2016 再開祭 | 寒椿・結篇 〈 下 〉(終)

 

 

この男は大したものだ。認めたくはないが。
さっきのニアミスで武術の腕前は判った。それだけでなく頭の回転も舌を巻く程早い。

この状況でこれ程フレキシブルに思考を切り替えられる人間はそう多くない。
現代でもそうだ。まして情報も知識も手に入れようのない、14世紀の高麗で。
さすが俺の・・・
そこまで考えて頭を振る。仮説とはいえ飛躍し過ぎだろう。
いや、そこまで行けば仮説ですらない。単なる小説になる。

「お前を防犯ビデオで見た」
「防犯」
「ああ。ウンスを攫った部屋に設置されていた」
「・・・あの並んだ匣か」

並んだ箱? 一体何の事かと首を傾げる。しかし今重要なのはそこじゃない。

「お前の動機は何だったんだ」
「動機」
「何故ウンスを攫った?彼女を選んだ理由は?あの場所に医者はたくさんいただろう」
「・・・眸に飛び込んで来た」
「なるほど。他に理由はないんだな?」
「ない」

運命や輪廻、そんな不確かなものなど証明のしようがない。そう切り捨てるのは簡単だ。
けれどこの男の仮説。4日前、目の前で輝いた弥勒菩薩の台座。
第一それなら今こうしてここにいる自体、説明のしようがない。これが悪夢でないなら。

「崔瑩」
「・・・何だ」
「そもそもお前の話では21・・・ああ、最初にウンスを探しに来た理由は、王命だったんだな?」
「ああ」
「お前の意志ではないんだな?」
「諄い」

ではウンスの仮説も成立しない。意志が先。
そもそもこの男にその意思がなかったのだ。
「彼女にプロポーズした」
プロポーズの意味が判らないのだろう、男は胡乱気に眼を細めた。

「この時代の言葉だと、求婚か。求婚した」

端的に事実を告げた瞬間、崔瑩の顔色が変わる。
また剣を握って立ち上がる気じゃないだろうな?
往なすように軽く手を上げて見せる。敵意からの言葉じゃないと証明する為に。

「気にするな。その場で断られてる。隠すのはフェアじゃないと思ったから言っただけだ」
「余分な事は良い」
「余分かな?」

余分な情報だろうか。
ヒョナをあんな形で失ってから誰にも興味を持てなかった俺が、ウンスに対しては焦がれるように思った。
「・・・守りたかった。そして帰したかった。何と引き換えでも」

最後の呟きに、崔瑩は何とも形容しがたい視線でこちらを見た。
そう思った。職務も倫理も無視して、問題になっても構わないと思った。
「そうか」
「崔瑩」
「何だ」

何故そんな事を思い付いたのだろう。けれどどこかで、妙に確信めいたものがあった。
そうなれば調べずにはいられない、この探究心は悪癖か?

「髪をくれ」
「・・・何」
「ウンスに聞いてるかもしれないが、お前は俺達の世界では有名人だから。会えた記念に、髪をくれ」

こんな頼みは初めてなのだろう。奴は思い切り顔をしかめた。
「孝経を知らぬのか。身体髪膚之受父母」
「ああ、それは知ってるが、くれ」

リスク軽減の為に、出来ればその手で抜いて欲しい。
重ねて頼んだ俺にうんざりした顔で、崔瑩は自分の頭から無造作に数本の髪を抜いた。
それをジャケットの懐から出して広げたハンカチに受ける。
毛根までついている事を確認して、丁寧に包んで懐へ戻す。

「髪の代わりに教えろ」
崔瑩はハンカチの包みを収めた俺の懐を見ながら言った。
「その懐には、何が入っている」
「これか?」

そのままジャケットのボタンを外し前を開いて見せる。
ホルスターに納まった銃を確かめ、奴は目を見開いた。
「それは」
「リボルバー。銃だ」

ホルスターから抜いてセイフティロックを確認し、テーブルの上に静かに置く。
崔瑩は俄然興味を持った様子で、それに指を伸ばす。
「触って良いか」
「もちろん。但し荒っぽく扱うな。暴発しないように」

リボルバーを見た事がないのは当然だろう。発明されたのが16世紀なのだから。
既にこの時代にも中国に銃の元祖、ハンドキャノンはある。
しかし高麗時代は火薬すら手に入れるのは至難の業だ。
韓国の火薬製造は1370年代、発明者は確かチェ・ムソン。
火薬が自由に入手できない以上、近代的な武器発明への道は遠い。

「どう使う」
「ここに、弾を装填する」
シリンダーを開き、中の銃弾を取り出してセットし直してみせる。

「そして狙いを定めて撃つ。それだけだ」
一発目は空砲とはいえ、衝撃も音もある。
室内で撃つわけにはいかず、モーションだけを見せる。
崔瑩は一連の動作を逃さずに見詰めた後で、息を吐くと言った。

「飛発に似ている」
「それがこの銃の元祖らしいぞ」
「ふむ」
「撃ってみるか?」

表はさっきまで吹雪だったが、峠は越えたのか。降り続いていた激しい雪は今はもう止んでいた。
この兵舎の敷地の中なら塀に囲まれている。むやみなところに着弾しなければ、雪崩の恐れは少ない。

一瞬考えるようにテーブルの上のリボルバーを眺め、奴は何故か首を振った。
「止めておく」

興味があるとばかり思っていたが。
肩透しを喰らった気分で確かめるように顔を見ると、リボルバーを指して崔瑩は言った。
「撃てば欲しくなる。高麗にはない武具だ」

これ以上話す事もないのだろう。揺れるロウソクの中で崔瑩は立ち上がる。
「キム・テウ」
「何だ」
「あの方は護る」
「・・・そうか」
「己の道を行け。もう良い」
「絶対にウンスを幸せにすると誓うか?」

