2016再開祭 | 夏茱萸・後篇

 

 

夜風を招き入れるように開けた寝屋の窓。
射し込む月光に照らされて、静かな寝息が腕の中に聞こえる。

夕餉の箸が、全く進んでいなかった。
暑い中を歩き回り草臥れ果てたのか。
咽喉許に鼻先を掏りつけると睫毛を伏せて、この方はことりと眠りに落ちた。

此方を欺く狸寝入りには見えん。
それでも温かな息に肌を擽られ、月の落とす頬の睫毛の影が長くなるまで見守り続ける。

寝息の調子も変わらず、睫毛が震える事もないのを確かめて、枕にしていた腕を抜く。
そのまま髪すら揺らさぬように静かに頭を落としても、この方は夢の中にいるままだった。
寝台に広がる白い波の敷布に包まれ、月の浮かべる濃淡の影の中、美しい姿で眠り続ける。

こうして見るたび眸を奪われる。だから尚更腹も立つ。
あんなに易々と肌を晒し、平然としている肚裡が判らない。
そして焦れる己の心が伝わらぬのが、一層腹立たしい。
余りにも小憎たらしく、時には鼻の一つも摘まみたくなる。

だがこれ程無防備な姿を晒すのは俺の前だけと知っているから。
そしてどんなに小さな傷でもつけるのは怖いから。
だから伸ばした指先は、すんなりした鼻の稜線の先端で止まったままで動かない。

しかしそれで判った。この方がどれ程深く寝入っているか。
指を鼻先まで突き付けられても、静かな寝顔は変わらない。

寝台を揺らさぬように息を止め、そのまま床へと滑り降りる。
忍ばせる必要もないだろうが、用心の為に足音を立てず箪笥へと一気に寄る。

夏の盛りの夜の庭、眠りを忘れた蝉が鳴く。
その声にかき消される事を祈りつつ、箪笥の扉を静かに開く。
仄かな月光と揺れる蝋燭の灯の中に見えるのは、着慣れた己とこの方の衣のみ。
指先で分け入って奥の奥、隅の隅まで探ってもびきには疎か、端切の一枚すら出て来ない。
一箇所目は外れた。

箪笥から腕を抜き再び蝉が鳴くのを待って、静かに扉を閉める。
そのまま次の一歩で抽斗棚へ寄る。
宵張りの蝉も寝屋の中の不穏な気配に気づいたか。
抽斗棚に寄った途端に、庭の声がぴたりと止んだ。

思わず小さく舌を打つ。こんな時こそ鳴いてくれ。
この方を抱いて朝寝をする時は、早く起きろとばかりに喧しいだろうが。
静まり返った寝屋の中、視線だけで寝台の上を確かめる。
蝉が鳴こうが黙ろうが、夢の中のあの方には関わりないらしい。
白く小さな体は、身動ぎもせず同じ姿勢のままだ。

僅かに安堵の息を吐き、一段目の抽斗をゆっくりと引き出す。
ない。
表から見るだけでは判らぬと腕を突込み、抽斗の底まで浚うが出て来ない。

そのまま一段目の抽斗を押し入れて戻し、二段目に取り掛かる。
同じだ。目当ての物はない。
そこから床に膝立になり、棚の低い処の三段目四段目を探っても成果はない。
その時夜も深まった寝屋の中、蝉声ではない声が、初めて耳朶を震わせる。

「・・・んー・・・」

いつもならば何より愛おしく聞きたい声に、弾かれたように寝台を振り向く。
その拍子に抽斗から急いで抜いた腕が木枠の角にぶつかり、骨が鈍い音を立てた。
痛む腕で抽斗を閉め、動きを止め息を詰め、闇に溶ける部屋隅から寝台上の気配を探る。

起きるな。寝ていてくれ。あと一段だ。
唇を噛み祈る俺に天が味方したか情をかけたか、あなたは一声上げただけで目覚める事はなかった。
再び深くなった寝息に背を押され、最後の抽斗を引き出して正真正銘動きが止まる。
今迄のように、迷いなく素早く手を差し込むわけにもいかず。

まるで婚儀のあの夜のようだ。

月の光の中にもはっきりと見えた空色のソッチマの色で判る。
この抽斗には、俺が決して触れてはならぬ物が詰まっている。

考えてみれば当然だ。
この方が暮らす以上、何処かにしまわれていて不思議はない。
此処までぶち当たらなかったのが不思議な程だ。あの方の素肌に直に触れる絹衣の山に。

確かに探し破り捨てねば気が済まん。
しかし此処に掌を突込んで探るのは。
眸を閉じれば肝心の目当ての物は見つからん。
しかし夜中にあの方の肌に触れる下衣を漁るのは。

瞬時の躊躇の後、其処に掌を静かに差し入れる。
見まいとは思っても、そこに畳まれて並んだ絹一枚一枚の感触を指先が覚えている。
それもその筈だ。
灯を落とした寝台の上、この指が素肌に触れる前、幾度となく開いた覚えのある絹。
眠るあの方の横、素肌に触れる為でなく、その素肌を晒すびきにを探し出し破る為に絹を掻き分ける羽目に陥るとは。

痺れるような指先を掠める、溶けるような感触の絹。
しかし恥を忍んで腕を突込んだだけの収穫はあった。
抽斗の奥、今迄の絹とは違う厚く硬い感触に、指の動きが止まる。
それを引張り出し灯の中で確かめ、ようやく満足の笑みが浮かぶ。

ふざけるな。散々手間をかけさせやがって。

それを丸めて夏夜着の懐に放り込む。
最後に寝台の上を確かめ、床から立ち上がりそのまま寝屋を出る。
寝屋の前の廊下を居間まで歩き、閉ざされていた扉を開き、真直ぐ厨へ飛び込む。

竈口を覆った鉄蓋を開き、中の種火を確かめる。
そして懐からあの忌まわしい布切れを取り出すと、今宵の全ての苛立ちと恥ずかしさの籠った指でその布を思い切り引き裂く。
布は高い音を立て、呆気なく指先で千切れた。
予想外だったのは千切った途端、まるであの方の肌を切り裂いたような胸の痛みを覚えた事だ。

楽しみにしているだろう。それは間違いない。
あの方の事だ、また此方を驚かせるような何かを考えているかも知れん。
この小さな布切れがなくなって気分を害すか、淋しく思うのかも知れん。
覆水难收。
破り捨ててから思っても、元に戻す事は出来ないが。
「・・・済まん」

この厄災の種にではなく、悲しむかもしれぬあなたを思い浮かべる。
それだけ言ってから、引き裂いた端切れを竈の種火の上に置く。
布は種火が舐めるが早いか煙る暇さえなく紅く燃え、すぐに灰になった。

其処まで全てを見届けてから、ようやく安堵の息を吐けた。
そして思い出したように、再び庭の蝉が鳴き始めた。

 

 

 

 

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