2016 再開祭 | 紫羅欄花・陸

 

 

「お帰りなさいませ」

家の玄関を入ったとたん、タウンさんが居間から走り出て来る。
あの人のところに晩御飯を持ってってくれると思い込んでいたから、思わず驚いて大きな声が出る。

「タウンさん。どうして?」
「ウンスさま、これには訳が」
静かな声。ゆっくりした話し方。私が誤解しないように、きっと話をしようとしてくれてる。
だけど分かる。理由はともかく、タウンさんがここにいる意味は。
「まさかあの人断ったの?ご飯を運ぶのも?叔母様の御願いも?」
「そうではありません、ウンスさま。大護軍の御忙しさは」

心のどこかで、張りつめてた糸が切れたみたいな気分。
膝から力が抜けて、私は玄関先にへたり込んだ。
床に敷いた小石の角が、衣越しに膝に刺さる。
だけど今自分の心に刺さっている痛みよりずっとマシ。

「ウンスさま」
「タウンさんなら、叔母様なら、あの人も聞いてくれるって思ったの」
震える声の押さえ方が分からない。ああ、泣くなんてイヤ。
ここでメソメソ泣いたって、事態は何も変わらない。
額に強く手を当てて、どうにか自分を落ち着かせる。

泣いたってダメ。どれだけ心が通じなくたって、あきらめちゃダメ。
ダメ。ダメだって分かってるのに。
「・・・っふ・・・っ」
「ウンスさま」

熱くなった目の奥から、ガマンできない涙がこぼれてくる。

ここを超えればまた強くなれる。私たちは夫婦として始まったばっかりなんだもの。
知ってるつもりでも、知らない事があって当たり前。私たちは別の人間なんだもの。

何だってできた。あの人の心にいるのは自分だけだって知っていた。
だけどここまですれ違って、どうやってこれ以上何かをすればいい?
どうやって心配してる、私がいつもここにいるって伝えればいいの?

わざとじゃなくても、避けられてる気がする。
分かってても、私の存在が無意味な気がする。
辛いことも愚痴ってもらえなくて、困ってても頼ってもらえなくて。
どれだけ言葉を伝えても一方通行で、手紙の返事さえもらえなくて。

確かに守ってもらってる、怖い目にもあってない。
いつだって誰かと一緒で、安心して好きなように動けるけど。
一番一緒にいたい人がいない。誰が守ってくれてもあなたじゃない。

せめてご飯を食べて。ちゃんと寝て。
寝顔ばっかりじゃなく、きちんと顔を見て言いたいのに。
危ない事はしないで。私に出来る事があるなら教えて。
言わないのがあなたの思いやりだって分かってるけど。

話さなくなってもう2か月近く。
話したくないわけじゃない。お互いに大切に想いあってる事は分かってるのに。
あなたが毎日、くたくたになって帰ってきてる事もよく知ってる。
でも私も頑張った。これ以上出来ないくらい頑張った。

毎日手紙を書いて、キム先生と丸薬を作って、今日は話せるかなってずっと待って来た。
届かない手紙を書いて、聞こえない返事を待って、それでも一緒にいる意味はあるの?

ねえヨンア。 あなたは本当にそこにいる?
あなたの心は、そこにあるの?

体が離れるよりも、時間を超えていた時よりも淋しいなんておかしい。
1人でいる時はガマンできた。あなたのところに戻れるって信じてた。
でも2人でいるのに1人の時より淋しくなったら、どうすれば良いの?

1人の時は話しかけてた。空に、月に、雨に、風に、朝に、夜に。
それがあなたに届くって、いつか時間を超えて届くって信じてた。
だけど2人でいるのに声が届かなくなったら、どうすれば良いの?

