2016 再開祭 | 海秋沙・前篇

 

 

「朝飯は」
「うーん・・・」

まだ茫としたその顔は、何処かしら幼くすら見える。
この方は寝台の上、胸にぺたりと張り付いたままだ。

外の陽はそれでも待ってくれぬ。唯でさえ鉄原の秋の陽は短い。
海を見せてやりたい。町も案内したい。
あなたが望む処ならば、何処であっても連れて行きたい。
「イムジャ」
「うん、うん」

旅籠の寝台という、寝慣れない床だったせいなのか。
寝付けなかったのだろうか。

確かに昨夜、月を確かめて戻った俺の気配にこの方は起きた。
それでもその後は此方の気も知らず、再び眠りに落ちている。
眠りが浅かったのか。
いや、それならば俺は気付く筈だ。寝息の調子ですぐに判る。

「あああ、違うの」
考え込む俺の顔に、この方は腕の中で慌てて首を振る。
「起きると横にあなたがいるのが嬉しいの。だからつい怠けてるだけなのよ」
「・・・そうなのですか」
「うん。だって不思議じゃない?」

その声に嘘はないらしい。ようやく大きく開いた瞳は俺の姿だけを映していた。
「私たちは何も変わらないけど、結婚したらあなたは旦那様で私は奥さんって呼ばれて。
呼ばれ慣れてないから、ドキドキしちゃうの。 ちょっと緊張もするしね」
「厭ですか」
「まさか!すぐ慣れるわ」

あなたは言って下さるが、何処かに不安がある。
崔家の墓地にメヒが埋葬されていると知った昨日の今日。
俺の前では笑みを浮かべても、心中穏やかではないだろう。

開京では婚儀に王様にまで御列席頂き、町中に披露した以上隠し立ては無理な話だ。
しかし鉄原であれば伏せようと思えばいくらでも伏せられる。
俺の素性もこの方の立場も、そして俺達が誰であるかさえも。

俺が名乗ってしまえば、昔馴染みが気付かないとも限らない。
少なくとも鉄原が我が崔氏の本貫である以上。
それならいっそ名無しとして、柵もなく楽しんだ方が良いか。

俺は腕の中のこの方の背を労るよう、静かに幾度も撫でた。

 

*****

 

「ヨンア!」
この方の好奇心は無尽蔵か。

寝台上の語らいで結局旅籠の朝飯を食いはぐれ、馬を並べて牽き町を進む。
しかし市中で馬を走らせれば、開京と違い人目を引いて仕方ない。
手綱を握りそぞろ歩く道、大路の店前でこの方は俺を呼びつつ歩を止めた。
「ここ、なあに?」

指した小さな店の奥を覗き込み、其処に置かれた的を見て頷く。
「楊弓場です」
お伝えし立ち去ろうとした俺の袖を、その細い指が握る。
引かれて振り向き確かめると、鳶色の瞳が輝いていた。
「やってみたい!」

この方が知らないのは仕方あるまい。店構えを見ても何の店かと尋ねた程だ。
しかし女人が、いや真当な男もまた、寄り付くような処ではない。
「止めましょう」
「えー、だって弓屋さんでしょ?」

起源は唐とも聞くが、正しい処は判らない。
もとは武臣の暇潰しか、鍛錬の一部だったか。
しかし今となってはそんな物は形骸化している。あるのは唯
「ああ、やめといた方が良い」

店前のこの方の声に誘われて出て来た、主らしき男が言った。
そう。今の楊弓場に屯するのは、賞品か矢場女目当てのこうした手合いだけだ。

「恥をかくのが関の山だよ、こんな兄さんじゃ。楊弓の構え方も御存じなかろう」
鬼剣はチュホンの鞍脇、目立たぬよう荷に紛れてしまってある。
丸腰に平衣の俺はおよそ武人には見えぬのだろう。

鎧を脱いでいれば、大護軍とはいえこんなものだ。
凱旋路にもなっておらん鉄原で、この顔を見知らぬ者ばかりでも当然ではある。
出て来た男はこの頭の先から爪先まで一瞥し、せせら笑うようにこの方へ首を振る。

「楊弓場だよ。お嬢さんはご存知かな」
「具体的には何をするの?」
「ああ。弓を射るのさ。皆的すれば一等は絹三反だよ。一的でも酒一桶だ」
「絹に、お酒?」
「そうとも。元から仕入れた正真正銘の上品さ。だから弓を射れそうな男を連れて来ておくれよ」

馴れ馴れしい仕草で、そんな軽口を叩く男が気に入らぬ。
この方を矢場女と勘違いしているのかと、男に一歩詰め寄った処で
「うーん。確かに私の旦那さんは、そんじょそこらの男とは全然違いますからね?」

この方はにこやかに笑いながら、更に詰め寄ろうとした俺の袖を止めるように引いた。
「こんな遊びの弓なんかじゃお話にならないわ。この人の大切な腕がもったいない。行きましょ、ヨ」
「皆的すれば、絹三反だな」

俺に一歩出られた男は、それでも強気で此方を睨む。
それも無理からぬことだろう。
盛り場で楊弓場など営んでいれば質の悪い男を相手に、時には用心棒、おまけに矢場女まで束ねねばならん。

どれ程射りにくい楊弓とはいえ、絹三反といえば相当な振舞いだ。
弓矢、若しくは的への細工は充分考えられる。
それでもこの方への愚弄だけは赦さない。どんな理由であろうと。

「射らせてもらう」

其処に立ったままの男を残しこの方の握る馬の手綱を受け、二頭を纏めて牽きつつ楊弓場の小さな門をくぐる。
この方は少し驚いた顔で、そして男はもっと驚いた顔で、この背を追うように門へ入って来た。

 

 

 

 

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2 件のコメント

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    新婚さん 今日はどうしましょう~(笑)
    楊弓場 
    ウンスには アーケードゲームみたいな
    感覚かしら?
    興味津々 商品もなかなか
    ちょちょいのちょいで
    1等頂いちゃう?

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