2016 再開祭 | 紫羅欄花・捌

 

 

扉外、声を掛ける事すら忘れ濡れた鎧のままで部屋へと飛び込む。
扉内、再会を待ち望んでいたその姿が窓際の椅子から腰を上げる。

互いに声が無い。
額に落ちた前髪が邪魔する向こう、夢に見たあの方が立っている。
「イムジャ」

咽喉から絞り出した一言に、この方が我に返ったように走り寄る。
「ちょっと、何してたの?!」

出し抜けの小さな叫び声、濡れた頬に当たる手、頸の脈を探る指。
「何でこんなに顔色が悪いの。ちゃんと寝てないの?ご飯は?丸薬はタウンさんに渡してたのよ、飲んでないの?」

息もつけぬ矢継ぎ早の問いに、ただ首を振るのが精一杯だ。
「寝ておりません」
「何で!」
「考え事を」
「馬鹿な事言ってないで、ちゃんと寝なきゃダメでしょ!」
「飯は、それなりに」
「それなら良いけど、って、それなりって何?」
「暇のある時に」
「暇って何よ?ご飯の時間すらないって、どれだけブラック企業なのよ迂達赤は!」
「丸薬は」
「あのね。薬はあくまで睡眠や食事を規則正しく取った後のことよ。 基本がめちゃくちゃなのに薬飲んだって意味ないの。分かった?」

懐かしい小言の羅列。何を言われても構わない。声が聴ければ良い。
この方とこうして、もう一度逢って判った。どれ程に恋しかったか。

「・・・取りあえず、ハッキリ言うけど。あなたにしては珍しいくらい気力が落ちてる。ちょっとお腹、診せて?」
「は、らですか」
「そう。えーと」

この方は部屋を見渡すと、困ったように
「悪いけどちょっとの間、その鎧、脱いでもらえる?着たまんまじゃ診察できないわ」
そう言って俺のずぶ濡れの麒麟鎧を指した。

「・・・はい」
素直に頷くと当然のように、あなたが俺の背に廻る。
そして指先が惑うことなく、鎧の背紐を解いていく。
「出来る事が、まだあって良かった。次に逢う時はあなたが大怪我した時かなって、本当に怖かったから」
「イムジャ、それは」
「さ、脱いで」

俺の声など一切聞かず、背紐を解き終えた鎧の胴の腕を抜きながら、この方は自嘲するように小さく笑う。
「医者の役得かしら。それとも職務ってやつかな。こんな風になってもお互い逢わなきゃいけないなんてね」

追い求めて来た声と余りに違う。その声の響きに心の臓が冷える。
こんな皮肉な声を聴いた事がある。いつだ、あれはいつだった。

高麗に攫って来た時ですら、煩かったがこんな話し方はしなかった。
始終何かを叱りつける方であったが、こんな冷たい声ではなかった。

諦めぬ方だったから、耳障りではあったがすぐに見つけられた。
その高い声を頼りに振り向けば、必ず其処に大きな笑顔があった。
あれ程黙らせてやりたいと思って来た声を、気付けば追っていた。

なのに今のこの話し方は何だ。投げ遣りな声は何なんだ。
肩から落とした胴を胸元に抱え、この方は平然と裏扉を瞳で示す。
「診察室に行きましょ。あそこなら横になれるから」
「イムジャ」
「なあに?」

呼び掛けに返す言葉は変わらない。なのに其処に笑顔は見当たらん。
まるで冷静に目前の患者を診る医員の目。
其処で思い当り、裏扉へと促された歩を止める。そうだ、この声は。

この声は火女たちに攫われた後に戻って来て、俺から離れると決めた時。
あの時の話し方にそっくりだ。

もう笑いませんか。俺が聞いた時のあの声に。

あの時この方は俺の身を案じ、その選択をした筈だ。
奇轍に狙われぬよう、奴の眼を逸らすよう、俺には関わらぬと。

しかし今そんな敵はもう居らん。奇一族を怖れているならお門違いだ。

「イムジャ」
「早く診させて。症状が分かり次第薬を出すわ。煎じる時間も必要だし、一刻も早く飲んでほしいし」
「奇一族は、総て捕えました」
「奇・・・って、キチョルの家族?奇皇后の?」
「はい」
「・・・そんなことしてたんだ。知らなかった」
「王命でした。あなたが心配する事はもう何も」
「心配なんかしてないわよ?」

この言葉がさも意外だというように、その目が丸くなる。

「心配なんか、する権利も資格もないの。私にはもう」
「イムジャ」
「心配して心配して、こうなったんだもの。選んだんだもの」
「・・・選んだとは、何を」

その時あなたの顔に浮かんだ笑みを、決して忘れる事は無い。
あの朝枕辺の小卓の上に光る、金の輪を見つけた時と同じ程。

この世にこれ程悲しい笑顔がある事を、俺は今まで知らなかった。
あなたは今までこの耳が聞いた、どんな声より澄んだ声で呟いた。

「あなたと離れるしかないってこと」

 

 

 

 