唐突な質問に崔瑩は無言で立ったまま、こちらを見下ろした。
「あいつが不幸になる事だけは許さない。泣かれるのだけは我慢出来ない。誓えないなら今連れて行く。
もともと21世紀の人間だ。だから今、崔瑩、お前の答を知りたい。誓うか?」

そうか、最初からこれを訊きたかったのかもしれない。
最後まで胸につかえていた、この質問の明確な解答を。

連れて帰りたい。ウンスのいた世界に。俺と同じ世界に。
ご家族にも会っている。今頃きっと心配しているだろう。

けれどそれであいつは幸せだろうか。
激しい雨の夜から見続けて来たあいつは、戻れば幸せだろうか。
連れ帰れば泣くだろう。ヨンア、ヨンアと哀しい声で呼ぶ筈だ。
あの声をもう一度、そして生涯聞く事には耐えられそうもない。

「お前には、どう見える」
崔瑩は解答を返すのではなく、そう問い返した。
「お前の目にはどう見える」

何回も訊かれれば、だんだんと腹が立ってくる。勝負は初めから決まっていた。
全員が目に見えない手で置かれた駒のように、その采配通りに動かされた。コンピュータのチェスゲームのように。

恐らく俺の前で、何度でも扉は開くだろう。もしそう望めば。それによって進む筈だった俺の人生が大きく変わるだろう。
俺には俺の道がある。決められている道を曲げてはいけない。出逢うべき人間と出会い、手放すべき手は手放さなければ。

俺の道が変わる事、それは俺自身の人生を放棄するにも等しい。
あの時知ったウンスが半狂乱で病室でPCを投げたよう、それによって俺が誰かの運命をも変えてしまうかもしれない。
追い駆けるべき人を探す事、そして迷わず手を伸ばす事。
世界のどこかに俺を呼ぶ声があると信じて。そこで俺を待っている人がいると信じて。

「お前を信じる」
「それが真実だ」

崔瑩は最後に言って、二度と振り返る事なく部屋を出て行った。

 

*****

 

「よう、テウ」
デスクの上にはPC。ポケットにはスマートフォン。部屋の隅にはコーヒーメーカーとウォーターサーバー。
天井にはLED照明が煌々と列をなし、部屋中を眩しく照らす。

ブラインドで半ば閉じられた窓の外は真冬の夜。大寒波に晒される中でも、色とりどりの光が瞬いている。
そのライトに照らされて、窓外の寒椿が北風に揺れていた。
温かい部屋の中は理屈抜きで快適だ。やはり結局現代人。高麗という異次元では生きて行けない体らしい。

国情院のデスクの俺に、部屋に入って来た男が声をかけた。
「どうしてたんだ?風邪か?」
「ちょっとな」
「不在を誤魔化すのに冷や汗かいたぞ。連絡しても返事ないし。誰かにメールくらいはしてくれよ」
「悪かった。お礼に奢る」
「帰れるのか?」
「ああ。行こう」

ハンガーにかけていたコートを外して羽織りながら言うと、男は嬉しそうに頷いた。
「遠慮なく奢ってもらうぞ。明日は休みだろ?」
「お前もか?」
「当然。国家公務員だぞ、週休2日くらいは保障して貰わないと」

そんな風に声を交わしながら、連れ立って部屋を出る。
「なあ。DNA型検査って検体の有効期限はどれくらいだ?」
横の男に尋ねると、奴は呆れたように息を吐く。
「本気で調べるつもりで、装置と時間と金さえあれば一万年前。もちろん新しいに越した事はない」

持ち帰った髪は、すぐに検体キットの試験官に詰め替えた。
あの時、俺は何を証明したいと思ったのか。
そしてもしも仮説通りの答が出れば、何をするべきなのか。
知りたいのか、知りたくないのか。そして何を知るべきなのか。

「何だ?調べたいなら病理に回してやるから、いつでも持って来いよ。なるべく検体が新しいうちにな」
「その時は、頼むかもな」
「任せとけ。で、ユ・ウンスの失踪の件は片付いたか?」
「・・・そうだ。もう全部終わった」
「御咎めなしだろう?何しろ現場で所轄の刑事から警察官まで、全員が見失ったらしいからな」

全部終わった。ウンス、お前が倖せだったからそれで良い。
それが俺の目が見た、心が感じた真実だ。
それが知りたかっただけなのかもしれない。高麗まで出向いて。
どこかで聞いた懐かしい声で、駄目押しされたかったんだろう。

それが真実だ。

そんな短い言葉で。

「ああ、今晩は冷えるな」
廊下を歩く同僚はそう言って肩を竦め、コートの襟元のボタンを一番上まで止めた。

「いや、これくらいならまだまだだ」
「お前そんなに寒さに強かったか?」
「鍛えられたんだなぁ」
隣の男は意味が判らないというように、俺の横顔をじっと見る。

寒い冬を乗り切るには、抱き締め合う温かさだけが頼りだろう。
そして道が歪まなければ、いつか俺も巡り会うのかもしれない。
その温かさに感謝する為に、今は寒さも知らなければならない。
離したくなかった手を離す方法も覚えて行かなければならない。
いつか巡り会う掴むべき手を、迷わずに掴めるように。

自分のバースマーク、左の眉の傷を一瞬だけ撫でる。
お前があの頃労るように、何度も触れてくれた傷を。
でも今はひとまず、この空っぽの手に必要なのは分厚い手袋だ。

ポケットから取り出したヘアシープの手袋を嵌め、コートの襟を立て、俺達は並んで大寒波が襲来中の町に一歩踏み出した。

 

 

【 2016 再開祭 | 寒椿 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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