2016 再開祭 | 紫羅欄花・拾伍

 

 

握った迂達赤の軍牌に固く結わいた双の金の輪。

そういう事だ。俺にとってこの方との誓いとこの軍牌は同じだけ重い。

選ぶ事は出来ない。この方が医を失えば、この方でなくなるように。

金の輪を固く結わいた根付の絹紐を、指先で解く。
己の掌へと落とした二つの金の輪を最後に固く握り締める。

この方は何も言わず、腰掛けたまま俺を見る。
その向うの窓から射し込む光の中で、亜麻色の髪が透ける。

この金の輪を対で残す為、成せる全てをしたか。
己に出来る最大限で、全ての力を尽くしたか。

眠れぬままの長い夜、幾度も自問した声を繰り返す。

悔いは無いか。道は曲げられないか。
敵に頭を下げる芝居は出来ても、この方には出来ぬか。

もうこの方に告げるべき声は、一つも残っていないのか。
俺の連理枝。俺の比翼鳥。魂で乞い慕い求め続けたこの方に。

金剛石が肌を喰い破る程に握り締め、そしてゆっくり掌を開く。

「イムジャ」

例えあなたがこの腕に二度と戻って来ないとしても。
「あなたを護り続ける」

例えその花の香を二度と近くで感じられぬとしても。
「あなたを探し続ける」

例え今生で離れ、金の輪が切れてしまったとしても。
そういう事だ。総てを護るか、捨てるかしか知らん。

「本当に済まなかった」
「何で、そんな事言うのよ」

あなたの声に曖昧に笑う。
本当だ。己の道を変えられぬくせに詫びても何も始まらない。

「変えられぬ事も、変えてしまった事も。あなたを巻き込んだ事も、そもそも連れて来た事も。
全て捨てさせた事も、戻らせてしまった事も、そして何より」

これ以上続けられずに声を飲み込む。

そんなに悲しい顔をさせる事も。

初めて出逢った時のあの鮮やかな、溌剌とした光の中の姿。
大勢の聴衆を従える小さな王のような、自信に溢れた笑み。

殴られて顔を腫らしても、俺に楯突いたあの怒り顔。
どれ程怯えても涙を浮かべても、悟られまいとする負けん気。

その高い声。花のような笑い顔。小さな手で俺を手招く姿。
俺を凭れさせ、花を髪に飾り、ふざけたように揶揄うその瞳。

この氷を溶かし、彩を思い出させ、もう一度温もりをくれた。

例え奇轍に攫われても、王様の駒となっても、徳興君と対峙しても。
いつであろうとこの方は俺の為にだけ笑いそして泣いてくれたのに。

あの丘で凍った俺を振り返り、そして長い時間をかけ戻ってくれた。
まるで迷った小鳥が、逃げた蝶がもう一度、この肩に戻るように。

愛という言葉を教えてくれた。それさえあれば心は通じるのだと。
そして俺の為、周囲の全てにその彩と明るさを振りまいてくれた。

白一面の原にある日咲く、最初の雪割草のように。
強い陽に凛と顔を向ける、大きな向日葵のように。

秋の冷たい風に優しく揺れる、儚い秋桜のように。
雪の重みにも負けず折れない、紅い南天のように。

いつでも胸に揺れる一輪きりの黄色い花のように。

誰もがその花に惹かれ、その花を守る為に力を尽くして来た。
そして俺の周りには、いつしか身に余るほどの力が集まった。

そんな俺が、最後に誓える事は。

「あなたを愛し続ける」

そういう事だ。例え何があろうと。今生の運命が捩じれようと。

「これからもあなたに全てを伝える事など出来ん。荷を負わせる事も。
文を無視したわけでは無い。ただ墨を磨るくらいなら顔を見たかった。
返事を認めるくらいなら抱き締めたかった」

その声にあなたの顔色が変わる。
まるで絵師の上手がひと刷毛刷いたように、その頬に朱みが戻る。

「だったらそう言ってよ!最初から!」
「言う暇さえ無かった」
「そんなの知らなかったわよ、ただ無視されてるとしか思わなくて」
「無視などしていない」

卓の小机に束ねて結わき、しまってある手紙の束を思い出す。
畜生、あれも懐に忍ばせておくべきだった。
小さく唇を噛み首を振る。

「あの、文の最後の天界の言の葉は」
そうだ。あの懐かしいこの方の手蹟。

만나고 싶다… 사랑 해요

まるで結びのように、どの文にも同じように書かれていた。

「絶対教えないわよ。勝手に調べなさいよ」
「この世で知るのはあなただけだ」
知らぬ文字を、どうやって知れというのだ。

「あなたも同じように思ってくれてるなら、きっと分かるわよ」

この方は、どうして此処まで無理難題を吹掛けるのか。
今の世に未だ生まれていないという文字を、誰が判る。

「俺が思っていたのは、ただ逢いたいと。愛していると。
こんな風にして済まないと、そんな事くらいだ。
天界のあの文字が判る筈が」
「・・・逢いたかった?」

突然問われ、思わず呆れた息が漏れる。
「当たり前だ」
「愛してる?」
「当たり前だ!」

この方は思った以上に愚かなのだろうか。
何故判り切った事を敢えて口にして問い掛けるのだろうか。

「だったら先に言いなさいよ!!」
何故かその脚元に散らばっていた枕を小さな手が一つ掴み、思い切り投げつける。

其処に枕がある事も不思議なら、いきなりのその声も意味が判らん。
余りに近い上に寝台の頭板に背を凭れ避け切る事も出来ず、伏せた頭の後の壁に当たった枕が勢い良く肩へ落ちる。

