

掌をヨンへと向けて言い、体の震えをどうにか止めようと、女は深い息を繰り返す。
「あは、あー・・・はぁ」
「・・・満足か」

憮然とした呟きの何が可笑しかったのか、チャンイは再び唇を歪め
「あたし、笑い上戸なんだってば。まあ酒は飲んでないけど」

そう言って下からチェ・ヨンを見上げる黒い目は、闇夜の中の猫のように輝いている。
「おっかしい。何が可笑しいって、今まで良い子ぶってた自分が可笑しくて可笑しくてさぁ。
別にあんたを笑ったわけじゃないよ。
“まだお客様が残っていらっしゃいます”だって!笑っちゃう」

己自身を笑い飛ばすよう、チャンイが先刻の自分の声音を真似る。
「・・・で」
「で、はこっちの台詞よ。持ってないのかな。持ってるならさっさと見せてよ。もうばれたんだし」

その手をずいと目の前に差し出され、話の成り行きにヨンが眉を顰める。
「何を」
「号牌。あんたの叔母さん、チェ尚宮から渡されてないの?」

成程、此方の身元どころか血縁まで総てが筒抜けか。
ヨンは呆れ果て、頭上の朱色になり始めた空へ息を吐く。

「何も受け取っていない」
「・・・ふうん。まだ時期じゃないってことかあ」
「何を言ってる」
「あたしは、ううん、あたしたちは敵じゃない。敵どころか必ずあんたの力になるよ。
約束する。一緒に働いた仲じゃないの」
「何の事だ」
「だから言ってるでしょ。そのうち判るってば、焦らなくても」

チャンイはヨンの前で踵を返すと、最後に肩越しに笑う。
「今は時期じゃない。あんたが号牌を持ってないならね。チェ尚宮がじきに渡すはずよ。
それまでは精々頑張って、大切な医仙を守りな」
「チャンイ!」

ウンスの素性は伏せていた。この女が誰か判らなかったからだ。
初顔合わせから此処に至るまで、一度も明かした事は無い。
チャン・ビンも判っていたからこそ、この女の前で一度も呼んだ事は無い。

ヨニョルか、さもなくば昨日のトクマンか。
「誰から聞き出した」
「あんたの周りってば、みーんな口が硬いったらありゃしない。誰も教えてくれなかったわよ」
「どうして知った」
「壁に耳あり、障子に目あり」
「チャンイ!!」
「あ、それ本名じゃないの。ごめんね」

相手は女。
掴みかかりそうな手をようやく止めたヨンへ言い捨てると、チャンイと名乗っていた女は店裏の板垣に手を掛け、まるで野良猫のように軽々と飛び乗った。

「本名が知りたきゃマンボ姐さんか頭に訊いて。まあ、あんたが辿り着ければの話だけどさ」

塀上に渡した細い板上に器用に屈んだチャンイが、咽喉を鳴らして機嫌良さげな声で言う。
マンボ、頭。
「・・・お前、手裏房か!」
「気付くのが遅いね」

チャンイが懐に手を差し入れると、中から丸い号牌を取り出して揺らして見せる。

「まずはこれがなきゃ、あたしにもみんなにも会えない。ただね、マンボ姐さんと頭が心配してたの。
会う訳にはいかないけど、あんたがどんな天女を拾って来たのかってね。
こっそりと様子を見て来いって言われてさ。あんたが・・・」

チャンイは板塀の上、朱さを増す西空の陽に照らされて、猫のような目を少しだけ優しく細めた。
「あん時みたいになって欲しくないって。いつの時だかあたしは知らないけど」

手裏房の知らぬが信用できるか。
怒鳴りつけたい思いでヨンが塀上を睨むと、チャンイは夕陽の中で笑う。
「楽しかった。あんたも、他の男も良い男ばっかりで。あの医仙も悪い人じゃないけど、お守りが大変そうだね。
マンボ姐さんと頭には、そう伝えとく」
「待て!」
「早く号牌を手に入れてよね!また会いたいよ。あんたは無理だろうから、あの御医とかヨニョルとかにね。
迂達赤もまあ、そこそこ良い男揃いだったし。じゃあね、”チェ・ヨン様”!」

その笑顔を最後にチャンイの姿が塀向うへ消える。
マンボ、頭。その名が出た以上は疑いようもない。
そして号牌。叔母上が持つという号牌。

後を追うかと瞬時惑い、チェ・ヨンは唇を噛んだ。
手裏房というのは判った。ならば追い駆けたところで掴まらない。
隠れ家は開京中に張り巡らされ、紛れ込まれれば探し出すのは容易ではない。
そこまで深追いする意味も無い。

今は勝負がつくまで守るべき方の傍に。その為だけに此処に居る。
戦場である店へ戻る為、ヨンは裏木戸を叩きつけるように開いた。

 

 

 

 

2 件のコメント

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    おば様のからみだとは 思ったけれど
    スリバンだったかー!
    どんな 女人か 探りを入れてこいと?
    と言うことは…
    ヨンが ウンスに♥ なこと
    スリバンにも バレバレなのね。
    あ、 わかってないのは
    当事者だけね。 (๑⊙ლ⊙)ぷ

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    さらんさん(。-_-。)
    私ったら、とんだ見当違いを(・_・;
    チャンイはヨンに惚れちまった女人の一人かと予想してました。
    ああ❤︎ 気持ち良く裏切られた~❤︎
    またまた個性的で、魅力的なオリキャラの誕生ですね!
    しかも、あそこのシーンに繋がるわけかぁ、はは~ん…と、想像力フル回転で楽しませていただいてます。
    さらんさん❤︎
    雨降りばかりの日々ですが、ご自愛くださいね。

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