2016再開祭 | Advent Calendar・8

 

 

「えーっと・・・」
開いた冷蔵庫のドアから洩れる青白い光の中で彼女が唸る。
「・・・重ね重ね、申し訳ありません」
一緒に冷蔵庫の中を覗き込んだ俺は、二の句が継げずに体を縮めて頭を下げる。

言い分はある。本当に仕事が忙しかった。飯は9割方外食だ。時にはその外食する暇さえ惜しんで仕事に没頭した。
ただひたすらウンスを忘れる為だけに。
だから有給が溜まりまくっているのだし、そのおかげで1か月もの長期休暇を取れるのだし、先輩の頼み通り彼女のガードも出来る。

ただ久々に意識して覗き込んだ冷蔵庫の中身は、どんな言い訳を並べてもフォロー出来ないお粗末さだった。
オレンジ1つ、ボトルのグレープフルーツジュースが2本。
キャニスターに移ししまい込んだコーヒーの粉は、いつ挽いたか思い出す事も出来ないほど以前のものだ。

野菜室にタマネギが2個、冷凍庫にパック入りのブロッコリーと人参が1袋ずつ。以上。
肉も魚もスープストックどころかダシダも、テンジャンもコチュジャンも、パンチャンは疎かパックのキムチすらない。

冷蔵庫だけではない。フードストッカーも同じような状況だ。
缶詰も瓶詰も、乾燥パスタもインスタントのパスタソースも、それどころか国民食ともいうべき袋入りのラーメンもない。

これは非常事態と言っても良い。この悪天候に非常食も備えていないとは、危機意識が低すぎる。
何でも自由に使ってくれが聞いて呆れる。使う物が全くないのに。
「あの、テウさん?」
小さくなった俺を気遣うよう、クォン・ユジが優しい声を掛ける。
「はい」
「さっき言って下さいましたよね。用事があれば声をって」
「ええ」
「行きたい所があるんですけど・・・良いでしょうか?」
「行きましょう!」

すかさず冷蔵庫の前から立ち上がって、無駄に声を張る。この気まずい冷蔵庫から逃れられるならどこにでも付き合う。
そんな俺をしゃがんだままで見上げたクォン・ユジが、にっこりと笑うと続いて立ち上がった。

 

*****

 

車を出すと提案したが、彼女は歩きたいと言い張った。
「ロッテマート、eマート、ホームプラス、SSG」
歌うように口ずさみながら雪の中を歩くクォン・ユジ。

「どこが良いかなあ。テウさんはどのマートが好きですか?」
「違いは判らないので、お任せします」
「取り扱いの自社ブランドが違います。テウさんは何が食べたいですか?」
「何でも、作りたいものを思う存分作って下さい」

そして唯一、これだけは自信を持って言う事が出来る部分を強調するよう、声を大きくする。
「鍋とフライパンとガスコンロは確実にあります。炊飯器も電子レンジも、もちろん食器もカップ類も」
「はい、お借りします」
楽しそうな彼女の横、雪のおかげで人通りも疎らな周囲をさり気なく確認する。
尾行の疑いのあるような怪しい人影はない。少なくとも今はまだ。

「テウさん。あそこ」
周囲に視線を巡らせていた俺と同じように、クォン・ユジも見ていたらしい。
囁いた彼女に驚き、その横で足を止める。
誰かに、もしくは何かに気付いたのだろうか。
緊張して息をひそめた俺に、彼女は通りの先の一点を指した。

「可愛い・・・」

そこにいたのは一匹の若い猫。
塀の上、空に顔を上げて降ってくる雪を不思議そうに見ている。
「可愛いですね、テウさん!」
「・・・・・・はあ」

自分の口から溜息とも同意ともつかない息が漏れる。ついさっき盗聴器を発見し、尾行を警戒している時に言われても。
どうもクォン・ユジと出会って以来、自分のペースを崩されている気がしてならない。

納得出来ずに首を捻って、再び雪の中を歩き出す。
猫は人馴れしているのだろうか。俺達が近づいても慌てて逃げる事もなく、塀の横を歩く二人連れに不思議そうな視線を投げた。

俺も不思議だよ。

猫の横を通り過ぎざま
「風邪ひく前に帰れよ」
呟くと、猫ではなく何故かクォン・ユジが
「はい!」
と元気良く頷いた。

 

「トッポッキ!」
「・・・はい」
「食べたいです。テウさんトッポッキは好きですか?」
「・・・ええ」

人が少ないのが救いだ。その声に注意を向ける人間はいない。
平日の昼の大型マートの食品売り場は、雪の影響もあって閑散としている。
体に比べ大き過ぎるカートを押しながら、クォン・ユジは遠慮なく大きな明るい声を上げた。

「じゃあ、作りたいです。ソースは手作りしても良いですか?」
「はい」
頷くと嬉しそうに広々とした通路でカートを半回転させた彼女は、急いでコチュ売り場へとカートを押し始める。
しかし途中で思い出したように
「あ、玉子、玉子も!テウさん、ゆで玉子は入れますか?」

そう言ってもう一度、今来たばかりの通路へとカートを戻す。
「チーズも入れると美味しいんですよねー。テウさんは入れる派ですか?タンパク質は筋肉に大切ですよね」
「・・・ユジさん。俺の事は良いです。チーズでも玉子でも、コチュでも水飴でも、ハムでも野菜でも入れて下さい、好きな物を」
「すごい!よく御存知ですね。普通男性って、トッポッキのタレが何で出来てるか、知ってる人は少ないですよ」
「海外が長かったので」
「海外が長かったら、なおさら知らなそうなのに」
「現地では手に入る食材が限られるので、似た味を作る為に調べるようになります」
「なるほど!」

クォン・ユジは広い通路でカートごと立ち止まって俺を見上げる。
ダメだ。この女性に任せていてはトッポッキがいつ出来上がるか、それどころかいつマートから出られるのかも判らない。

俺はその両手が握っていたカートの押し手を、選手交代とばかり横から代わりに握って押し始める。
買い物には順序がある。マートの食品の配置はどの店も大差はない。
販売エリアの正面左右、多い時には中央にも、2~3か所の入口。
販売エリアの壁に沿った三方は冷蔵、および冷凍食品。一方はキャッシャー。
それに四方を囲まれ、中央部分には調味料、乾物、乾麺やパスタ、飲料、菓子、その他雑貨がコーナーごとに陳列されるのが基本。
それを頭に入れ、必要な物に狙いを定め、最短距離の移動で的確にカート内へ商品を入れれば、無駄な時間も手間も省ける筈だが。

何しろ彼女は三歩歩いては止まって振り返って、テウさんあれは、テウさんこれはと、俺の名前を連呼する。
言った筈だ、好きな物を何でも買えば良い。
「まずメニューを決めましょう。それ以外は、基本的な食材を攻めます。作りたいのは」
「パンチャンを作りたいです。あとキムチは基本ですよね?それとトッポッキと」

指を折って数え上げる彼女に頷く。
トッポッキはあくまで間食だ。少なくともここ両日の二人分の食材を手に入れる必要がある。
肉、魚類、卵や豆腐の日持ちしない生鮮食品は適当で良いだろう。
それらとは別にパンチャンの具材類。山菜、根菜、葉物野菜。
キムチの白菜、糊用の白玉粉、昆布、煮干、ヤンニョムの野菜類、塩辛、コチュカル、粗塩。
そして基本的な調味料。雪が続く事を念頭に保存食品の類。

頭の中で動線を計算し、俺はまず手近の野菜コーナーを睨んだ。
「行きましょう」
低い声にクォン・ユジは、無言でうんうんと頷いた。

 

 

 

 

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