2016 再開祭 | 紫羅欄花・柒

 

 

土砂降りの黒い雨の中、眸の前まで迫った影を追う。
地面に叩きつける雨音と、追撃の足音が入り乱れる。

此処まで追い詰めるのに、一人も斬らんで済むとは思わなかった。
既に奇家には私兵を擁する財力も、人を操る推力も残っていなかった。

恐怖と金で周囲を悉く屈服させ、一度ならずも王様に対し牙を剥いた奇轍。
その生家の行く末が雨の中、泥に塗れた惨めな形で終わるとは。

「廻れ!」

雨中の怒鳴り声に左を駆けていたチュンソクたちが、そして右手を駆けていたトクマンたちが。
一斉に脇道へ走り込んで消えていく。

眸に流れ込む雨を瞬きで払い、水を含み重そうに垂れる目前の衣の背を鷲掴み、泥濘の中へ引き摺り倒す。
同時に抜いた鬼剣が灰色の雨を斬り裂くように光る。

泥中を這うよう無駄な足掻きを繰り返す老いた男の首筋へ、蒼白い切先を遠慮無く突き付ける。

「逃げてみろ」

王命だと。そんなものは知らん。
歯向かったと罰せられるなら甘んじて受ける。

こんな男を追うために、大切な方を傷つけた。

二手に分かれ途を塞いだチュンソクとトクマンの隊が目前の脇道から飛び出す。
網を狭めるように紗雨の向こうから此方へ進む。
勢いに押され、申し訳程度に従いていた翁の警護と思われる兵が泥中を後退る。
「刀を捨てろ!」

チュンソクの一喝に、泥中へ投げ捨てられる刀の音が耳障りに響く。

 

*****

 

「・・・徳成府院君の父親と言えばどれ程の遣い手かと思いましたが、呆気なかったですね」

暮れていく空からの大粒の雫に打たれるチュンソクの声に頷き、掌で顔を伝い落ちる雨を拭う。
「このまま開京まで引立てます」

再び頷く俺の様子を見て、テマンが遠慮がちに声を掛ける。
「大護軍、お、俺一足先に戻ります。医仙に」
「そうだな、そうしろ。もう直に終わるとお伝えしてくれ」

俺が声を返す前に、チュンソクが慌てたように大きく頷いた。
テマンも珍しく俺の声を待たず、烈しい雨の中を一目散に小さくなって行く。

「大護軍。後は我々でどうにかできます」
雨の中、捕縛した奴らに標の縄を掛け牢車へ牽く列を見守りつつ、チュンソクが断言する。
「頼む」
「国境隊の鍛錬には、道監の大将が当たる事になりました」
「・・・わざわざか」

地方の官職とはいえ、俺と官位はそう変わらない。
僅かに揺れた声に、チュンソクは困ったように笑んだ。
「大護軍以外の鍛錬を受けて頂くには、その位の方に願い出んと。
それでもあの荒くれ揃いの国境隊員が、大護軍以外の鍛錬の命を黙って呑んでくれるかどうか」
「余計な事は良い」
「密偵については、大護軍以外の連絡を受けぬので」
「ああ」

後は元の出方を見るしか無い。 ようやくだ。ようやく此処まで辿り着いた。
「医仙は、今も典医寺ですか」
この心裡を知ってか知らずか、チュンソクが慮るよう低く問う。
「そうだ」
「隠れていらっしゃるのでは無いなら、すぐにお迎えに」
「煩い」

罪人が全て牢車に収まるのを確かめ牽いたチュホンに跨ると、鞍上から全兵が騎乗するのを雨中に見る。
「大事な証人だ。途中の襲撃に注意しろ」
「は!」

弱まる気配の無い雨脚の中、後方の鞍上から一斉に声が返る。
「開京まで一気に戻る。遅れるな」
「は!」

その返答と共に、チュホンの腹へと踵を当てる。
泥濘で脚を取られる事も無く、その蹄が大きく一歩進み出た。

 

*****

 

「捕縛が済んだか」

開京に戻るなり濡れ鼠のまま外套だけを脱ぎ捨て、その足で康安殿へ御報告に上がる。
向かい合う王様は全身から垂れる雨雫で康安殿の床に染みがつくのも御咎めにならず、無礼な姿の俺をご覧になった。

「は」
「大儀であった。明朝重臣に宣言の上、早速親鞠を始める」
「は」
「元の動きはどうか」
「変わり無く」

既に真暗に沈んだ窓外を眺め、満足気に吐かれた王様の息が聞こえる。
「では此方の動きの方が早かろう。元から正式な抗議の親書が届く前に、此方より謀反の証言を叩きつける」
「は」

最後に御声を落とし、王様が静かにおっしゃった。
「そなたには、此度も重ね重ね無理をさせた」
「いえ」

荒れるとすれば、寧ろ此処からだ。
兄があのような頓死を遂げた上、父を謀反の罪で捕らえられたと知れば。
奇皇后と王様、元と高麗との関わりは今後、二度と復縁は叶わぬだろう。
「お覚悟は」
「無ければ最初から挑まぬ」

最後まで王様らしい御答だ。
何処までも揺れる大国に楯突き、勝利の道のみを探す。
その方に仕える、最初の民になると誓った以上は、これからも幾度もこんな事が起きる。

「これからです」
「そうだな。天が最後に微笑むのは、寡人か奇皇后か」
王様はゆっくりと頷かれると、此方に向けて小さく呟いた。
「親鞠を終えるまで数日掛かる。その間休むが良い。ひどい顔色だ」
「某は」
「医仙が邸を出たと」
「・・・は」
「済まない、チェ・ヨン」
「王様」