そんな俺に斟酌する事も無く、この方は遠慮なしに二つ目の枕を掴む。
「どれだけ心配したと思ってるのよ!!顔色は悪いしご飯は食べないし、毎日帰って来るのは夜中過ぎだし!
理由も分からないのに急にテマンや手裏房のみんなが一緒にいるようになるし!!」

叫び声と共に二つ目の枕が飛ぶ。
「言えなかった」
「全部言う必要なんてなかったでしょ?!
ただ逢いたい、愛してるって言ってくれれば良かったじゃない!!」
「判り切った事を言ってどうなる」
「分かり切ってても言うべきなの。分かってるからこそ毎日言ってほしいの。
そうすれば全部伝わるって教えたじゃないのよ!!馬鹿!!
馬鹿ヨンア!!出し惜しみしてるんじゃないわよ!!」
「出し惜しみ」
「私は毎日書いたわ、あの手紙に毎日書いた!逢いたい、愛してるってずっとそう書いて来たんだから!」
「出し惜しんだのは其方だ!」

あの天界の文字。そんな意味だったのか。
漢文にその言葉が無かった以上、あの天界の文字がそういう意味だ。

「通じない文字で書いて、伝わるわけが」
「だから言ったでしょ?同じ気持なら伝わるって」
「ならば言えば良かっただろう」
「いつ?いつ言えたのよ、あなたが寝てる時何度も言ったわよ!!」

鳶色の瞳が涙をいっぱいに溜めて、真直ぐに俺の眸を見た。
「言ってたのに気付かなかったのはあなただわ。聞いてくれなかったのは、言うチャンスもくれなかったのはあなたじゃない!!」
「ならば漢文で書いてくれ」

そうすれば即座に判った。判れば此処まで拗れなかった。
拗れなければ今この掌の中に、金の輪が二つ残る事も無かった。

「どうやって?誰かに聞く?叔母様か媽媽かキム先生に聞くの?
逢いたい、 愛してるって漢字でどう書くんですかって?
そんな事したらあなたが恥ずかしいと思ったから、しなかったのよ!!
聞けば良かったわけ? そんな事したらどうなると思う?」
「・・・それは」

その光景を思い描くだけで顔から火が出る。
確かに誰に訊いたとしても、この面目は丸潰れだった。

叫び声に躊躇し、避けるのを忘れた俺の胸に三つ目の枕が当たる。
思った以上の勢いに、寝台の足許、肩で息をする方を見つめ返す。

俺は気付かぬままもう一つ、また大きな間違いを犯したという事だ。

 

 

 

 

10 件のコメント

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    やっと!
    お互いに真正面から
    思いをぶつけ合いましたね(^^)
    二人には、これが足らなかったんですよ~~
    ウンスさん~
    ヨンにハングルを教えてあげてね❤
    貴女が漢文を覚えるより
    ヨンの方が早く覚えそうだから(笑)

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    はいはい
    もう しようがないわねー。
    ハングルと 漢字じゃねぇ
    大事な 文字は お互い覚えておきましょうかね
    また いきちがわないように
    ここは素直に 枕に当たっておくべし
    (๑´ლ`๑)フフ

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    そうかぁ、この時代、墨をすらないと手紙を書けなかったのね。そんな暇があったら顔を見たかったというヨンの気持ちもわかるわぁ。
    わかっていると思っても言葉でちゃんと伝えないと伝わらないことって、確かにありますね。
    後から「あのとき言っておけばこんなことには…」なんてこと、あるある。
    ウンスは、ヨンの口から(文でも)、何か言葉がほしかったのね。
    誤解が解けたから、もう二人はだいじようぶですね!!

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    はぁ
    じれったい…。
    もどかしい…。
    男と女って…。
    つい最近同じ様な夫婦喧嘩をしたばかり。
    他人事(ヨンとウンス事)ながら
    ちょっと恥ずかしい私。反省。
    客観的にみるとこんなんなのねぇ…。
    どちらかが折れるべきなのか、
    それぞれの人間性の成長も含め夫婦関係の進化のために納得できる答えがでるまでたたかうべきか
    なやましい。
    それとも第三の道がある?
    ウンス、ヨン どうか二人らしい答を出してほしい。頑張って!

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    間違いじゃないよ。
    ただ、大切だっただけ(*^ー^)
    ただ、忘れていただけ(^ー^;A
    生まれと環境が違う事。誰も知らない場所にお嫁さんに来た事。『俺の対面も守って下さい。』と言った事。
    たぶん…。貴方が心から言った言葉も仕草も、ぜ~んぶ。ウンスは覚えるヨン。(⌒‐⌒)

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    ウンスの言葉にも泣けました。
    二人は似た者同士なのね。
    思いやるばかりにすれ違うことあり
    言葉が足りない。
    ヨンの味方なんて言ったが
    ウンスを侮りました。(-""-;)
    さすがはさらんさん
    素敵なやりとりです。
    心に染みます。

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    さらんさん、おはヨンございます♪
    離れたってぶつかり合ったって結局導かれる答えは1つなんですよね。
    ヨンは護り続けること、愛し続ける事しか出来ない
    ウンスだってそれは同じでしょうね。
    ただ、漢文が分からないウンスが伝える術が少なくて、他の人に聞くわけにもいかなくて、ヨンの面目まで守っていたなんて、これについてはヨンの誤算でしたねw

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    さらんさん。
    雪割草、向日葵、秋桜、南天…T_T
    懐かしくて、自分の頭に浮かんでくる情景を思い描いています。
    キーワードだけでも、その世界を感じられるのは嬉しいです
    さらんさん、ありがとうT_T

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