2016再開祭 | 茉莉花・玖

 

 

「寄越せ」

仔馬とはいえ、扱いに慣れぬ者にとってはその力は相当なものだ。
突然暴れ出した仔馬に動揺した男は尻餅をついたまま、馬銜を握るチェ・ヨンに手綱を素直に渡した。
仔馬はチェ・ヨンが手綱を握った途端、立つ事も出来ずに前掻きだけを繰り返す。
その首をゆっくりと大きな掌で撫でるうちに、険しかった目付が落ち着いて来る。
このまま此処に留まるのはまずい。
いつまた暴れ出すかもしれないと、チェ・ヨンは周囲の人波との距離を計る。

豪奢な判院事の屋敷。どれ程広大なこの庭でも、参列客が多過ぎる。
たとえ仔馬とはいえ庭で滅茶苦茶に暴れれば、少なくとも祝宴は台無しになる。
祝宴が台無しになるのは判院事の自業自得だが、万一ウンスが怪我でも負えば。
そう考えたチェ・ヨンは目の前の判院事に一礼すると
「厩舎へ納めた方が」
と進言してみる。

勝手な理由でこうして下手に牽き出されたこの仔馬こそ良い迷惑だ。
しかし自分の馬でなく自分の宅でもない以上、先ず判院事に許しを得るが道理。
「厩番にお預け下さい」

そう言って庭に眸を走らせるが、其処には厩舎どころか馬を繋ぐ杭の一本も見当たらない。
そして判院事はあくまで邪気のない顔で、チェ・ヨンの声を繰り返す。
「厩番、は、おらぬのだが」
「・・・は」
「仔馬のうちはその辺に繋いでおけば良いのではないのか、大護軍。
琴珠が仔馬を欲しがったので、遊び相手に良かろうと買うたのだが」

本気か、この爺。

そもそも文官が馬を操るなど出来るのかと不思議に思ってはいたが。
やはり仔馬を初めて見た時の、チェ・ヨンの予感は当たったらしい。

犬や猫とは違う。開京のど真ん中にある屋敷で放っておいて、どう馬を飼えると思うのだ。
手入れした庭の貴重な草木を食ませ、彼方此方に糞を落とされて構わないなら飼えば良い。
馬糞なら牛や鶏より良い堆肥になる。庭の草木も良く育つだろう。
但し其処で採れた茉莉花茶を、あの方には決して二度と飲ませない。

漏れそうな溜息を必死にこらえて、チェ・ヨンはただ首を振った。
「仔馬といえど、厩舎は必要です」
ヨンの声に判院事の脇から、クムジュが軽蔑するように父親の顔を見て聞こえよがしに溜息を吐いた。
そんな少女の振舞いも癇に障り、チェ・ヨンは眉を顰める。

他の誰が呆れようと、お前は呆れるべきではなかろう。
少なくとも父親がお前の為を思い、誤った方法とは云え喜ぶ顔見たさに仔馬を手に入れたのだと。
だが少女の目付きと溜息に、判院事が咄嗟に顔色を変えた。
そしてチェ・ヨンになのかクムジュになのか、弁解するように大きく頷き叫ぶように言う。
「すぐに建てさせよう!」
「それまでこの子はどうするの、お父上」

叫ぶ父親に向かい、娘が冷たい目で至極真当な声を返す。
こんな時なのにチェ・ヨンは噴き出しそうになった。
全くだ。どうするのだ。生きた仔馬が今ここに居るというのに。
喰わせ飲ませ眠らせねば、弱い仔馬はすぐにでもあの世行きだ。

「すぐに建ててやる、それまでの数日は庭に繋いでおこう」
「死んでしまったらどうするの」
「・・・死んで、しまうか、大護軍」

一々自分に聞くなと怒鳴りつけたくとも相手は判院事。
来客の面前、ましてや公主夫妻まで同席している。
さっさと辞したくとも、己の手が握ってしまった馬銜がある。
その馬銜を噛まされた仔馬には何の罪もない。
掌を離すのは自由だが、ようやく落ち着いた仔馬がまた暴れ出すかも知れない。
ウンスの安全を考えれば、離すのが正しいとは思えない。

「可能性はあります」
結局馬銜を握ったまま、もう片方の掌で鼻面を撫でながらチェ・ヨンは言った。
「それは困る!琴珠の誕生祝の馬に死なれては、縁起が悪い!」
判院事が血相を変えて首を振る。

そんな事は知るか。我慢の限界を迎え胸裡で呟くと、ヨンは判院事に一礼した。
「一先ず御家人にお預け下さい。その上で臨時の厩舎を探すなり」

言葉と共に周囲を見渡すが、先刻判院事に贈答の品を運んで来た家人らはその光景を遠巻きにしているだけだった。
チェ・ヨンの手から仔馬を受け取ろうと近寄って来る者は、誰一人として居ない。
何なのだ、こいつらは。主が浅慮無分別なら、家人は全員腰抜けか。
何れにしても自分には関わりないと眉間の皺を深くしたヨンの耳に、さも名案を思い付いたかのように手を打った少女の声が聞こえた。
「チェ・ヨンさまに、預かってほしいです!」
「く、琴珠!それはいかん。大護軍は馬番ではないのだぞ!王様の御信頼もひと際篤き武臣なのだ、そんな事は出来ぬ!」

さすがの判院事もそれが荒唐無稽な頼みと、判断する頭はあるらしい。
可愛い娘に向かい、厳しい顔で首を振る。
しかし少女は負けてはいない。その父親を睨み返し
「だって仔馬が懐いているでしょ。あんなに暴れた仔馬を静かにできたのはチェ・ヨンさまだけではないですか!」
負けずに叫ぶように言い返す。

まずい。チェ・ヨンの額に先刻とは違う汗が浮かぶ。
こんな公衆の面前での判院事の家族の内幕など見せるべきではない。
しかし口を挟むわけにもいかず、まして仔馬を預かるつもりもない。

その時、先刻までチェ・ヨンがウンスと共に凭れていた木の前。
設えた大きな卓の方で動く影を視界端に捉え、ヨンの視線が其処を見る。
立ち上がったのは銀主公主。その横に無表情な儀賓。
「・・・判院事」

公主は感情の籠らぬ声で短く言った。
「娘御の祝宴だ。控えよ」
「は、はい公主様!」
「チェ・ヨン」

続いて公主に呼ばれ、ヨンは視線を下げた。
「は」
「済まぬが、ちと此方へ」
そう言うと銀主公主は再び卓の椅子へと腰を下ろし、取り上げた扇をはらりと広げ顔を隠してしまう。
そして思い出したよう扇の陰で苦笑を浮かべ、最後に付け足した。
「悪いが、その仔馬も連れてな」

 

 

 

 

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