2016再開祭 | 茉莉花・卅捌(終)

 

 

仕方がないからそのまま背負い、夜の中を歩き出す。
ウンスは誰に背負われているのか判っているのだろうか。
明らかに泥酔した酔払いにしか出せない声で、闇の中に叫ぶ。
「愛してるのにー!」

続けて他の男の名でも呼ばれたら、悋気でおかしくなるだろう。
チェ・ヨンは溜息を吐き、試しに背中のウンスに言ってみる。
「それ程想ってくれますか」
「当たり前でしょ!!」

背中で突然暴れ出され、チェ・ヨンはウンスをもう一度確りと背負い直す。
これで落とせば豪い事になる。次は頭だけでは済まない。
「俺は厭です」
その声に背中で暴れていたウンスの動きが止まる。

愛しているから選ばない。
咽喉から手が出る程、胸が灼ける程焦がれても。
純真無垢ゆえの決意にどれ程この心が乱れても。

マンボに向かい泣きながら、酒の力を借りて吐露した本心。
あんな本音がウンスの裡に隠れていたと知った今は尚更に。
「あの一言が理由など」
「どうしてそう頭が固いのよ!」
「思い出す」

きっと思い出す。もし下らぬ一言が理由で手を触れてしまえば。
ウンスを抱き締める度、震える肌に触れる度に、忘れたくとも。
寝屋の寝台の上にいるのは二人だけで良い。
頭の中にちらとでも他の影が過るなど、考えるだけで吐き気がする。
「急ぐ理由などない」
「そうなの?」
「一生一緒です」
「本当に?そう、なの?」
「はい」

暗い夜の空の下、ぽつぽつと話しながら辿る宅への道。
思い出す。必ず。ヨンにとってはそれほど大切な花だ。
愛おし過ぎて伸ばしかけた指を、歯を喰い縛り抑えて来た。
今更あんな下らぬ者らに背押されるように手折ってなるか。
そんな事になれば毎夜寝台の上で、あの負け惜しみのついでに吐かれた汚い言葉を聞く事になる。

ふしだらな!

先刻の不躾で馬鹿げたな娘の言葉がウンスにとって契機だったのは判る。
だからこそ今は。今宵だけは絶対に手を伸ばさない。

「思い出しませんか」
「そんなの、分からないわよー!思い出す体験がないんだから!」
「厭になりませんか」
「なるかもしれ、ない、けど・・・」
酔っているのか眠いのか、それとも答に逡巡しているのか。
背から届くウンスの閊える声に、ヨンは静かに頷いた。
「待ちます」
「ずーっと?」
「はい」
「本当に、ずーっと?1年でも2年でも?」
「はい」
「もしかしたら、もっとかもよ?」
「はい」

自分は待つ。よく判っている。
ヨンは思いながら、背のウンスが落ちぬよう揺すり上げる。
必ず待つ。この世で一番美しい色の紅い花が咲き開くまで。
誰に何を言われたからでなく、ただ自分の為だけに香るまで。

粘り腰には自信がある。ウンスに待たされるのはもう慣れた。
手を伸ばしたところに居れば、その姿さえ見ていられるならば、いつまででも待てるだろう。
たとえ今の決心に、後でのたうつ程後悔すると知っていても。

諦め半分に息を吐くと、チェ・ヨンは宅への道を一歩ずつ戻る。

 

ウンスを背負って帰ったヨンに、驚いたコムが慌てて門を開いて声を掛けた。
「ヨンさん」
「とんでもない目に遭った」

ウンスがヨンの背中でその声に目を開く。
帰り着いたのも判ったか判らないのか、またばたばたと暴れ出す。
「下ろしてよー!」
「ウンスさま」

コムと並んで二人の帰宅を待っていたタウンが、慌てたようにヨンの背のウンスを支える。
「危ないですよ」
「だって、1年も2年も待つなんて言うのよ」
「・・・はい?」
「私の事好きじゃないのよ。だからきっと待てるのよ!」

ウンスの言葉の意味が判らずに、タウンはコムと目を見合わせる。
「私は、この人に何にも出来ないのに」
大騒ぎの背の声にチェ・ヨンだけがうんざりしたように首を振り
「大虎だ。絶対に宅で笹葉は与えるな」
門をくぐるとそのまま敷石を踏み、庭の径を母屋へ向かう。

月のない夜を照らそうと、門の丈夫な閂を掛けたコムは門前の松明の薪を一本抜いてヨンの足許へ近づける。
そしてタウンはウンスがずり落ちないように、その背の後に添う。
「二人は婚儀からどれ程になる」

三つの足音の中でヨンに突然問われ、驚いたタウンとコムが松明の灯の中で顔を見合わせた。
「じき六年ですが・・・」
「良いな」
「え」

心から羨むようなヨンの声が、足音に紛れて夜の庭に響く。
そうは見えないけれど御酒の匂いがする。
もしかしたらウンスだけでなく、チェ・ヨンも酔っているのかもしれないと二人は思う。
そうでなければ藪から棒に、こんな事は言わないだろうと。
「それ程共に居れば、悲しませずに済むか」
「ヨンさん・・・」
「下らぬ言葉で泣かせずに守れるか」
「無理ですよ」

