2016 再開祭 | 天界顛末記・玖

 

 

「ソナ、忘れ物した!」

叔母殿の命令は絶対で、私達に拒否権は無いようだった。
部屋の卓の上には叔母殿とソナ殿の手によって、碧の硝子の小瓶や小さな透き通る硝子の盃が並ぶ。
四角い白い箱の扉を開け、漏れる冷気と光の中で中身を確かめていた叔母殿が、並んで確かめていたソナ殿に声を掛ける。
「え、何?」
「パジョンの粉」
「それなら下のキッチンにあるよ、私取ってく」
「ダメ!!」
「え?」

唐突な叔母殿の大声の制止に、ソナ殿は首を傾げる。
「だって今から焼くなんて面倒臭いじゃない?トッポッキと一緒に買って来てよ。食べたいから」
「だってもう遅いよ?今から食べるの?」
「晩ご飯食べてないじゃない。結局門だけ見て帰ってきたんだもん」
「そりゃそうだけど、叔母さん太っちゃうよ?」
「あららら。心に刺さる事言う子ね!今晩くらい良いでしょ。ソナ、あんたも付き合いなさい」
「だって明日、お店が」
「今夜は良いの!ねえ、チュンソクさん」
「はい」

突然向いた矛先に、部屋隅に所在無げに座っていた副隊長が姿勢を正す。
「悪いんだけど、女の子一人じゃ外に出せないから」
「御伴します」
「話早いわー、ありがとう。お店の場所はソナが知ってるから」
「副隊長」

私が懐から黄色い紙を抜き、その厚い束ごと副隊長に預けると
「ちょっと待って!」
叔母上が仰天したようにその手許に叫ぶ。
「いくら二人がお金持ちでも、大金を裸で持ち歩いちゃダメ!第一そんな大金、必要ないから!」
「・・・はい」

叔母上に叱責を受けた副隊長が、驚いたように目を瞠る。
「持ってくなら1枚!それで十分よ。4人どころか14人分のパジョンとトッポッキ買えるから。
あ、ついでにヤンニョムチキン買って貰えば?ソナ。あんた好きでしょ」
「図々しい事言わないで、叔母さん!!」
ソナ殿は顔を赤くして声を上げる。

「お兄さん達は、お金を節約しなきゃいけないの!」
「いえ!」
副隊長が首を振ると、ソナ殿と叔母殿を正面から見詰めた。
「今日は御二人に大きな御恩を受けました。何か召し上がりたい物があれば何なりとお伝え下さい。
片端から買わせて頂きます!」
「ほーら。ハンサムな上に義理堅いって、最高ね」

叔母殿は立ち上がるとまだ床に膝を折ったままのソナ殿の手を握り、よいしょと声をかけて立ち上がらせる。
そしてその髪を撫でると羽織ったままのソナ殿の上衣の肩を叩き
「行っておいで?あったかくしてね」

そう言って背を押しながら、副隊長を振り向いた。
「じゃあチュンソクさん、よろしくね。ボディガードしてあげて」
その天界の言葉の意味は判らぬまでも、意味は通じたのだろう。
「お守りします」

副隊長はそう言ってソナ殿に並ぶ。
副隊長を見上げたソナ殿の目が、何故か急に真赤に潤んだ。

 

*****

 

二人が沓を履き、外の階を下りる音がする。その音に交じる声も。

ごめんなさい、お兄さん。
構いません。
寒くないですか?上着持って来ますか?
俺は大丈夫です。ソナ殿は。

互いを労わる会話が耳に届く。それらが遠ざかり聞こえなくなった刹那。
「チャン・ビンさん」

静まり返った部屋内で呼ばれ、私は叔母殿に対峙する。
目にも声にも、先程までソナ殿を見守り続けた柔らかな色など、ひと欠片も見当たらない。
「正直に言うわ。私はあなたたちを心から信用したわけじゃない。
何処の誰かも判らないのに信用出来るほど、初心でもないし」
「よく判ります」

そう言われた方が余程自然に聞こえる。当然だ。
逆の立場ならば、私も必ずそう言っただろう。
偶さか茶房を訪れた客の男二人を、わざわざ家にまで上げるなど。

「それでも招いて下さった理由を伺って良いですか。その為にわざわざソナ殿を外へ出されたのでしょう」
「あなたって、本当に勘が鋭いわね」

叔母殿は紅い額髪をかき上げながら、私に向けて苦く笑う。
「あの子、ソナは私の姉の娘なの」
「はい」
「あの子の上にお兄ちゃんがいたのよ。少し年の離れた兄妹でね。
この数年この部屋を使ってたのは、そのお兄ちゃん。
姉一家は義兄の・・・姉の旦那様、ソナたちのお父さんの仕事の都合でアメリカにずっといたの。
そこで成功して」
「あめりか」
「そう。ロスにね。だから当時は、ほとんど会えなかった」

話から察するにあめりかもろすも、ここから随分遠い処なのだろう。
私は叔母殿の声に曖昧に頷いた。
「私達の父・・・ソナ兄妹の祖父が体を壊したの。私達は2人きりの姉妹だった。
私は店があったし、姉は義兄の仕事を共同経営してた。
母はもう他界してたから、父の世話をする為にソナがこっちの学校に転学がてら、1人で先に戻って来たわ。
16の時だから、もう8年前」
「・・・はい」

という事は、ソナ殿は今二十四頃という事か。
「あの子のお兄ちゃんはそりゃあソナを可愛がっててね。甘えん坊だし、姉も義兄も溺愛してる子だから。
ひとりにされた事なんかないって。ほとんど韓国を知らずに育ったし心配だって、休みのたびに誰かがこっちに来てた。
両親は仕事が忙しかったから、駆け出しの俳優だったお兄ちゃんが来ることが圧倒的に多かった」
「はい」
「お兄ちゃんも同じよ。小さい時に移住して韓国の事をよく知らないのに。俺に任せろ、大丈夫だぞ、っていつも言ってた」

若い兄妹の光景が目に浮かぶ。 この部屋、そしてあの茶房でも。
久し振りの妹との邂逅に顔を緩める兄、嬉しさに手離しで笑う妹。

私は叔母殿にゆっくりと無言で頷き返した。

 

 

 

 

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