「ウンスさま」
温かい手が両方の肩に乗せられて、涙でぐちゃぐちゃの顔を上げる。
タウンさんが玄関先に膝をついて、しゃがみ込んだ私と同じ高さで目を覗き込んでくれる。
「隊長のところへ伺いましょうか」
「・・・ううん。叔母様に余計な心配をかけるだけだから」
「そうですか」

首を振った私に溜息をつくと、タウンさんは私が泣き止むまでそのまま何も言わずに、一緒に玄関先にしゃがみ込んでいてくれた。
西に陽が落ちて、外が薄暗くなって来るまで黙ったままで。

そしてようやく泣き止んだ私に、優しく言った。
「今日はウンスさまの好物を作ります。何か召し上がりたいものは」
「・・・おまんじゅう」

今から急にメニューを変えたら、きっと迷惑な事は分かってる。
だけど初めての遠出、あの人と一緒に食べたおまんじゅうを思い出して涙を拭いて、私は言った。
タウンさんは優しい笑顔のまま、自信ありげに頷いてくれた。
「お任せください」

 

*****

 

夜更けの宅、その門を音を立てぬよう押し開き忍び込む。
チュホンももう慣れたものだ。
手綱を預けるコムが居らぬと判ると、静かに牽かれておとなしく厩へと収まる。
体を洗うにも嫌がりもせず、コムが整えてくれた飼い葉と水を口にして、安堵したように目を閉じる。

お前も疲れている。日がな一日兵舎の厩で俺を待って。
その太い首筋を撫で、そっと厩を後にする。
玄関は回らずそのまま庭の敷石を踏み、直接廊下から居間へ上がる。

居間の扉は開かれたまま、今宵も点けていた油灯の光が揺れている。
その小さな灯に照らされて半ば影になり、端座して待つ人影。
「・・・戻った」

俺の声に影は真直ぐな背のまま、深く頭を垂れた。
「お帰りなさいませ、大護軍」
「コムは」
「下がっております。聞かせるべきか判じ兼ねました」

人影はそこで座を立つと、俺に向けて正面から言った。
「ご用意が整っております。お湯をお使いください。その間に夕餉の仕上げを致します」
「タウン」

此処まで言わずに堪えたのはあの方だけでは無い。
タウンもコムも胸裡に言い出せぬ言葉が積もっているだろう。
「あの方は」
「お寝みです。お話があり、お叱り覚悟でお待ちしておりました」
「判った」

頷くと踵を返し、俺は湯屋へ向かって廊下を進んだ。

 

髪から垂れる雫を乱暴に拭いながら居間へ戻る。
先刻よりも増した灯の中、卓上に湯気の立つ皿が置いてある。
そこに乗る白く柔らかそうな塊に、思わずタウンの顔を見る。
「どうした」
「ウンスさまが、夕餉に御所望でした」
「これでは間喰いだろう。体が持たん。しっかり喰って頂いてくれ」

俺の声に小さく笑うと、タウンは皿の饅頭を見た。
「ご自身は如何ですか、大護軍」
「兵とあの方を同列に並べるな」
「互いに想われる事は同じです。ウンスさまも今の大護軍と同じよう、ずっと想っていらした筈です」

珍しいタウンの反論に、俺は黙ってその顔を見る。
「お忙しいのは察しております。深い委細は伺いません。心配なのは唯一つ。
このままではウンスさまの体ではなく、心が持ちません、大護軍」
「心」
「泣いておられました。私の訪問が断られたのを知って」
「理由がある」
「私には判りますが、ウンスさまにはお判りになりません」

湯気の立つ皿に指を伸ばし、大きく柔らかな饅頭を一つ掴む。
そのまま齧る俺を見て、タウンの咎めるような眼差しが緩む。

「せめて一言で良いのでは。一言あれば、一日頑張ろうと思えます」
「判ってる」

それもあの方が用意しておいてくれたのだろう、
棗の香の茶の入った器を俺の目前へと差し出しつつ、タウンは静かに頷いた。
「心掛ける」
「はい」
「宅周りはどうだ」
「変わりはありません。目は光らせておきます」
「頼む」
「畏まりました」

