2016 再開祭 | 海秋沙・結篇 〈 瑩 〉

 

 

「信じられない!」

憤懣遣る方ないという響きの声に、焚火に当たりつつ眸で問い返す。
水はまだ温かいとはいえ、海面を吹き渡る風はさすがに冷たい。
両掌を焚火に翳しながら待つ俺に、あなたは頬を膨らませ、理解しがたいと言いたげな顔で此方をじっと見据えて言った。

「どうして海の側にホテ・・・宿屋がないの?」
「客がおらぬので」
碧瀾渡のような、外国との貿易港とは違う。
江華島のような、政に意味のある処とも違う。
そして鴨緑江のような国境とも違う。旅籠を建てる意味がない。

ただ目の前に海のあるだけの片田舎。
渡し船すら出ぬそんな処に宿を建てて、客が来る訳もなかろう。
まして鉄原の冬の寒さと長さには定評がある。

「だってこの海、すごくキレイじゃない!地方の町興しには、こういう町の特性を広めていくのが第一よ?
どこでも味わえるものじゃなく、食べ物でも観光でもその土地ならではのローカルな良さを」
「・・・良さ、を」

この方は広がる大海原を前に、天界語混じりで切々と訴える。
町興し。それは郡守なり監営が考える事で、俺如き一介の武人の口を出す事ではない。
一体何をこれ程興奮しているのかと、首を傾げたくもなる。

「開京からそれ程遠いわけでもないし、ちょっとリゾート気分でお出掛けするのにピッタリじゃない。
やろうかしら、ホテル経営。理想的だわ、ハネムーンの思い出のビーチでなんて」
「冬は長く、凍えるほど寒い。それで客は来ますか」
「そんなに寒いの?」
「ええ」

馬を駆り物見遊山気分で出歩けるのは、精々が今時分までだ。
開京の寒さで根を上げる方に、到底耐えられる寒さではない。
遠くないとはいえ、鉄原と開京では一駆けという訳にはいかん。
この方には王妃媽媽の主治医としての責務も、医仙という王様から賜った位もある。
「イムジャ」
「なぁに?」
「・・・まさか」

まさか新婚早々己は開京に、御自分は鉄原になど、別離したりはすまいな。
いや、判らん。この方の肚を読み違えるのは何時もの事だ。
どんな我儘も許そう。俺がつけたならどんな傷でも癒す。
けれど離れる事だけは駄目だ。それだけは絶対に。

「おっしゃったでしょう」
芽は早いうちに摘まねば。
内心の焦りを押し隠した声は口から飛び出た途端、大層不機嫌そうに響く。
「私が?何を?」
「どれだけ酷い喧嘩をしようと、眠る時は一緒だと」

揺れる焚火の焔に照らされながら、あなたは素直に頷いた。
「もちろん。覚えてるわよ、いつだってそうしてるじゃない」
「ですから」

だから駄目だ。あなたが鉄原で旅籠を営む事など出来ない。
俺は命のある限り、万一王様と袂を分かたぬ限り、開京に居続けなければならぬのだから。

「・・・医仙としての役目が」
「うん、もちろん」
「俺は開京に」
「そりゃそうよ。あなたはこれから王様を守ってうーんと活躍するし、元気で戦にも勝ち続けるんだから、開京にいなきゃ!」
「戦勝などどうでも良い」

幾度言ったら判ってくれるのだろう。昨日も同じ話をしたではないか。
四十年。あなたが共に居る限り決して死なぬ。
居らぬなら四十年が四百年でも何の意味もないと。
「俺は・・・」

いつからこれ程、女々しくなったのだろう。
護ると決めた時に。
一日でも一月でもなく一生共にと決めた時に。
再び問えた時に。
この方なしでは生きて行けぬと知った時に。

側に居らずとも生きて行けるなど綺麗事だ。
俺はあなたを抱き締めて朝を始め、抱き締めて夜を終えたい。
あなたに触れ、確かめ合いたい。此処に居る事を知りたい。
共に笑い合い、流れる涙を拭き、大丈夫だと伝え続けたい。

その声を聴き、その香を感じ、共に雨を眺め、陽を受けたい。
初雪の中に並ぶ足跡を刻み、降るような星と月を見上げたい。

「あなたを、護りたい」

そしてあなたを護りたい。心も体もその全てを。
言っただろう、三歩の距離でなければ護れない。
それだけで良い。それを為す事こそ生を享けた意味の全てだ。

俺の耳も、そして眸も、この腕も、そして指も。
身体髪膚も、備わった雷功も、父上に学んだ四書五経も、師父から受け継いだ武も、あなたを護る為だった。

偶さかのように出逢い、惹かれあい、光の中にいるあなたを護る覚悟を決める為に、凍りつく別れも、長い夜もあったのだろう。
定めであり必然であり、己の持つ全力を尽くすだけだ。
だから二度と離れない。あの声で呼ばせたりはしない。

「ですから、旅籠は諦めて下さい」
「うん、分かってる」
「・・・は?」
「ハネムーンの思い出の場所になったし、あなたの故郷だし、何かしたいなとは思うわよ?
和尚様もテグさんたちもいるし、町興しに協力するとか。だけどあなたと週末婚なんて絶対イヤだもの」

何でもなさそうにさらりと言われ、またしてもかと舌を打つ。
そうだ、この方の一声ごとに、俺は余りにも考え過ぎるのだ。
ほんの思い付きで口にしただけの戯言にも、狐に出食わした兎のように竦み上がる。
眸を離せば、今にも消えてしまうのではないかと怖くなる。

「え、もしかして」
ようやくこの心中に思い至ったか、あなたは高い声を上げる。
「私がここで、本当にホテ・・・宿屋の経営すると思った?」
「はい」
「どうやって?そんなことしたら別居じゃない!」
「はい」
「そんな事しないわよ!まずは先立つ物もないし」
「有ればするのですか」

それなら俺は金輪際、禄など貯め込まぬ。そうだ、絶対に。
部屋隅に積んで忘れていた革袋など、酒にして飲み干してやる。
なければなくても生きていける。あなたさえいれば何も要らぬ。

「うーん、そうね。その時考えるわ」
その言葉に頭の中で目まぐるしく算盤を弾く。
考えた事すらなかった。
この方の禄はどうなっているのだろう。それを隠れて貯め込まれては元も子もない。
いざとなれば王様に直談判の上、禄を削って頂くのも一つの手。

しかしそれで、この方がお好きな買い物が出来なくなるのも。
いや、それは俺の俸禄で賄えば良い。端から貯める気はない。
「・・・ヨンア?」
「はい」

どれ程思索に耽ろうと、その声だけは聞き洩らさない。
すかさず焚火の前で視線を上げると、この方は俺の眸を覗き込み、小さな手を伸ばしながら尋ねた。
「さっきからすっごく怖い顔してるけど、体調悪いの?ちょっとだけ、脈診てもいい?」

あなたさえ大人しく横に居て下されば、いつでも上機嫌なのだが。
頷いて細い指先に身を委ねつつ、決して気付かれぬよう海風に紛れ、俺は風より控えめな息を吐いた。

 

 

 

 

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2 件のコメント

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    ヨンの心を乱すのは
    ウンス♥
    愛しすぎてドキドキするのはいいけれど
    突然 な、何を…
    びっくりしちゃうわよね
    ウンスが妄想迷子にならないように
    しっかり 捕まえててね~ 旦那様

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