12 件のコメント

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    ヨンの辛さが…私の辛さになって、ゆっくり、ゆっくり、お話を読み進めました
    やっと、ウンスに逢えた……
    そう喜びましたが、冷えたウンスの声がこちらまで聞こえ、また辛くなり、先へ進めませんでした
    医員として、ヨンに接するだけのウンス
    ヨンの元を去ったウンスですから、そういう態度を取るのも仕方がないことと分かっていました
    ウンスが冷たい声で話すたび、ヨンの心に悲しみと後悔の気持ちが押し寄せていることを、分かってあげていたのですが…辛く辛く感じました
    「あなたと離れるしかないってこと」
    紫羅欄花…愛の絆…
    きっともう少しお話が進めば…と願っています
    でも、最後の一文で息が苦しくなり、
    しばらく、ぼぅ~としていました
    「ぽち」も「いいね」も、押すことを忘れて

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    一人の時の淋しさより 二人でいるのに淋しいって…拗れると此処までになっちゃうんですね~p(´⌒`q)
    婚姻前一度、心がすれ違ってヨンがウンスに何も言わず北方の戦地に行こうとしてウンスが高熱で倒した事でウンスの思いを知り、修復出来たサランさんのお話を思い出しました。
    早くお互いの思いをまた再確認して元に戻れます様に!

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    後悔先に立たず
    ヨンは全てを終えウンスにたどり着いたのに
    ウンスは自分から遠ざかろうと決めた
    どうする? どうする?どうするヨン!
    ちゃんと伝えなきゃ ちゃんと誤らなきゃ
    本心を 恋しい気持ちを

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    さらんさん、おはヨンございます♪
    想いを伝えたい、伝わるはずの相手に何も伝わらなくてウンス一人で決めちゃったのよね。
    でも二人の事を一人で決めちゃダメよ…
    突き離したような喋り方も悲しそうな笑顔も、すべては離れると腹を括っちゃったからなのね。
    でもヨンとしてはやっと役目が終わったんだもの、ヨンにとってはこれからなのに、ウンスは一人で決めちゃった…
    ヨンにとっては離れるって言葉が絶望に感じられてるかな。
    ヨンどうしますか…ハラハラ(^_^;)

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    ヨン‼︎ 此処で諦めないでよね‼︎
    自分がした事 良く 考えて
    ちゃんと もう一度 ウンスを捕まえてね~~! 逆の立場なら……って 考えれば良いのに~~! もどかしいわぁ(>人<;)
    心臓 鷲掴みに されたまま 次の更新まちますね……(#^.^#)

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    (;゜∇゜)と…
    恋女房の気持ち…スッゴい冷静な怒り。
    腹に据えかねるなんて、可愛らしい言葉…が
    彼方に押しやられた感情が顔を挙げ、仕事の顔で、スッパンと仕切られる。
    水の壁のように通る事は出来る。出来るが…!時には重く、通る事もままならない。手を伸ばしても弾かれる。(;>_<;)
    そら、腹も冷えよう…。
    貴方が、居るから。何でも立ち向かえるし、歩も進む事が出来る。
    貴方が居るから自分自身の心配はしていなかった。
    言わなかった。呑み込んだ言葉…は、相手を思いやってなんて…何て可愛らしい言葉ではかたずけられず、心の隔たりの生む代償として高かった。かな?
    後のまつり…。(;>_<;)
    (;゜∇゜)と…
    旦那様…。哭くことも笑うことも出来なかった貴方が…まして、対面大事だった貴方が…
    『冷たくされたら…泣きます』なんて云われたり、潤う目で見られたら…
    ウンスちゃん…堪えられるかしら…?
    がんばれー…\(*⌒0⌒)b♪

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    もう ウンスの中では 結論が出てる~
    どうするの ヨン!
    ここから巻き返すのは 至難の業でしょう
    ヨンのお手並みとくと 拝見させていただきます(と いうか サランさんの腕前かな?笑)

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    ウンスが選んだ道…
    ヨンにはショックだと思うけど、
    仕方ないですね!
    たった一言を言わなかった貴方が、
    ここまでウンスを、追い詰めたんだから(-.-)
    今からでも遅くはないですよ!
    言葉と行動で、ウンスの心を
    癒してあげてね(^^)

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    せっかくヨンが真っ直ぐ走ってきたのにウンス~
    なんで意地はっちゃうかな(´・_・`)
    ヨンの胸に飛び込んじゃえばいいのに
    2人とも頭で考えて動かずに心で動けばいいのに(´・_・`)
    あ~気持ちがすれ違いばっかりでもどかしい(´・_・`)
    さらん姉さんこの切なさいつまで続きますか(T_T)

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    やっぱ、相手を想う気持ちはすれ違ってしまうと、悲しい(>.<)
    ウンスの、気持ちもすごくわかるから、なんとも言えない悲しい気持ちです( >Д<;)
    ここは、ヨンが誠心誠意、どのように伝えてわかってもらえるのか、さらんさん期待してます(^^)
    頑張れヨン\(^^)/
    世の旦那様代表として、奥さまの心を掴まえる見本をみせてください(>.<)

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