2016 再開祭 | 薺・結篇(終)

 

 

俺達だけをそこに残し、大護軍が医仙を促して少し離れた蠟梅の木下へ歩む。
判っている。
俺たちの事を慮り、俺達だけで話せるようにとこの寒さの中、お二人だけで帰る事もせずにああして下さっている。

それでもまるで戦場の真中、唯一の仲間と逸れたような心細さに襲われる。
こうしてキョンヒ様と向き合って、一体何を言えば良いのか。
思いもよらなかった天界の婚儀の則のあれこれを伺った後に。

まだその気配さえないこの雪が残らず解ければ春が来る。そうなればキョンヒ様との婚儀の日が来る。
大護軍と医仙の時、どこか他人事のようその慌ただしさを見た。
次は己の番だと、どうしても考える事が出来ないままで。

大護軍がどれ程長い事、医仙を待って来たのかよく知っている。
その辛さもそして切実さも、俺は味わった事がない。
俺はただ抗えない流れに呑まれ、水を掻く事も方向を決める事も出来ずに勢いに揉まれ、気付けば見知らぬ川岸に辿り着いていたようなものだ。

考え過ぎはいつもの癖だが、行動を起こすとなれば話は違う。
だが今直面しているのは、考えてどうにかなるものではない。
求められているのは思案ではなく行動。俺に一番足りぬ物。
己の婚儀であり、これから長い時間を共にしていく女人の望みを、どんな形で叶えて差し上げるかの瀬戸際だ。

大護軍が赤月隊から迂達赤に移って以来、考える間もなく即断即決する姿を側で見て来た。
俺からすれば軽挙妄動に思えても、その策が失した事は未だかつて一度としてない。

この若い隊長は浅慮なのでも軽率なわけでもない。
俺など及ばぬ程に頭の回転が速く、そして瞬時に正しく状況を読む目が備わっていて、即座に行動に移す力があるから考えていないと見えるだけなのだ。
そう思い至るまで、どれ程時間がかかったか。

そんな人の横で自分を認めるのは難しい。何しろ理想の男が常に目の前にいる。
比べるなと言われても無理だし、真似するなと言われても難しい。
結局俺はいつも誰よりこの人に憧れ、背を追っている。
その回転の早さで必要と不要を判じ、その目の高さで状況を読み、その迷いなさで動きたいと思う。

雪の庭でこうして向かい合う、大切な小さな姫の為に。
白い息を吐きながら、真黒な瞳で俺を見上げるこの姫の為に。

大護軍がご自身の全てを懸けて医仙を護るように、キョンヒ様を守りたいと思う。
もちろん護る必要があるような、そんな恐ろしい目に遭わないでいて下さるのが最良だが。
「チュンソク」

木偶の棒のようにつっ立ったまま思案に暮れる俺に痺れを切らしたのか、キョンヒ様が小さく呼んだ。
「チュンソク・・・」

まるで氷を握ったような、冷え切った指が俺の爪先に遠慮がちに触れる。
その足許の雪の中、ようやく芽吹いた薺の緑。
目立たず地味だが冬に咲く強い花、魚毒を消す薬草だ。
俺もそんな風に、自分らしい道を行きたい。自分にしか出来ん事があると自信を持って。

「ご機嫌が悪いのか」
「・・・いえ、そんな事は」
「でも、怖い顔をしてる」
泣き出しそうに黒い眉を下げ、キョンヒ様が無理に笑ってみせる。

「笑って」
「ええ」
「またチュンソクが嫌がる事をしたのか。あの剣も、チュンソクは嫌なのだろうか」
「そんな事はありません」

俺の顔色など伺う事はない。キョンヒ様はいつも笑って、元気で、明るい声で呼んで下されば良い。
そして俺といれば幸せだと、もしもそう思って下されば、それに勝る薬などない。
俺は考え過ぎてしまうし、行動に移すのも遅すぎて、時に飽きる程待たせてしまうかもしれないが。
何が正しいのか、俺はどうしたいのか、一度は決めた筈の答ですらまた振り返って考えてしまうが。

「キョンヒ様」
そんな俺を支えたいと言って下さる、この小さな姫。この方の思いに背く事や、期待を裏切る事だけはしたくない。
俺が一声呼んだだけで頷いて、丸い瞳を見開いて、いつまでも答を待って下さるのはこの方だけだ。

「本当に、あの剣の橋をくぐりたいですか」
「うん。チュンソクの何より大切にするお仲間にお願いしたい」
「公主様や儀賓大監に、ご迷惑は掛かりませんか」
「絶対ない。母上も父上も、皇宮との御縁は極力断っておられる。却ってその立場の我が家の方が、チュンソクのご迷惑になったら」
「それはありません」

そうだ。考えれば考えるほど、姫のあの時の騒動が功を奏している気がして仕方がない。
俺の言葉が原因だったとしても、第一に王様の御立場を配慮しての騒動だったとしても。
それでも一貴族の姫となられた方が、共に過ごしやすい事は確かだ。

こうして受け取るばかり。小さな姫に大きく包んでもらうばかり。この辺りで性根を入れ替え、肝を据えねばいかん。
いつまでもあの人に憧れるだけ、この姫に包まれるだけでは。

