2016再開祭 | Advent Calendar・16

 

 

朝起きてベッドルームのドアを開けたら、明るいリビングはもぬけの殻だった。

ここ数日、起きてリビングに行けばクォン・ユジがいた。
リビングにはキッチンで作っている朝食の匂いがした。
そんなリズムが出来ていたせいか、今朝のリビングはあまりに殺風景に見えて。
ベッドルームのドアの前に立ち尽くし、俺は広いその空間をぐるりと見渡した。

すっかり指定席と化したカウチの上にいる筈の録音機能付きのテディ・ベア。
今朝はコーヒーテーブルの上に座っているのを見つけ、急いで取り上げる。

テディ・ベアの胸には手書きらしい文字で、PUSHと書かれたメモが付いている。
胸の再生ボタンを手探りで押すと、クォン・ユジの声が流れ出す。

“テウさん、おはようございます。風邪を引いたみたいです。
薬は飲みました。うつると申し訳ないので今日はベッドにいます。
朝ごはん作れなくてごめんなさい”

テディ・ベアの録音装置の品質のせいか、それとも相当体調が悪いのか、その声はとんでもなく掠れた鼻声に聞こえた。
朝飯を心配してる場合じゃないだろう。
俺はテディ・ベアをカウチに戻して、そのまま彼女の部屋のドアをノックする。
寝ていれば後にしよう、そう思い控えめに2回だけ。
しかし中からすぐに
「・・・はい」
と鼻声の、怠そうで辛そうな返事が返って来る。

「ユジさん。俺です」
「おはようございます」
「起きてたら、少しだけ開けても良いですか」
「・・・でも、うつったら」
「うつりませんから」

何の根拠もなく断言する。
雪の中歩き過ぎたか、環境の変化のせいか、それとも気が緩んだからなのか。
「開けて良いですか」
もう一度強引に尋ねると、ドアの向こうのクォン・ユジが少し黙った後に
「は、い」
とだけ声を返した。

女性の寝室云々と言っている場合じゃない。
そのままドアを開けると、彼女はどうにかベッドのヘッドボードに体を凭れかけていた。
熱が高そうなのは潤んで焦点のぼけた視線と、妙に赤い頬で判る。

しかし枕元を見ても、そしてベッドサイドのナイトテーブルにも、熱を下げる為に使うようなアイテムは見当たらない。
それどころか体温計もなく、加湿器も動いていない。
治す気はあるのか?この状態でどうやって?
第一常備薬ならともかく、体温計は持っていたのか?
持っていないなら、初めて訪れたこの家の中で体温計が見つかる筈もないだろう。

「熱は何度でしたか」
「・・・ええと・・・」
「測ってないでしょう。薬は何を?」
「あ、漢方薬を」

いつの時代だ?韓国人は薬嫌いが多いが、彼女もその手合いか?
「横になっていて下さい」
それだけ言って、一旦ドア前から離れる。

リビングのサイドボードから体温計。キッチンの冷凍庫から氷枕。
氷枕は韓国で探しても見つからず、日本で探したジェル式のもの。
洗面所に走って、メディシンチェストからアスピリンを取り出す。
アメリカ製のアスピリンでは、彼女には強過ぎるかもしれない。
まずは何か食わせなきゃならない。粥・・・粥?どうやって作るんだろう?

慌ててキッチンへ取って返す。ひとまず即作れる物。
買い物に行っておいて本当に良かった。
チキンヌードルスープの缶を開け、中身を耐熱容器に移して電子レンジへぶち込みタイマーをセット。
レンジが動き出したのを確認し、そのままクォン・ユジの部屋まで戻り、開けたままのドアを念の為ノックする。
そこから覗くと素直にベッドにもぐりこんでいた彼女が、眼だけでドアの俺を見ている。
「入って良いですか」
「・・・はい」

駄目だと言われても入る気だったが、招かれざる客にはならずに済んだと安心してベッドまで近寄る。
まずは握った体温計を渡し
「測って」
そう言うと彼女は掛布団から手を伸ばして、差し出した体温計を受け取った。
偶然触れ合った指先が燃えるように熱いのに驚いて、確かめもせず無断でその額に自分の手を当てる。
冗談みたいに熱い。 これは自宅で寝ていて治る熱とは思えない。

「ユジさん」
「はい」
一旦手を引いて彼女の頭を持ち上げ、脇に抱えた氷枕を彼女の頭の下に敷く。
「テウさん、これ」
「氷枕です。氷嚢は持っていないので」

氷枕の文化のない韓国で育ったせいか、彼女は落ち着かないよう枕の上で幾度か頭を動かした後で
「うわあ、すごく気持ちいいですね」
そんな暢気な事を言って、息を吐くと瞳を閉じた。
同時に体温計の電子音が部屋に響き、彼女が体温計を取り出す。
「・・・あれ?」

あれじゃないだろう。その体温計を奪い、38.6℃のデジタル表示に首を振る。
ただの風邪でなくインフルエンザなら、特定の治療も薬も必要だ。下手にアスピリンを飲ませる方が怖い。
その時、タイマー切れを知らせるキッチンからの電子レンジの音。
駆り立てられて部屋を出ながら俺は告げた。
「スープを食べたら、医者を呼びます」
「え、大丈夫です。今日1日寝てれば明日には」

怒鳴りつけたくはない。相手は病人だ。
「クォン・ユジさん」
寝室のドアの前で振り返り、諭すように呼んでベッドの顔を見る。
「良いですか。俺はあなたを守る。言ったでしょう」
「はい」
「風邪でもケガでも同じです」
「・・・はい」
「スープを食べる。必ず医者にかかる。そして寝る。以上が今日のスケジュールです」
「分かりました」

熱っぽい顔でクォン・ユジは頷くと、最後に呟いた。
「ごめんなさい、テウさん」
「次に謝ったら本気で怒ります」
「・・・でも怒ってると思ったんです。さっきからキッチンやリビングで、バタンバタンすごい音が聞こえたから・・・」

確かに俺らしくない。体温計や水枕を取り出す時も、電子レンジの扉を開閉する時もかなり乱暴だった。
自覚はある。でもそれは。
「心配だからで、あなたに怒ってたわけじゃない」

高熱の病人を心配させる趣味はない。正直に自白してしまうと気が楽になる。
そうだ。心配だったからで、決して怒ってはいない。

妙な沈黙に支配された部屋の中。

電子レンジのタイマー切れの電子音が急かすように甲高く鳴る。
その音に呼ばれて部屋を出てリビングを横切る時に、カウチの上のテディ・ベアが目に入る。

お前も心配だろう。ご主人と一緒の方が良いよな?

テディ・ベアを拾い上げると小脇に抱え、キッチンへと向かう。
そして恐らく熱くなっているだろう器を持つ為に、キッチンシェルフの飾りと化した付け慣れないミトンを、どうにか嵌めた。

 

 

 

 

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1 個のコメント

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    昨日まで 元気に
    明るく振る舞ってた人が
    風邪だと きけば
    心配せずにはいられないでしょう
    世話焼きの性分 
    あれも、これも 
    大変だ なんとかしてあげなくちゃ~♥
    しかし…
    病人は あまり大変だとは思っていないようで(笑)

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