最後に深く一礼し、タウンが静かに居間を出る。
事情を汲むタウンにここまでさせる程、あの方が切羽詰まっている。
饅頭を食べ終えて、初めてあの方の今日の文を開く。

好想你

俺もです。己の声がそのまま写されたような短い文に眸を閉じる。

其処まで来ても気付かなかった。 あの方の心が決壊した事。
俺に差し出した饅頭が何を意味しているか。
温かいから喰える。温めなければ喰えない。分け合って喰える。
あの方がその時、其処まで考えていたかどうかは判らない。

俺はそのまま口を漱ぎ、あの方の横に急いで戻り、細い首の下に腕を差し入れた。

その時昏い寝台の上であの方は確かに瞳を開き、俺の眸を見た。
唇が何か言いたげに開いた。
この腕に抱き込み、髪を撫で、もう一度眠って頂こうとした時にも。

もう終わる、もうすぐだ。ただそれだけを考えた。

一言あれば、一日頑張れる。タウンにさえそう諭されていたのに。
この方を寝ませる事だけに気を取られ過ぎた。
心が持たない、その真の意を汲み取る事すら出来ずに黙らせた。

あなたは腕の中で最後にこの眸をじっと見て、淋しそうに笑んだ。

 

*****

 

翌朝遅く、寝台の上で眸を開ける。

あの方は既に出掛けた後で、寝台の横に温みは残っていなかった。

いつものように体を起こし、あなたの横たわっていた敷布に触れ、身支度を整えようと寝台を降りた時。

寝台横の小卓の上に、朝陽より眩しい光を見つける。
瞬時何かが判らずに、その光の跡を追って確かめる。

光っていたのは、心の臓に繋がる誓いの輪。
あの方が教えてくれた、久遠に途切れぬ輪廻の輪。

硬く欠けず壊れる事も無い筈の金剛石の嵌った金の輪が、ひとつきり淋しく其処に残されていた。

まるで俺があの方へして来た、今までの冷たい仕打ちを伝えるように。

 

 

 

 

19 件のコメント

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    さらんさま
    こんにちは。
    毎日更新が楽しみです(^o^)
    お互いの想いはわかるけど胸が痛いです・・・(+_+)
    毎日暑いのでお身体ご自愛ください!

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    とうとうウンスの心が決壊した
    きっと自分のいる意味が分からなく
    なってしまったのね
    ただ一言で良かったのに
    タウンさんの言葉の真意を
    汲み取れないほど 余裕がなかったかな
    でもそれがヨンには耐えらないほどの
    大きな仕打ちとして返ってきてしまった
    こんなに思いあいながら
    心のボタンを掛け違ってしまったのね
    悲しいわ

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    胸が熱くなり
    涙が溢れて、文字が読めません・・
    こんなにも
    感動的な素敵なお話を読める日々に
    感謝しております(^^)
    さらんさん
    本当にありがとうございます❤

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    えっ‼︎
    連休の最終日、切なすぎるお話の続きを予想はしていたものの、想定外に落ち込んでいる自分がいます。
    切ない!
    切ない!
    切なすぎる!
    離れていた時より寂しいなんて…
    ヨン(♯`∧´)
    そんな風にウンスに思わせちゃダメだよ
    ヨンの気持ちもわかるけど不器用すぎて腹が立ちます。
    壊れちゃったウンスの心
    ヨンどうするのよ‼︎

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    来るときが…来てしまいました…。
    二人の愛がこもっていた、心の繋がりを表していた、あの、金剛石の嵌まった金の指環…
    卓の上で寂しく光り、話しません…
    ヨンには、ウンスが分かってくれていると思っていたのですよね
    ウンスも、十分分かっていたのですよね
    でも、ほんの一言…、細やかな返信…
    ヨンは、忙しさが先に立ち、
    ウンスに、してあげられなかった。
    私は、ヨンの妻といえるの…?
    ヨンに、必要とされていないの…?
    辛い、辛い、辛い、来るときが
    来てしまいました…。

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    ここまで読み専してましたが、
    とうとうウンスの糸が切れちゃいましたね。
    あぁ、ウンスの寂しさが読むにつれてひしひしと感じました。
    これじゃ可哀想で、確かにさらんさんのヨンは甘え上手じゃなく、しっかりしていて良いとは思いますがあまりにも…。
    でも、きっと上手くいくと思ってますので、ヨン、ウンスの心を取り戻してねって応援してます

