2016 再開祭 | 逐電・端

 

 

足早に道を辿る視線の先。
初夏の枝葉に囲まれた木々の隧道の中に、鮮やかな亜麻色の髪が見えてくる。

追走にも未だ気付かず、まるで遊ぶように歩く暢気な小さな後姿。
足音も息もひそめ、背後からそっと距離を詰める。

しかしこの方も、高麗での暮らしに慣れて来たのか。
ふと息を止めるとその視線が肩越しに流れ、確かに俺を掴まえる。

次の瞬間脱兎の如く山道を走り始めた背に、テマンが慌てて追尾の姿勢に入る。
「テマナ!」

追い詰めるつもりはない。転んで怪我でもさせたくない。
俺の厳しい声に、テマンがすぐに態勢を解く。
あの方の走れる速さ。尼寺の山門への距離。
このまま足早に歩けば充分に追いつくと踏み、俺は真直ぐ歩き続ける。

そもそも逃げようのない一本道。
まして背後を気にしながら駆けても、逃げられようもない。
「イムジャ」

声を掛けつつ歩みは止めず、そのまま前を駆ける小さな背へ寄る。
「来ないでよ!」
意地張りの叫び声。
突然夏の隧道に響き渡る口論に、テマンが困り顔で歩を止める。

其処に居ろ。
眸で伝えた俺に頷き返したテマンを置き、俺だけが山道を上がり続ける。

「まだ拗ねておられますか」
「すねてるんじゃないわよ!」

拗ねてはおらんが、腹は立てているらしい。
昨日と同じような荒げた声に、此度は乗らぬように敢えて低く問う。
「ならば何故逃げるのです」
「だって、ヨンアが分かってくれないからでしょ!」

何をどう判れと望まれているのかすら判らん。 昨日とて同じだった。
しかし正直にそう言えば二の舞だ。

「判るように、話して欲しい」
「だから、昨日も言ったじゃない!私はね、共働きで頑張りたいの。おんぶにだっこはいやなの。
それでアル・・・副業をするのの、どこが悪いわけ?さっぱり分かんないわ」
「ですから」

ああ、これではまた昨日の話の蒸し返しだ。判りあえる筈も無い。
「俺は金など知りません。頂く碌の革袋を確かめる事も無い。
遣えば良いでしょう、いくらでも自由に」
「だから、そうじゃないんだってば」

背後の俺に気を取られ、逃げようか停まろうか迷う足取りが緩やかになる。
これなら転ぶ事は無かろう。安心してようやく僅かに距離を詰める。
「言ったでしょ、引退も考えて欲しいって。あなた一人の稼ぎに頼るのはイヤ。
コスメショップでも開けば、私の知識と技術があれば相当いいとこまで」
「俺は退くなど」
「だーかーら!」

ああ、繰り返しだ。
昨日と全く同じ流れ、その既視感に息を吐く。

 

*****

 

昨日の宅の居間、向かい合ったこの方は大きく笑んでおっしゃった。
「ねえ、ヨンア。お願いがあるの」

二人で挟んだ卓の上には、この方の淹れて下さった茶があった。
その中味は前日出して下さったものと、また香りも色も違う。

常に手を変え品を変え、こうして気遣って下さる日々の細々とした心遣い。
庭で育てる薬草も、こうして供される茶も、日々の飯の献立も。
その声も、浮かべる笑みも、こうして交わす瞳も、小さな掌も。
総てが俺への想いに溢れている事が判るから。

嬉しさに茶碗を掌で包み込み一口含んだ処で聞こえた声に、俺は穏やかに頷いた。
「はい」
「あのね、私、本格的にコス・・・化粧品を作りたいの。ゆくゆくはこういうお茶とかも出して、健康商品企業にしたいなーって」
「・・・は」
「前にみんなに歯磨き粉や石鹸を配ったり、媽媽や叔母様に化粧品をお渡ししたりしてたでしょ?」

ああ。東屋や皇宮の隅、何やら幾度か皆に手渡していた事があった。
思い出して頷く俺に向け、この方は嬉し気に小さな手を合わせる。
「この時代は科学系の薬品なんてほとんど使わないから、アレ・・・肌荒れとかの拒否反応もないし。
まさに無農薬無添加、100%に近い天然素材のナチュラルコスメよ。すごいじゃない。
今は誰も作ってないんだし、いい商売になると思うのよね」
「・・・商売」

