2016再開祭 | 桑弧蓬矢・陸(終)

 

 

「迂達赤大護軍 崔瑩、桑弧蓬矢此奉処」

今日のあの方はいつもとはうって変わり、医仙としての正装を整えて高官らの最前列に座っている。

口上を述べて玉座へと一礼し、正庭の中央に設えられた高板の舞台へ上がる。

皇宮の正庭。初秋の陽は透明に降り注ぎ、居並ぶ高官らの赤い正装の珠帯を輝かせる。
そして一際高く設えた玉座に着かれた王様の絹袍の金糸の龍の繍を。
麒麟鎧の正装の俺に向け、懸命に腕を伸ばす韵様の銀糸の龍の繍を。
玉座の周囲を守る迂達赤の、鈍灰青の揃いの麒麟鎧の鋲飾りの星を。

涼しく吹き抜ける秋風は、王様と韵様を挟んで着座された王妃媽媽の金と翡翠の笄を揺らして過ぎる。

何より慶賀なる韵様の初度の日。
お生まれになった日、黒雲を晴らした龍の咆哮を耳にしてより一年。
その天子としての御志が広くこの全土へと行き渡るようにと祈念し、天地四方へと放たれる桑弧蓬矢。

桑で拵えた弓をぎりぎりまで引き絞り、邪を祓う蓬の矢を高く放つ。

東、北、西、そして最後に南へと。

耳横を抜ける蓬を添えた頬摺羽の風を感じ、その矢の行方を見守る。
蓬矢は青く澄み渡った秋空に鋭い線を描き、遥か彼方へ消えて行く。

「千歳、千歳、千々歳!」

参列の高官らから響き渡る山呼千歳の声の中、玉座からひと際大きな通る御声が掛かる。

「よな!」

残心から姿勢を正し、今一度玉座の王様と韵様、王妃媽媽へと一礼したところで掛かった御声。
高官らの山呼千歳も、俺の整えた息も止まる。

「よなー!」

あの方のおっしゃっることに間違いは何一つない。

─── 初めて御熱が出るのと御喋りが始まる頃は、大体同じって言われるくらいなんです。

御熱の騒ぎの日から、韵様の語彙は日を追うごとに増えていく。
その御声は、本当に・・・御名の通り、本当によく響く。

居並ぶ高官らの誰でもなく、真先に御口にされた臣下の名。
初めて御熱を出された真夏のあの日。
王様を御父媽媽と御呼びになる時さえたどたどしかった御口調は何だったのだろうか。

瞬く間に成長され、今や誰が聞いても聞き間違えでは済まされん。
はっきりと今、おっしゃったのだ。ヨンア、ヨナと。

それを散々韵様の御耳に吹き込んだらしきあの方は、済ました顔で背を伸ばし、何喰わぬ風情で座ったままだ。
繰り返し呼ばれる幼き龍の御声に言葉を失くし、俺は玉座に向け頭を下げる。
しかし韵様を御止め下さる筈の王様も王妃媽媽にも、一向にその気配はない。

「よなーあ!」

三度目の御声にようやく御首を振り、微笑んだ王様がおっしゃった。
「幼き眼は実に純真だ。真の家臣が誰なのか、既に見抜いておると見える」

御声に重臣らは顔を見合わせ深く平伏し、一斉に声を揃えた。
その黒い腹の底では、絶対にそうは思っておらぬだろうに。
「仰せの通りでございます、王様!」

 

*****

 

「迂達赤大護軍 崔瑩、桑弧蓬矢此奉処」

チェ・ヨンの朗々たる見事な口上の後、その手に構えた桑弧蓬矢が放たれる。
天子の志を広く高く知らしめよと天地四方へ放たれた矢は、最後の一矢が南空へと消えて、山呼千歳に迎えられる。

「千歳、千歳、千々歳!」

その山呼の最中、玉座の隣に座った韵がよく通る声で呼び掛けた。

「よな!」

思わず韵の向こうの王妃と目を合わせ、共に笑みを浮かべる。
こうして吾子は育っていく。
昨日まで出来ずにおった事が、今日は出来るようになっている。
目を離せばその成長を見逃してしまう、だからこそ刻が惜しい。

王妃と共にそなたの大きくなるのを見守ろう。但し邪魔せぬように。
熱を出せ。そして転べ。痛みの全てがいずれそなたの力となる。
堪えきれぬ痛みも辛さも糧として、心も体も大きくなれ。

そして忘れるな。そなたの体はそなただけのものではない。
そなたの母が命を懸けてこの世に送り出した、そして民の希望を背負う体だ。
そなただけのものと思ってはならぬ。母を敬い民を慈しむのなら、常に注意せねばならぬ。

健やかであれ。それだけが父の望みだ。
心も体も健やかであれば、他のものは必ず後からついて来る。

「よなー!」

そうだ、韵。声を響かせよ。この天地の隅々にまで聞き洩らす者のないように。
そんな聖君となるようにと願い、そなたの父がつけた名だ。

二心無く仕え、時に苦言を呈する者こそが忠臣であると知っておけ。
そしてそなたが今呼んだ名の主こそ、そなたに仕える最高の忠臣だ。

正しき声を響かせよ。あまねく天地に呼び掛けよ。
そしてそなたの力だけで越えられぬ壁に面した時は、その名を呼べ。
そなたの父が幾度となく呼び、そして頼って助けらておるように。

「よなーあ!」

韵の響き渡る声に、チェ・ヨンは僅かに動揺したように正庭の台上で頭を下げる。
チェ・ヨン。そなたが望もうと望まなかろうと、吾子は既に知っておる。
この皇宮の中の誰を呼ぶべきか。誰を信じ、心を預けるべきか。
そして吾子が国を治める時、その名は真の力を発揮するだろう。

しかし三度も呼べば十分だ。聖君であれば忠臣を困らせてはならぬ。
見よ、韵。チェ・ヨンがああして口を引き結んだ時が頃合いだ。
それ以上我を通せば、頑迷で忠義一徹の忠臣は臍を曲げて怒り出す。

あまねく響く声だからこそ、十分に注意せねばならぬ。
その声一つで己にも、そして相手にも無用な敵を拵える場合もあるのだと。
しかし賢いそなたの事だ、きっとそれもすぐ覚えよう。

秋の陽射しの中、無言で顎を引き視線を落とすチェ・ヨンに伝える。
「幼き眼は実に純真だ。真の家臣が誰なのか、既に見抜いておると見える」

韵、覚えておくが良い。王の口から出る声は必ず責任を取らねばならぬ。
そなたの声であり、そなただけの声ではない。口から出した言葉は王として背負わねばならぬ。

少しでも疑うのなら、口に出してはならぬ。王の言葉はそれ程に重い。
そしてその重さを共に背負ってくれる者こそが、真の忠臣だ。
忘れるな。そなたの呼ぶ名の主こそ、最後までそうしてそなたの荷を共に背負ってくれる者だ。

韵の後見を頼めるとすれば、この男を置いて他にない。
改めて心を決め、台上に立つチェ・ヨンに目を遣り、ゆっくりと頷く。
願わくばチェ・ヨンが、医仙との間に娘御を授かってくれれば。
ならば姻戚として、韵の立場もチェ・ヨンの立場も共により強固なものとなる。

そんな寡人の思惑など夢にも考えぬ比類なき無欲な男。
チェ・ヨンは秋風に髪を揺らし、その眸で真直ぐ玉座を見つめ、桑弧を携え凛として姿勢を正し、悠然と其処に立っていた。

 

 

【 2016 再開祭 | 桑弧蓬矢 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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