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    ついに決壊してしまったウンスの心。一言でいいからヨンの言葉が欲しかったんですよね。
    もう、どうしようもない心の痛みが、寂しさが、一文一文から伝わってきて、何度読んでも涙がこぼれてしまいます〰❗
    はあ…早く二人を幸せにしてあげてくださいませ。・゜゜(ノД`)

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    ウンスの気持ち 解る気がしますT_T
    一体これからどうなってしまうのでしょう。どこに行ってしまったのでしょう?金の指輪を外してしまうなんて相当な覚悟ですよね~^^;
    毎回続きが待ち遠しくてたまりません!
    今夜も続きが読めるかな?
    宜しくお願いします(#^.^#)

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    いつも心が悲鳴をあげながら、読ませていただいています。言葉が無い事ほど寂しい事は無いですよね。言わなくてもわかって欲しいはエゴの何物でも無い。いつかの自分達を見ているようで、苦しいですね。早く分かり合えますように祈りつつ

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    さらんさん、こんにちは。
    言いたい事、想いを伝えたくても受け止める人が居てくれないと
    誰の為、何のためにここに居るのか分からなくなって、この高麗で自分の存在してる意味まで分からなくなってしまいますよね。
    ヨン….
    残された指輪を見て事の大きさにやっと気付いたのね….

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    「ねえヨンア。あなたは本当にそこにいる?・・・」
    ここからです涙なくして読めない紫羅欄花6・・( p_q)
    切な過ぎます!ウンスオンニの真心。
    こんなにお互い想い合っててもすれ違う心
    ヨンさん!2ヶ月は長すぎですよ!!
    自分がここにいる意味を見失った・・ウンスオンニ
    どんなに皆が支えてくれても
    唯一無二のヨンの心を見失ったと(ノ_-。)
    さあヨンさん!どう収拾つけるのか?
    どう謝るのかな?
    さらん様の力筆!今回も脱帽です!
    本当に見事に泣かされました~。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

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    本当にたった一言あれば。
    どれほど大切に想おうと、そうと分かっていても。
    相手に伝わらなければ、それはただの独りよがりの想いでしかないよ、ヨン…。

  • SECRET: 0
    PASS:
    いつもこっそり読ませていただいています。
    人物の細かな心の襞まで表現されていて、一つのお話しに費やされるエネルギーは如何ばかりかと思っています。
    今回は、ウンスに同情されるコメントが多くて、ヨンの立場の者としては放っておけず・・・
    ウンス、やってはいけないことをしてしまいましたね。
    大義を成そうとしているのに、自分の存在を敢えて心配させるように指輪を置いて行くなんて・・・。
    心配が過ぎって大義の方が上手く行かなかったどうするつもりなのか・・・。
    足引っ張っちゃダメだよ・・・。
    人(敢えて、「人」と書きます。「男」でも「女」とも区別したくないので)には、自分自身をも犠牲にして成さなくてはならない時・事があるんですが・・・
    ・・・なんて、とっても真剣に、どっぷり入り込んではまり込んでしまいました。
    今のご時世、義務や権利を主張するばかりで、「義」なんて存在しないので、「ウンス」が普通なのかもしれませんね。
    いやいや、本当に、こんなに感情移入してしまうなんて・・・
    さらん様、本当にすばらしいです。
    ※このコメントがお好みでなければ、遠慮無く削除してもらってかまいませんので。

  • SECRET: 0
    PASS:
    ウンス~~頑張ったね。・゜゜(ノД`)
    とうとう決壊したんだね
    驚き!さらんさん…最終回から
    こんな凄い続きがあったんだ
    もう感動っつうか泣けるっつうか
    信義書いた脚本家に読んでほしいね!
    二次 ドラマ化してほしいわーー
    Happy-endなんだって思うけどウンウン
    吸い込まれるように読んでる
    ほんと凄いわ!!

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