2016 再開祭 | 逐電・慮

 

 

「理由は何だ」
「・・・は」
「何故そなたは今、此処に居るのだ」

厳しい御声で言われ、うんざりしながら眸を下げる。
役目に出ず歩哨に穴を開け叱責されるなら未だしも。
こうして出仕し拝謁の席で責められるのは、どうにも合点が行かん。

内官長すら人払いした対面の席で、王様は憂い顔で額を押さえる。
「そなたの考えが、時折判らぬ」
「王様」

光の射し込む康安殿で王様は悩み深い御目を上げ、此方をじっと見つめた。
あの方の一件が王様に伝わっている。そう考えれば全て辻褄が合う。
王様の責めるような御口調も憂い顔も、あの方の逐電が既に御耳に入っているからとすれば。

「足取りも掴めておらぬと言うではないか」
「それは」
「典医寺には行ったか」
「・・・いえ」
「御医の口振りでは、典医寺にはいらっしゃらぬ。暫しの間、皇宮にも近寄らぬかもしれん」
「は」

これで一つ場所が減った。予想通りと息を吐く。
尼寺から逃げ出す方が、明らかに俺が見張ると判っている典医寺に現れる訳が無い。

「申し訳ありません」
顎を下げた俺に、王様の御目が戻る。
「何故詫びる」
「医仙が留守にすれば王妃媽媽の拝診に障りが生じます。典医寺の医官の数も減り」
「探しておらぬ事を詫びたのではないのか」
「私事故」
「チェ・ヨン」

呆れたように呼ぶ王様の御声から、ひたすら眸を逸らす。
そうしながら己に言い聞かせる。
目下迫る敵は無い。皇宮の中にも怪し気な気配は無い。
奇皇后はすっかり権勢を失し、元は内部から揺れている。
国交の途絶えた高麗の中、俺ですら未だ居所の掴めぬあの方を探し出し、害成すなど絶対に出来ん。

その合間に此方は成さねばならぬ事がある。
兵の鍛錬、軍議、次の戦への備え。敵が居らぬからこそ集中出来る。
一度戦の火蓋が落ちれば、それまでの鍛錬だけが物を言う。
生きて帰りたければ、生きて帰したければ手を抜くわけにはいかん。

「今は穏やかであろう、次にいつ荒れるか判らぬ」
「それ故に」
「どこまで意地を張るつもりだ」
「王様」

卓の前で顔を向けると、王様が静かにこの眸を受ける。
「某の代わりに捜す者もおります。いざとなれば手裏房の手も借り」
其処まで内情を暴露して、初めて王様は納得されるように薄笑みを浮かべられる。
「お忘れください。必ず無事に取り戻します」

考えたくはない。それでも何処かで思う。
もし王様が未だにあの方を、駒として大切にして下さっているなら。
それとは別の想いも浮かぶ。
もし王様が、王妃媽媽が徳興君に攫われた時を思い出しているなら。

何れであろうと過ぎた事だ。王様も俺も乗り越えねばならん。

「王様」
「何だ」
「医仙は誰にも渡す事はありません。ご安心下さい」

そうだ。徳興君にも、元にも、誰にも。
もしも駒としてでも、他の手に堕ちる事は無い。
そして誰であろうと、奪う事は絶対に赦さない。

「ならば早く探し出し連れ戻せ。自身で申したであろう。
王妃の治療にも障りが出る。典医寺の医官の数も減ると」
「・・・王様」
「医仙は我が国の宝だ。万一の事があってはならぬ。良いか」
腰を上げぬ俺に痺れを切らしたように、王様は御自身が玉座から立ち上がり、俺を真直ぐにご覧になった。

「そなたの私事では無い。国の威信を懸け、医仙をすぐに連れ戻せ。これは王命である!」
その言葉に反論など出来ん。俺は立ち上がり頭を下げた。
「王命、承りました」

一体何処に御本心がおありなのか。
此方の方こそ、その御心が時折判らぬと思いながら。

 

*****

 

「トギ」
その声に振り向くと、薬園に立ち並ぶ木を縫うように駆けて来る影。
息も切らさずに目の前へと辿り着くと、テマンがその切れ長の目でこっちをを覗き込んだ。

「医仙、いなくなったのか」
早いね、もう聞いたのか。私が指で尋ねるとテマンは大きく頷いた。
「ああ。朝から大護軍の様子も変だった」

大護軍、皇宮に来てるのか。ウンスを探してないのか。
「来てる。ちょっとぼおっとしてたけど」
絶対に外でウンスを探してると思ったのに。
私が指で捲し立てると、テマンは困ったみたいに首を傾げる。

「なんか考えがあってのことだろ。その証拠に、こうやって俺に頼んでくれたんだ。今は俺が探してる」
だからって、ウンスが姿をくらませたのに。
「うん。トギは、どっか心当たりないか。医仙が行きそうな場所。早く探してあげないと」

テマンの心配な声に首を振る。
姿を消したって聞いてから、ずっと考えてたけど。
典医寺には来てない。王妃様のところにはキム先生が行った。
そこにもいなかったって。他の場所は、考えたけど思いつかない。

困ってる顔に指で教えると、大きく胸を膨らませるくらいに息をいっぱいに吸って、そして吐いて、テマンは頷いた。
「今日はきっと暑くなる。こんな日に一日中外にいたら、医仙が倒れるかもしれない」

そして雲を読むみたいに、晴れた夏みたいな空を見上げる。
視線につられて、一緒に同じ底抜けに青い空を見上げる。
確かにそうだ。ウンスは人の体の事はよく考えるけど、自分のことはいつも後回しの人だから。

早く探してあげて。何か分かったらすぐに迂達赤にも知らせるから。
指で頼み込むと、テマンはしっかりと頷いてくれた。
「任せとけ。俺も手裏房もいる。心配するな。必ず無事に連れ戻す」

晴れた空くらいに明るい顔を作って、テマンが笑って見せる。
その笑顔に頷くと、大きな手が私の指をぎゅっと包み込んで、そして離れて行った。
「後でな、トギヤ」
うん、後で。
伝えると、テマンは来た時と同じくらいに素早く薬園の中を走り出して行った。

気をつけてね。
小さくなってく背中にここから指で言うけど、もう声は届かない。

 

 

 

 

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