その一言で理解出来ずに首を捻った。
俺への心尽くしでこうして出して下さっているものを、商売として売りたいのか。
我が家の湯屋でだけ使うあの香りの良い石鹸も、朝晩歯を磨く粉も。
今後金を払えばどの家にも置け、この方の心が買えるという事か。
俺の心を和ませる心尽くしの茶も、金さえ払えば誰にでも飲ませると言う事か。

迂達赤ならばまだ堪える。王様や王妃媽媽ならば献上品と目を瞑る。
叔母上達なら身内だからと納得できる。
其処にあなたの心があるのだと、俺の為にしているのだと判る。
だが赤の他人に金で譲るのだけはどうしても我慢ならん。
金で丹心を遣り取りするなど、以ての外だ。

「もちろん自分の仕事はちゃんとやる。典医寺の仕事を疎かにする気はないわよ、あくまで私は医者なんだから。
だけど、他の時間の有効活用を」

その声を聞く程にささくれ立つ気持ちを持て余す。
他の時間の有効活用。その刻は俺に下されば良い。
二人で向き合い、こうして茶を楽しみ、互いの一日の出来事を話し、あなたを膝に息をつく。
その時間すら奪われれば。

「今、うちはあなたの稼ぎに頼り切ってるでしょ。私だってもっと稼ぎたいの。
出来ればあなたには、ある程度の年齢で退職・・・引退してもらえたら、もっと嬉しい」
「・・・は?」

思ってもみなかったあなたの声に思わず眉根が深く寄る。
明らかに眇めた眸を避けるよう、卓向かいの方が小さく息を吸った。

 

 

 

 

6 件のコメント

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    商売ね~(–;)
    それで夫婦喧嘩したんですか…
    ウンスの気持ちも、
    分からないでは無いけど・・・
    今でも凄~く忙しいのに
    そんな時間が有れば、もっとヨンの
    お世話をしてあげて欲しいなぁ…と
    オンマは思います❤
    まして、ヨンに引退なんて言葉を言ったら、そりゃ怒るでしょうね(-.-)
    ウンスさん~
    天界流も良いけど、独りよがりは駄目ですよ~

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    ヨンは もう ぽか~ん
    何を言い出すかと思ったら
    い、引退??
    危ないことはやめて…ってことかしら
    ヨンも… お金で ウンスの心を売りたくないと…
    もおお 独り占めしたいのね 
    そんなにウンスのこと
    だいじなのね。

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    なあるほど!
    結局、ふたりはお互いを大切に思っているからこその喧嘩だったんですね。
    個人的には、ヒドさんに落とし所作ってもらいたい←ちょっとお気に入り、、、 ですが、お楽しみにしておきます。
    ま、まさかウンスお寺にダッシュとかしないでくださいね~‼

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    さらんさん、こんばんは。
    そこにヨン同様の気持ちが含まれているかはさて置き…
    現代の大量生産なら効能等も考慮して色んな種類を手間なく作れるけど、高麗だとそうもいきませんよね。
    万人受けして誰でも使えるもの。
    勿論使う人の事は考えるけど、ヨンと同じ気持ちが入っているかって言ったらそうではない。
    オーダーメイドと既製品って位差はあるけど、ヨンにはそこまで分からないですよね。
    自分にしてくれているような物をお金で売る、ヨンには理解できないかな…
    悋気もあるんだろうけど….
    ウンスの目論見としては早めに引退すればヨンの未来が変わるかも?
    ということも含まれているのですかね。
    稼げるだけ稼いでお金に余裕があれば早く引退しても食扶持には困らないって事かな?

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    恋しいイムジャのウンスさん、流石の奥方に変身ですね!
    共稼ぎは、ヨンの早期退職の布石にもなってる?
    ここまで言われると、悋気どころじゃありませんよね
    どうなる、高麗史?!(笑)
    いや、それは、確かに。静かに、幸せに、ずっと二人で♪
    そうは思うのですが...
    さらんさま
    どうなるのですかぁ~待ち遠しいです~♪♪

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    なるほど、夫婦喧嘩の原因、そこだったのですね。
    ウンスの起業計画…
    高麗で得た知識と現代医学の知識を融合して、高麗の人々の美容と健康のために出来そうなことが見えたのですね。しかも、儲かりそう…(*^^*)
    しかし、おもしろくないヨンさんですね。
    民の美と健康は平和に繋がるのよ。ひいては国のため→大護軍のため。
    ウンスさん、どう説得するのかな?

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