コムは松明代わりの薪に気を取られた振りで、その顔を見ずに言った。
「ヨンさんは不器用だから」
「・・・大切なだけだ」
だからどうあっても護りたい。攻める手立てを間違えず、必ず勝って帰りたい。
ウンスに負け戦は似合わない。将さえ落せば必ず勝てる筈だと。
あの娘に、そして間違った形で娘を溺愛する判院事に。

今宵の俺は酔っている。酒に、背に負った花の香に、その色に。
自覚しながら夜の庭を歩く。歯を噛み締めて耐える長い夜に備えて。

据え膳を喰わぬが男の恥なら、酔った女人に手を出すのは尚更恥だ。
ましてその女人が他の何にも代えられぬ、心から愛おしい方ならば。
絶対に手折らない。
指を伸ばす勇気を振り絞るのは、互いの心が重なった時のみ。

歩くたび闇の中に漂う花の香。
背のウンスからか、それとも庭からか、それすらヨンには判らない。
ただその香の中、今宵もまんじりともせず朝を迎えるのだけは判る。

「タウン」
「はい、大護軍」
「明朝は、好きなだけ寝かせて差し上げてくれ。起きたら蜂蜜水を」
「承知致しました」

心が重なって初めて迎える朝までは、こうして心配ばかりが募る。
明日のウンスは絶対に宿酔だ。
そして自分は眠れずに、朝陽でその寝顔を確かめてから部屋を出る。

こうも同じ夜を繰り返せば考える。一度くらいは許されるのかと。
女人から誘うのは勇気が要るし恥ずかしい。
そんな言葉まで口にしたウンスが、勇気を出して誘ったならば。
あの無礼な娘が絡んでいなければ、今頃どうなっていたか判らない。
ヨンは肝の冷える思いで息を吐いた。
それでも曲げる事はない。たとえそれがどれ程の正道に思えても。

もうすぐだ。

うんざりする程唱えたまじないをまた唱えながら、三人は夜の庭を無言で母屋へ歩いて行った。
「バカ・・・」

背中の大虎が眠そうに呟く声が誰に向けてか判っているから、コムもタウンも笑えずにいる。

そして馬鹿と呼ばれた張本人だけが、困ったように微笑んだ。

 

 

【 2016 再開祭 | 茉莉花 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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5 件のコメント

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    きっかけにしたくないのも
    わかる。だけど… ね
    バカ! 言いたくなるわ。
    不器用さんなりに 耐えて
    頑張ってるのよ。これもかなり
    つらいわよ (泣)
    もうすぐですよ (๑´ㅂ`๑)

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    うわー!今晩もまじないなのですね。大作でしたね!!すごいわがままな親子が出てきたのに、最後のウンスの「バカ」とヨンの笑みで大変なことなどなかったように思えてしまう。素敵でした。

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    そうですか、こうきましたか!!
    これが今の実感です。
    ストーリー展開の面白さに唸りました。
    与えられた素材をどう料理なさるのか。。
    私の陳腐な想像は見事に裏切られ、次回が待ちきれず、読み進み一気に最終回まで!
    さらんさんの作品は、常に専門家も驚くほどの知識に裏打ちされています。それは歴史学のみならず自然生物学、地理学、気候学、医学etc.に及んでいます。それを得たストーリーは、面白味をさらに増し読み手に迫ってくるのです。大人の読み手の満足度は嫌が応にも増し、その世界に引き込まれていきます。
    そして、底流にはかならず人間愛が流れていて、心を揺さぶられる。
    今、世界のあちこちで人間の命を軽んじる人間による蛮行が散見し、平和が脅かされています。私たちは人間の弱さと醜さに向き合わされています。
    そんな中にあって、さらんさんの世界は、
    そう!そうでなくては!そこは外してはダメよね!と共感することのなんと多いことか。
    物語だけど物語で終わらないさらなる魅力に溢れてます(*^_^*)
    物語を通して真に大切にするべきことを言外にも伝えてくれている、そう思っています。
    22日からラストまでの三話はずーんと心に響き、最後はヨン!最高‼︎でした。
    素敵なストーリー、ありがとうございました(*゚∀゚*)

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    思い付きのお題でこんな深いお話になるとは。
    さすが、さらんさん。
    今回は何と言っても、ウンス可愛い過ぎる~
    女心、満載でしたね。
    どんなことがあっても、ぶれないヨン。
    ノム、モシッソヨ~
    こんな男に出会いたい!
    ありがとうございました m(_ _)m

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    さらんさま素敵なお話ありがとうございました
    小憎たらしい 女の子のお話かと思いきやヨンのウンスに対する深~い愛情が溢れていて読んでいて幸せでした
    そしてお酒を飲んで言ってしまったウンスの本音が可愛すぎて(≧∀≦)
    背負われながらの2人の会話が微笑ましい(≧∀≦)
    ヨン~待つと言ったんだからね‼︎
    またムンムンの夜が待ってるからね‼︎
    でもそんなヨンだから好きなんだけどさ(//∇//

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