2016 再開祭 | 釣月耕雲・拾

 

 

「隊長!」

顔合わせから皇宮へ戻るチェ・ヨンを待ち侘びたのか。
典医寺へ戻る三人の背後から、テマンが一目散に走り寄った。
「奇轍は開京を離れてます」
「理由は」
「人を、さがして」
「人」
「はい。笛男達は永興に、奇轍は三陟の方に」

チェ・ヨンは侍医と怪訝な目を合わせる。南北に離れて人探し。
誰を連れて来るつもりかは知らんがと肚を決め、ヨンの目がテマンに頷き返す。

ひとまず開京が静かになったのは良い事だ。
この女人が好き勝手に城下をうろつく間、ほんの僅か生きた心地がするだろう。
奇轍たちにどんな収穫があろうと、天界の女人を脅かす敵が現れれば斬り捨てる。

「チュンソクへ報告に行け」
「はい」
「すぐに戻る」
「はい!」
満足気なヨンを嬉しそうに見、テマンは大きく笑う。

「隊長も祭ですね!」
「え?」
奇轍の名にしかめていたウンスの顔が、テマンの声に明るくなる。
「だ、だって、守るんですよね。医仙を」

急に晴れたウンスの顔を見る事はない。
疑いのない真直ぐな目で、テマンがヨンだけを見つめた。

その目にヨンは思う。だから連れて来たのかもしれん。あの時に。
到底口には出せぬ、蓋をしたまま見て見ぬ振りを、気付かぬ振り知らぬ振りを続ける俺。
そんな肚裡を真直ぐ見抜く目を持つこの男を。

「来てくれるの?ほんとに?」
テマンの問いに否も応も答えぬヨンに業を煮やし、ウンスがせっつくように返答を求める。
「ねえ、チェ・ヨンさん。ほんとに来てくれるの?」
「・・・はい」

短く頷いたヨンに、嬉しさの余りウンスは高い声で叫ぶ。
「嬉しい!!それならもう今から手伝ってよ、人手が足りないんだから!!」
「当日」
「何言ってるの、当日だけじゃダメなんだってば!これから商品も準備しなきゃいけないし。
整理もチェックも棚卸も運搬も、ロジスティック業務は山積みなのよ?
来てくれたらお茶出してあげる、体に良いんだから。ユ・ウンス監修の天界の伝統茶よ。
特別に井戸水でうーんと 冷たくしてあげる。早く、ねえ」

一歩半の横から白い指が伸びる。
ヨンの固い芋麻の黒の上衣の袖を握り締め、ねだるように揺らす小さな手。

驚いて袖ごと腕を引いたが、強く掴んだその指は離れる事を許さない。
それとも、と思う。

離して欲しく、ないのだろうか。だから強く引けないのだろうか。
その気ならたかが女人の折れそうな細い指、振り払うなど容易い。

こうして頼って欲しいのだろうか。真直ぐ信じて欲しいのだろうか。
何処にも行かずこの袖を掴める距離にいつも居て欲しいのだろうか。
「早く来てってば!そうじゃないと」

夏の陽の下、悪戯を思いついた幼子のような鳶色の瞳が輝いた。

黒い眸がそれを確かめた瞬間、紅い髪が急に離れて駆け出した。

「3歩のところにいないと、なんでしょ?守るんだから早く来て!」

勝手を言うなと舌打ちをし、その髪の後をヨンが大股に追う。
そんな覚束ぬ足許で、此方を向いて走って転べばどうする。

本気で追えば転ぶだろう。転んで泣くのは見たくない。
あの涙は本当に苦手だ。理由も判らずただ心が痛くなる。

振り向かず真直ぐ前を見て、走って逃げれば良いだろう。俺の事など気にせず、この手の届かぬ処まで。
振り向き確かめるから気にせずにいられない。全力で駆けて行き、いつも此処にいると教えねばならず。

夏の空の下で突如始まったこの鬼遊びは、一体何なんだ。

掴まえられそうで。掴まえれば離せなくなりそうで。
だから手は伸ばさない。但し必ず守る。泣かせぬよう。笑えるよう。門から無事に返すまで。

「仲が良いのか、悪いのか」
取り残されたチャン・ビンの苦笑いの呟きに、テマンがきょとんと目を瞠る。
「い、いいに決まってます。じゃなきゃ、隊長は追っかけません」
当然だと言いたげな素直な声に、チャン・ビンが深く頷いた。

 

*****

 

「フック、クランプ。最初から全部覚えてたわね」

典医寺の明るい部屋の中。
薬缶から薄緑の水を小瓶に分けて注ぎながら、ウンスが楽しそうに小さく笑う。

ヨンはその脇、無理矢理洗わされた大きな手で、満たされた小瓶に蓋をして行く。
「元々きっと頭がいいのね。IQテストしてみたいくらいだわ」

ヨンは何も答えずに、ウンスの手許をじっと見つめる。
無駄口は良いから黙って仕事をしろと言わんばかりの眼つきで。
「だけど性格はどうにかした方が良いわよ?頑固だし、無口だし。前にも言ったけど。
そんな社交性のなさじゃ本当にこの先、独居老人になっちゃう。淋しい老後はイヤでしょ?」
「構いません」

余りに煩い口を閉じさせようと吐き捨る声に、ウンスは笑って薬缶を卓へ戻す。
「そういうところが頑固なんだってば。誰かと一緒に楽しく過ごす。今度のお祭りもそうよ。
私だってもちろん楽しみたいけど、いつも難しい顔で、私のことで悩んでるみたいだったから。
あなたもたまには、外で楽しんで欲しかったのに。勝手にキチョルを見張るとか言って」
「は」
「私が外に出るって言えば、あなたも絶対ついて来ると思ったから、良い考えだと思ったの。
楽しいじゃない?一緒にお祭りなんて」
「・・・共に」
「そうよ。すぐ帰れないなら、帰るまで少しくらいは楽しい思い出作ってよ、一緒に。
いっつも怖い顔してないで」

そんなつもりは無い。また誰かと時を過ごすなど。
一から思い出を積み重ね、笑い合い、言葉を重ね合い。
声にならぬ想いを互いに胸に積もらせ、そして。

最後に絶望の中、独り残されるなど。

「ほらあ!」
その瞬間、ウンスの小さな手がヨンの背を思い切り叩いた。
「そんな顔しないで。あなたが連れて来たんだから、ここにいる間はちょっとくらいサービスしてよ。
優秀なセキュリティなのはもうよく知ってるけど、ツアーガイドしてくれるとか」
「守ります」
「だから守るだけじゃなくて。私が帰った後、あなたにも楽しかったなって思って欲しいんだってば。
ビデオも写真もないけど忘れたくないし、忘れられちゃうのも淋しい」
「それは」

ヨンは息を吐く。
判らなかった。天界の方の考える事は。そして己の欲している事も。
判らなかった。己の事まで配慮して外に出ようとねだっていたなど。

知らなかった。此処にいる間共に思い出を作ろうとしている事など。

判らなければ良かった。知らずにいた方が、良かった。

 

 


 

 

2 件のコメント

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    ウンスさん 人使い上手ね(荒いとも言う)
    高麗の鬼神を 化粧品詰め込み作業に使うなど…
    おそるべし天女!
    祭りに参加、出店して 想い出づくり
    楽しい思い出が 嫌な思い出を上書きしてくれる
    今を 楽しみいましょ (゚ーÅ)

  • こんばんは。
    とても思いがけない展開に少々驚き、そして切ない気持ちになりました。
    ウンスって、好きになっちゃう。

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