あの背が見せてくれるように全身全霊で、何もかも擲ってくれたこの小さな方を守っていく。
きっと婚儀とは、その誓いを交わす場なのだろう。天界も下界も。

確かに格式も大切だろう。形式も守るべきだろう。
けれど心からの誓いを交わすなら、その誓いを立てたい方々は。誓いの声を聞き届けて欲しいのは。

「キョンヒ様」
「うん」
「一つだけ、お願いがあります。婚儀の場には相応しくないかもしれませんし、縁起でもないとおっしゃられても仕方ありません。
しかし」

あの二本の剣が天に描く弧。その下を歩く俺達を守ってくれる橋。
俺の新たな旅立ちを、これからは命に代えても守りたいこの姫を、もし共に見守ってくれるなら。守って欲しい者がいるとすれば。

難しい顔をしていたのだろう。キョンヒ様の柔らかな手が、気遣うようにこの手を握る。
頭一つ半低い処からじっと見上げる黒い瞳に目を合わせやすいよう少しだけ膝を折り、俺はそれを見つめ返した。

 

*****

 

「お願いします」

迂達赤私室の三和土前。
背を真直ぐに伸ばした男は、深々と頭を下げた。
「御許しを下さい」
その顔すらあげぬまま、床に向けて顔を伏せて言う。

「あれは奉納した。誰のものでもない。使いたければ使うのは構わん。
ご家族が残っている奴の分は、ご家族にお許しを頂け」
「良いのですか」
「トルベの槍はトクマンが継いでるからな。奴に許しを」
「ありがとうございます、大護軍」

普段は誰より石頭で融通の利かぬ、枠を壊さぬ男の頼みだ。
万が一トクマンが断れば、蹴り飛ばしてでも頷かせてやる。
ようやく安堵したように上げた男の顔を確かめる。
まさかあの寒い庭で、そんな事を話していたとは。

「チュンソカ」
「は」
「儀賓大監御一家に、御諒承は頂いたのか」
「はい。頂きました」

俺達にとってはいつまでも同朋であり戦友でもある。
生きておろうと先に逝こうと何一つ変わる事はない。
最後まで握っていた剣や槍、弓は纏められる限り纏め、位牌と共に奉納堂に祀ってある。

其処を訪れるたびに祈る。これ以上増えぬようにと。
出来る限り守る。お前らもどうか力を貸してくれと。

しかしそれを持ち出して、あの剣の橋を作りたいと言い出すとは予想の外だった。
言ってしまえば今際の際に手にしていた、奴らの魂が篭められた一振一矢。
迂達赤にとっては戦場を共にした朋でも、儀賓大監のご家族には一切関わりない。

死者の物として粗末に扱われれば腹が立つ。
しかし気味が悪いと思うなら、そのお気持ちも判らぬでもない。
そしてそのような扱いを受けるなら、迂達赤として持ち出すのも使うのも許すわけにはいかん。
「婚儀だぞ」
「は」

その一言で判ったのだろう。さすがに長年面倒を掛けて来ただけの事はある。
チュンソクは迷いない視線で三和土の俺を見る。
「だからこそです。迂達赤の奴らには列を作ってもらいますが・・・他の奴らにもどうしても報せたいので。見守って欲しいので」
「そうか」
「はい」
「なら良い」
「はい、大護軍」

窓の外の雪は深く、ただ白く、鍛錬場の面を覆い隠している。
それを囲む木々が櫻である事も、こんな冬の間は忘れている。

庇うものもなく吹きつける北風に折れぬよう、揺れる裸木。
そして雪が解け、春が来れば皆が思い出す。

春が来た。長かった冬は終わり、もう一度今年の櫻に会えた。
今年もまた此処から再び始まる、新たな季節に思いを馳せる。

あの頃共に泥に塗れ、汗を流したお前たちを思い出す。
忘れる事はない。横に居ろうと居るまいと。
問い掛ける。今は安らいでいるかと。
そして祈る。其処から守ってくれと。

チュンソクの婚儀。まさか誰一人思いもしなかったろう。
この堅物があんな幼い王様の姪姫様に骨抜きになるなど。
揶う奴も居ろうし、驚く奴も居ろうし、不安にもなろう。
そしてこいつと新たな縁を結ぶ姫を守りたいと心から願うだろう。俺のあの方の時のように。

「チュンソカ」
「はい、大護軍」
苦労する。後悔する。そして今まで生きて来たいつよりも、きっと倖せになれる。
命が惜しくなる。己の為でなく、一人きり残したくない方の為に。
贐の言葉は、婚儀当日に贈るとして。
「必ず、良い式になる」

それだけは保証する。
「はい、大護軍」

冬陽の溢れる兵舎の私室で、奴は迷いなく笑って頷き返した。

 

 

【 2016 再開祭 | 薺 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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2 件のコメント

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    キョンヒ様 よかったね
    大事な チュンソクの為
    チュンソクの大事な人達に 見守られて
    幸せになりたい♥
    キョンヒ様のお願いですもの
    叶えてあげなくちゃねー
    春が待ち遠しいですね。

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    さらん様。唸ってしまいました。ステキ過ぎて。
    リクのリク?したいくらいです。この婚儀、見たい❗️
    番外編とか。
    ありがとうございました またまた大切なお話が
    増えました(^ ^)

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