王様の視線に首を振り、俺は椅子を立ち上がる。
「王が臣下に詫びるなど、二度とされてはなりませぬ」
「チェ・ヨン」
「大義が揺らぎます」

そんな事をされれば、あの方を悲しませて迄従った王命の意味が無い。
最後に頭を下げ
「明日よりの休暇は、遠慮無く頂戴致します」

踵を返し急ぎ足で康安殿を出る背を、王様の視線が追い駆ける。
休みなしのここ二月近く。
此度ばかりは数日の休みを得ても罰は当たらん。
せねばならぬ事、して差し上げたい事が山ほどある。

逸る足をどうにか抑え、殿を巡る回廊を抜ける。
ようやく殿から出で、頭上の回廊の屋根が途切れた刹那。

降る雨に濡れるのが合図のように、俺はその中を一直線に走り始めた。

 

 

 

 

11 件のコメント

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    やっとやっと終わったのね
    これでウンスの傍に居てあげれる
    顔を合わせ目を見つめ その声が聞けるわ
    あのテマンですら 二人の異変に
    気付いて 気が気じゃなかったはず
    でもウンスは素直にヨンに会うでしょうか?

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    王様の「済まなかった。チェ・ヨン」
    この言葉が聞きたかったです。
    政事だと判っていても
    ヨンとウンスが離れなければ、ならなくなったのは、王様の責でも有るのですからね。
    ヨン~此度は口下手だからなどと、
    言い訳しないで、素直な気持ちをウンスに話してあげないとね(^^)

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    典医寺にいたのね。尼寺かと。。。(≧▽≦)
    失敬!それは前のお話でした。(;^_^A
    さて、ヨンさんどうやってウンスに許してもらうのでしょう?
    きっとウンス待ってるわ!
    ヨン、急いで、急いで!

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    ヨン、大変お疲れ様でした。
    ウンスと心が離れることになってしまってまで、王様、高麗のために、2か月休みなく、隠密理に任務を果たしたのですね。
    雨に濡れそぼっているあなたの姿は、心の悲しみそのもののようです。
    ウンスは、分かってくれるのでしょうか…。
    もう、すでに、金剛石の金の輪を外してしまいました。それを、ヨンの元に置いてきました…。
    ヨンの任務の凄さは、全ての事情を知らされている私たちには理解できます。
    でも……
    愛することと、理解することは違いますよね。
    ウンス、ヨンのことを分かっているはずなのだけれど、心配と寂しさで、どうすることもできないのですよね…。
    雨に濡れ、泥に汚れ、心で泣いているヨンを、どうか、許してあげてください。抱き締めてあげてください。きつく抱き締めてもらってください。

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    さらんさん、こんばんは❤️
    キチョルと父親は呆気なく捕らえられたようで。
    これでヨンの王命にも目処がついたのですね♪
    ウンスは典医寺にいるのですね!!
    良かったわ!分かるところに居たのね。
    ウンスの事だから指輪を置いて行方を眩ましたかと思ってしまった。
    休暇も出来たことだし、信頼関係を修復するのに当てないとね。
    思っていることも口に出さねば伝わりません。
    ヨン!ファイト(๑•̀ㅂ•́)و✧

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    さらんさん♥
    今夜も素敵なお話を更新頂き
    ありがとうございます(#^^#)。
    毎日、残業続きの私…。
    ヨンの 致し方ない気持ちと
    どうにもならない苛立ち、
    よく分かります。
    私の同僚が言ってました。
    「恋愛は、忙しくない側が辛い」と。
    仕事に忙殺されて、時間が過ぎるのが
    速いと感じる側よりも
    忙しい相手をずっと待ち続ける方が
    あれこれ考えてしまう分
    辛いのだとか…。
    ふむふむ、一理あるな…と思いました。
    それでも 女性の脳のほうが
    仕事も恋愛も、あれもこれも
    一度に考えることができるらしく。
    ああ、ヨンに言ってあげたい|д゚)
    デキる男は、仕事も恋愛もどちらも
    手を抜かないのよ~っ!!!って。
    でも、実はこういう切ないお話
    「くう~!たまんねえ!」と
    ワクワクしながら拝読しています。
    しかも、雨の中の捕縛シーン…
    ほんの一場面とはいえ
    いつもながらお見事な描写で
    惚れ惚れです。
    さあ、明日からまた新しい一週間ですね。
    またまた忙しくなりそうですが
    「休むのも実力のうち!」
    …と、私自身に喝を入れつつ、励みます。
    (;´Д`)
    さらんさん、早くギプスが外れます様に♥

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    さらんさん、こんにちは!
    ヨン終わったのですね。
    キチョルの父親と言えど呆気ない終わり方でしたね。
    気が急いているのがよく伝わります。
    早くウンスに逢いたい一心で雨が降る中一気に開京まで走り抜けるんですよね。
    心で待たせた事を、何も言えなかった事を詫びてる様な感じがします。
    久しぶりに賜った休暇、その間にウンスを取り戻さらないと~
    走れ走れー!!!ヨンファイト(๑•̀ㅂ•́)و✧

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