「お願い」
「何です」
「一生のお願いだから」
「何がですか」
「店員さん、やって?」
「・・・は」
「お客様の相手。お茶を出したり注文聞いたり。商品説明したり」
「厭です」
「あなたなら頭が良いから、きっと出来る!」
「無理だ」
拝み倒すように両掌を合わせるウンスに向け、チェ・ヨンは言い捨てた。
見知らぬ女人の腕の内側に薬液を塗って、明日出直せと告げるのも。
小さな石鹸を渡すのも、まして茶屋で注文を捌き愛想笑いするなど。
無情に振られ続けるヨンの首に、ウンスの眉が下がる。
「本当に困ってるの。誰も休憩に出られないくらい混雑するなんて思わなかったもの。
頼れるのはあなただけなの。ね?私を助けると思って、男らしく一肌脱いでよ。お願いチェ・ヨンさん。
助けてくれたら、何でも言う事聞くわ。約束する。だからお願い、この通り!!」
懇願の声に、黒い眉がぴくりと上がる。
「判りました」
即座に小さく顎で頷き、ヨンは厨を出た。
何でも言う事聞くわ。
人は何故、この一言を容易に口にするのだろう。
それが重荷に足枷になり、己の首を絞めるのに。
二言は無い。頷いた以上、必ず果たす。そして必ず果たしてもらう。
「あの、すみません」
ヨンは手近な客の上がった手に呼ばれ、無表情に卓へ寄る。
*****
どれ程刻が過ぎたのだろうと、陽の高さを眺める暇もない。
「柚子茶というのは、どんなお茶なのでしょう」
「蜜漬けの柚子を溶いたもの」
「すみません、あの」
柚子茶について確かめる女人の卓から離れた椅子で、別の手が上がる。
側にいたヨニョルが気付いて寄り、商売用の自慢の笑みを浮かべ
「はい」
腰を折り女人へ僅かに顔を近づけると、その女人の顔が翳る。
「・・・待ちます」
そう言って上がっていた女人の手が卓へ戻る。
ヨニョルは苦笑を浮かべて頷き、店内で擦れ違いざまヨンの脇を肘で軽く突く。
「あんた、商売替えを考えたらどうだ。俺と組まないか」
「ふざけるな」
「そうよねえ」
再び臍を曲げたらしき尖り声が、少し離れた処から飛んでくる。
「いっそホストクラブとか、良いんじゃない?高麗初の。夜王になっちゃえば良いのよ。
それで夜王御殿とか建てちゃって、外車・・・はないから、超豪華な馬車とか乗っちゃって。
召使とか山ほど雇って、毎晩豪華なご飯を食べて、高いお酒飲んであーうらやましい!」
其方が言い出したのだろう、愛想良く接客しろと。
怒鳴り声を咽喉元で殺し、ヨンは再び上がった別の手に呼ばれ無言で店内を歩く。
これでも精一杯役目を務めている。必ず聞いて欲しい頼みがある。
我慢だ。我慢しろ。言質は獲ったと繰り返し、肚裡で呟きながら。
*****
店先にまで漂う香は、典医寺の薬草の香とは明らかに違う。
もっと甘く華やいだ、今まで嗅いだ事の無い香。
香は脳にダイレクトに作用するの。大脳辺縁系。本能や感情を司るところよ。
私の世界ではいろいろ研究もされてるわ。アロマセラピーなんてその代表格だもの。
香りの成分が直接血液内に入って来るのも、実験で証明されてる。
ラベンダーやローズウォーターを嗅いだ後には成分が検出される。
そして記憶はね、遺伝するの。
マウスに特定の匂いを嗅がせた後電気ショックを与え続ける。
そうすると三代後のマウスは、その匂いを嗅ぐだけで脳から信号が出るのよ。
与えられた事もない電気ショックに備えて。
一度も電気ショックを受けてないのに、その香りが危険だって脳は認識してるの。
先生にもない?香りの記憶。
理由もないのに懐かしかったり、哀しくなったり、何かを思い出す香り。心を揺さぶる香り。
品物を作りながら交わした会話を思い出す。典医寺の部屋中に広がっていた香。
これからあの香が漂うたびに、きっと思い出すのだろう。
あの時の光景。陽射し。部屋の中で笑う眼差し。その声。
これが香りの記憶なら、人とは何と厄介な生き物だろう。
もしもこの記憶が子々孫々に伝わるなら尚更だ。
記憶を振り切るように頭を上げ、店の棚を確かめる。
店の外からの陽に光る、棚に整然と並んだ小瓶や品々。
典医寺の薬缶の中身が入っていると思えぬほど立派に見える。
肌につける糸瓜水。手作りの石鹸、歯磨きの粉。
ウンスと試行錯誤を繰り返し、己の肌でも確かめている。
目の前に居並ぶ女人の差し出す肘の内側を、糸瓜水で濡らした布で次々と手際良く拭きつつ
「一晩見て、赤みも痒みも腫れも出ねば、明日お買い求めを」
判で押したように同じ言葉を繰り返す。
柔らかいその肌に塗った途端に、赤く腫れる者も稀にある。
その時は即座に水で濡らした布で患部を拭き取り
「合いません。すぐに水でよく流して下さい」
冷静なチャン・ビンの声と処置に、相手は慌てる事もない。
寧ろ慎重に患部を確かめた触診と視診、脈診に頭を下げて店を出る。
石鹸に興味を持つ女人には小分けの袋を渡し、事前にウンスに言われた通り
「この糸瓜水と合わせて使うと、より効果が高いです」
そう添える事も忘れない。
いつ途切れるとも知れぬ女人の列が続く店先を眺め、チャン・ビンは息を吐く。
チャンイと言うあの女人も忙しく立ち働いてくれている。
しかし如何せん、女人が列を成すのはチャン・ビンの前。
列を成されれば振り払う訳にも無視する事も出来ない。
ただひたすらに肘の内、柔らかい肌を糸瓜水で拭き、同じ言葉を繰り返す。
次に並ぶ女人が袖を捲るのを躊躇い、ほんのひと時の間が空いた。
その瞬間に上げた目で、近くで他の客人に言葉を掛けるチャンイを探す。
その視線をどう受け取ったか。
向けられた切れ長の目にチャンイは遠慮がちに微笑み返し、すぐに再び伏せる。
こうして見れば随分と無口で淑やかな女人に見える。
チャン・ビンは胸裡の声を整理する。無駄なく訊きたい要点だけを。
チャンイ、彼女に尋ねたい事がある。
もしも今日の忙しさの中、自由に口を利く暇が持てればの話だが。

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さらんさん❤
私もヨンの前に並びます~(笑)
ヨン…チャンイとお話しするの?
ウンスの機嫌が悪くなるかも?
約束を反故にされないようにね(^^;
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パッチテストまでやるなんて、さすがウンス‼︎
しかもなんやかんやでヨンまでかりだされてる(≧∇≦)
こんなお店があったら行くっしょ‼︎ヨンにパッチテストやって貰えるなんて(≧∇≦)
私なら全種類買っちゃう(≧∇≦)
でもウンス約束忘れちゃいないよね⁈
かなり心配だわ。
ヨンの企みは?