2016 再開祭 | 手套・中篇

 

 

「イムジャ」
向かい合う、良く晴れた居間の朝餉の卓。
呼んだ声にあなたが視線を上げ
「ん?なあに?」
口に収めていた飯をゆっくり噛んで飲んでから、笑って返す。

「あの暦は」
この方の手製の暦。
一目で日付が判るようにと寝所の小卓の上に置かれた其れを、何の気なしに確かめたのは数日前の事。
その日以来、咽喉に刺さる小さな棘がある。
日付の上の丸。
他の日には何も書かれていないのに、暦の上の一日だけ囲まれたその丸がやけに気に掛かった。

「ああ、ベッドルームのね?上手に書けたでしょ」
上手下手は判らん。見分けのしようもない。
ただあの暦がどれ程に便利だろうが、俺は好まぬ事だけは判る。
思い出すのだ。この方を手放せと生まれて初めて怯えた日々を。
しかし嬉し気な笑顔を見れば、正直に好まぬとなど言えぬ。
「・・・はい」
「今年は時間があったから作ったの。ヨンアも大切な予定が出来たらどんどん言ってね。あそこに書き込むから」
「大切な」

では既に囲まれたあの印は不吉なものではなく、大切な日か。
「で?カレ・・・暦がなぁに?」
「印が」
「うん。あの日は私の誕生日だから」

その声に手にしていた箸を卓へと戻す。
あなたは卓向かいで飯を小さな口へ放りこみながら言った。
「毎日忙しいじゃない?忘れないように書いておいたの。当日のメニューはもう決まり。
ミヨクク。ヨンアはミヨクだいじょうぶよね?」

誕生日。王様と王妃媽媽以外にその日を知る者、まして祝う者は多くはない。
己が偶さかその日を知るのは、夏至の翌日と伺っていたからだ。

ヨン、お前は年で最も陽の長い日に生まれたのだ。
忘れるな。いつでもその陽のように明るくあれよ。

向き合って座し、あの頃父上はそう教えて下さった。
それを伺った時学んでいたのは、四書五経の何だったか。

明るく眩しい居間、窓から斜めに射し込む夕陽。
その中で姿勢を正し、耳を傾け書を目で追った。

その声にはいと返答すると、父上が笑って頷いた。
その父上と、そして既に亡き母上に心から感謝した。
こんなに暑い候に俺をこの世に生んで下さった事を。

誕生日とは祝うものでなく両親に感謝する日だった。
そして今はお会い出来ぬ、この方の天界の御両親に。
もしも生んで下さらねば出逢う事など叶わなかった。

「イムジャ」
「うん、なぁに?」
あなたが同じ気持ちなら、せめて俺だけは祝いたい。
あなたが生まれて下さった事。元気で此処に居て下さる事。
俺の前で旨そうに飯を喰い、呼べば笑って応えて下さる事。

「何故若芽湯なのですか」
「あのね、産んでくれたオンマに感謝するために。産んでくれた時は大変だったでしょって。
ミヨクは産後にも食べるから。天界では、誕生日にミヨククを食べるのが習慣なのよ。
おいしいとかよりも、作ってもらえる気持ちが嬉しいのよね」
「普段は喰わぬのですか」
「ううん、食べるわ。だけど普段は特別おいしいとは思わない」

誕生日の若芽湯。
若芽湯だけなら、具を手配すれば拵えられるだろう。
若芽湯の具。何が入っていたろう。若芽、葱、胡麻。
普段は飯など、口に入り腹を満たせれば味も中身も気にもならぬ。
それがこんな大切な、肝心の時に仇となる。

若芽湯。
南方で喰った時には雲丹が入っていた。あれは偶さか採れたのか、それともああいう作り方なのか。
いや、肉が入っていた時もあった。あれも偶さか手に入ったのか、それとも。
正しい作り方はどういうものだ。何が入れば正しいのか。
母上は俺を生んで下さった時、どんな若芽湯を召し上がったのか。

「・・・ヨンア?」
「はい」
「だいじょうぶ?すごく難しい顔してる。何か気になるの?」
「ええ」

気になるどころではない。今の俺には大問題だ。
どうすれば伝えられるのだろう、俺が今、どれ程倖せか。
生まれて来て下さった事、今此処に共に居て下さる事。
あの時沙鐘の砂のように掌から零れ落ちずに、留まって下さったあなたにどれ程感謝しているか。

全てが始まったのは、出逢った天界でのあの日だと思っていた。
そうではない。もしも俺達の全てが運命であれば、始まったのはあの印の日、そして年で一番昼の長い日。
俺達が互いの世に生を享けたその日。

既にその日に照準を定め、突然味を失って砂を噛むように感じる飯を掻き込む俺を、あなたは首を傾げて眺めた。

 

*****

 

「叔母上」
柱の影から、悠々と前の回廊を往く尚宮服に声を掛ける。

仰天したように振り返った叔母上が、寒い物影から解放され日向に出た俺に眉を顰めた。
「・・・何があった」

手も足もさすがに冷えた。寒さより寧ろ焦りの余り。
冬で何よりだ。
雪のない時節であれば鍛錬や役目に追われ、暢気に待ち伏せなど出来なかった。
「頼む。教えて欲しい事が、いや、助けが」
「王様か」
「・・・え」
「こんな処で待ち伏せなど、余程の火急の用向きではないのか」

頭を下げた俺に、叔母上は訊いた。
火急と言えばこれ程火急の用件もない。
しかし王様の御名を持ち出されるとは、全く考えもしなかった。

指摘され気恥ずかしさに襲われる。
全く俺は、一体何をしているのだ。
動揺する肚を見透かすように眼を細め、叔母上は
「違うのか。では医仙だな」
と呟いた。

「・・・ああ」
「どうした。敵か、病か、いつもの暴走か」
「どれでもない」
叔母上があの方をどう思っているかはよく判る。
当たらずも遠からず故、頭から打ち消す事は出来ん。
しかし此度はあの方ではない。問題があるのは此方だ。
「叔母上」

もう一度意を決し、その顔に視線を戻す。
それでも此処まで待った以上、もう恥も外聞も何もない。
秘密裏に、あの方に露見せぬように。当日を迎えるまで。
伝えるまで。どれ程に倖せで、どれ程に感謝しているか。

「若芽湯の作り方を教えてくれ」
「・・・何だと」
「女人の産後の肥立ちに良いのだろう。母上の召し上がった若芽湯の作り方を」

叔母上は何を誤解したのか、目を瞠ると顔を赤くした。
「まさか、ウンスが!」
糠喜びに叫び出しそうな叔母上に俺は急いで首を振る。

「違う。喜ばせて悪いが違うんだ」
刻がない。逐一説明する刻が勿体無い。
「チェ家の若芽湯と、そして女人を。あの方には、絶対に内密に運ばねばならん」
「今回という今回こそ、お主の事がさっぱり判らぬ」

叔母上は本気でこの肚裡を読み損ね、慶ぶべきか怒り出すべきか判らぬ顔で戸惑うように言った。

 

 

 

 

皆さまのぽちっとが励みです。
お楽しみ頂けたときは、押して頂けたら嬉しいです。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村
今日もクリックありがとうございます。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ

1 個のコメント

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です