「・・・えーっとね?」
台所の作業台の上は大量の卵や鶏や野菜が加わって、朝よりもずっと豪華な食材が並んでいる。
おまけに台の足元には大きなお酒の瓶が、所狭しと列を作ってるし。
髪をお団子に結い上げて髪紐でまとめながら横のあなたを見上げると、黒い瞳が私を見おろした。
「このお酒、覚えある?」
「・・・ええ」
「そうなの。じゃあ鶏肉は・・・焼きやすいように、小さく切る?」
台の上に山になった丸ごとの鶏。分かってる、この時代はこれが普通。
でも、どうしても・・・抵抗感が拭えない。
皮のところの毛穴、まだくっついたままの、うろこみたいなものまではっきり見える爪つきの足。
結局おいしく食べるんだし、感謝はしても文句は言いたくないんだけど・・・
恐る恐る鶏を指さすと何てことない顔で頷いて、あなたはホールの鶏を眺めた。
「切れば火の通りは早いですが。但し魚を釣る時間が掛かるので。
同じ時間に喰い始めるなら、そのまま焼けば良いかと」
「え?」
「は」
驚いた私の声に、逆に何で驚くんだ?って顔のあなたの声が返る。
「魚釣るの?今から?」
「はい」
確認の声に、当然だろうっていう視線が戻って来る。
「申し訳ないが、今宵どれ程人が集まるか見当もつかぬので。食い扶持は自分らで釣らせます」
「そうなの?」
「禁軍も参ります。其処の酒は奴らからです」
「禁軍・・・って、アン・ジェ隊長の?それでさっき話してたの?」
「はい」
その声を聞いた途端、タウンさんが眉をしかめてあなたの横顔をじっと見る。
「大護軍」
「仕方無い」
短い言葉で通じ合ったように、あなたは首を振って溜息をつく。
「武閣氏ですか」
「坤成殿の尚宮だ」
「・・・そうでしたか」
横で聞いてる私には、2人の会話の内容がさっぱり分からない。
「王妃媽媽より祝膳が届く」
「畏まりました」
「え?!」
素直に深く頭を下げたタウンさんと、私の大声がリンクする。
「どうして?媽媽は、宮中でのお祝いはやめましょうって」
「それ故でしょう。御参列や祝賀を御取り止めの代わりに、此度の宴へ祝膳を。
生誕の宴とはおっしゃっていないので」
「ヨンア、大丈夫なの?それであなたは何か問題になったりしない?」
「名分はあります。兵の慰労会を催すとなれば、御膳の下賜は不自然では無い」
「じゃあ・・・」
「此度禁軍の参加を許した理由です」
「・・・もう何が何だか」
「イムジャ」
あなたは呆れたみたいに、私を見つめて静かに言う。
「全て政に関わります。あなたの立場、俺の役目。皇宮とはそういう処です」
「分かってたつもりなんだけど」
「先ず訊いて下さい」
「うん」
今回はうまい具合に秘密にできたと思ったのに、まだ甘かったわけね。
どの人も悪気があるわけじゃないって分かってるから、なおさら大変。
少なくとも1つ分かった。
高麗でサプライズパーティするのは、すごーく難しいってことだけは。
そうよウンス。これでまた勉強になったじゃない。
やっぱりまだまだこの人の眼を盗んでこっそり何かするのは厳しい。
それが悔しかったらもっと勉強すること。人の動きを見て、その裏を読んで・・・ってそれが一番苦手なことだけど。
溜息をついて肩を落とすとあなたは困ったみたいに私を見た後、袖の影で私の指先を優しく握って揺らしてくれた。
*****
「天女、これも全部運ぶか」
厨の作業台前、丸鶏を入れた深鉢を指したチホがあなたを振り返る。
磨り潰した豆汁を煮た鍋の中身を荒布で濾すあなたが声に頷き
「うん、お願いします。こぼさないようにね」
そう言った拍子に上がる絞った布からの湯気に、熱そうに顔を顰める。
掌の中の布ごと奪い取り、中身を絞る俺と横のこの方に向け、チホは自信あり気に頷いた。
「俺に任せとけって」
やけに親しさの籠る声音に眉を寄せ、湯気越しに此方側から奴を睨む。
視線には気付かぬまま、奴は鉢を厨の裏扉前に止めた荷車の台に乗せる。
纏めた荷の隅に置き、そしてシウルと共に明るさを増す高い空を見上げた。
「すげえな。ヨンの旦那、空模様も操れるのか。本当に雲が切れて来た」
半ば呆れたように言うチホに、シウルが深く頷いた。
「これなら晴れる。魚も釣れる。まだ明るいし、雨の後だからな」
奴らの声に頷いて、まずはこの先の指示を飛ばす。
「荷を据えたら先に釣り始めろ。用意が終わり次第行く」
「じゃあ先に行ってるからな。善竹橋だな」
射し始めた午後の逆光の中、二人の影が扉から俺を振り返る。
直に申の刻。
昨日の姜保の言葉通り、雨上がりの空は金色に輝き始めていた。
「楽しみだな、旦那」
憂いなく底抜けに明るいチホの声に頭が痛む。
気を逸らそうと中身を絞り終えた荒布を皿へ置き、器の中の豆汁を眸で示すと、この方は満足そうに頷いた。
「ありがとう、ヨンア。チホ君、悪いんだけどこれ一緒に持って行ってくれる?」
「おう、もちろん」
チホはこの方の手から搾りたての汁の入る器を受け取り、荷台の隙間へと収めた。
「じゃあ、そろそろ行くよ」
「師父とマンボ姐さんとヒドヒョンはあっちに直接来るってさ。何かすげえ楽しみにしてたぞ」
日頃王様からの密命で動く手裏房であれば、兵の慰労の宴に居ても不自然ではなかろう。
こうして宴の面子を確認する度、考えねばならん。そいつは居ても良いか。まずいか。
万一後々宴への参加を咎められた折、そいつを守る名分はあるか。
この方と俺の二人きりの宴の筈だった。
生まれて下さった事、出逢えた事に感謝し、この先決して離れぬと誓い合えれば良かった。
どれ程愛しているかを伝えられれば。
この方にと選んだ、心ばかりの品と共に確かめて頂ければ充分だった。
この方からあの天界の言の葉を一つ聞ければ、それだけで倖せだった。
それが何故今、こんなに面倒な事に巻き込まれているのか。
考えても思い当らず、幾度めか判らぬ深い息を再び吐き、どうにか声を絞り出す。
「・・・ああ。愉しみだ」
俺を気の毒そうに見上げると、この方がこの指先を励ますように握る。
判っている。最早あなたの所為でも、俺の所為でも無い。
既に宴の趣旨は全く変わり、俺達は今や共に事態を打破すべき同士だ。
あなただけが頼りだと、小さな掌を握り返す。
改めて思う。生誕の日を知っていても、決して口外すべきでは無い。
王様と王妃媽媽以外の民は、新年朔日の元旦に揃って一歳齢を重ねれば良い。
こんな馬鹿騒ぎに巻き込まれるのは、今年が最初で最後だ。
きっとこの方も懲りて下さる。
来年は俺と二人、ささやかに何処かの酒幕で一杯飲んで満足して下さる。
「大護軍」
居間から厨へ降りる段の上に膝を着き、タウンが静かに頭を下げる。
「王妃媽媽からの御名代がお越しです。御膳の下賜が」
その声に頷くと細い指を静かに解き、俺は一足飛びに居間へ上がった。

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