「あそこ、間違いない!」
市が途切れ民家もまばらになり始めた辺りで、高い声が叫ぶ。
予め叔母上に聞き出しておいて良かった。
一度だけ訪れたタウンの生家、この方の記憶のみを頼っていたら辿り着く事すら危うい。
見当違いな脇道に幾度も入り込みそうになる小さな手を、その都度さり気なく引き戻した目的の場所。
この方はその庭先を掃き清める、見違えようもない大きな体に
「コムさーーん!」
と呼び、真直ぐ駈け出した。
「ヨンさん、ウンス様」
コムが顔を上げ、手にしていた箒を置くと頭を下げて此方へ向かって庭から飛び出す。
「よう」
「来て下さったんですか!」
「これを頼む」
頷いて手に提げた木桶の包をそのまま渡す。
「すぐ喰え」
「ヨンさん」
「あ、あのね、内・・・肝は必ずショウガやネギと一緒によく煮てね。それで遅くても、明日中には食べちゃって。
でもその辺はきっとタウンさんの方が、私よりよっぽど上手だし、詳しいけど」
既に桶の中身をよく知るこの方は、そう言って横でにこにこと頷く。
そして続いて俺が手渡したもう一つの軽い包を指すと
「それから、こっちは新しい薬ね。じゃあお母さんの診察して良い?中にいらっしゃる?」
「は、はい」
荷を解き中を確かめる間もない、矢継ぎ早のこの方の声。
目を白黒させたまま、コムは出迎えた道端で頷いた。
この方は勝手知ったるといった顔で
「こんにちはー!」
庭先から家の中へ声を掛ける。
その声に呼ばれるように戸が開き、中からタウンが顔を覗かせる。
「ウンスさま!」
この方を呼ぶと、其処で深く頭を下げ庭へと駆け出て来た。
「お忙しいのに、わざわざ本当に申し訳ありません」
「お母さんは?少しは良くなったかな」
「立ち上がるにも、すっかり楽になったようです。もう支えも要らぬような元気さで」
「本当?ああ良かった、じゃあさっそく診察しても構わない?」
「ありがとうございます」
タウンに導かれ、この方が続いて家へ上がる。
女人二人の声が戸の奥へと小さくなっていく。
俺はコムと庭先へ戻りつつ、共にその姿を眸で追った。
梅雨の薄曇り、降られなかったのは幸いだ。
さすがに雨中で捌いた鶏の入った桶に薬の包、おまけにあの方の小さな手を引いては難儀するところだった。
空を見上げた俺の横、コムは姿勢を改める。
改められてつくづく思う。俺より頭半分もでかいなど、六尺半はある。
でかい国境隊長や巴巽村の門番も、こいつに比べれば小柄に見える。
「長く留守にしてすみません、ヨンさん」
「次に詫びたら、ぶん殴る」
その声も明らかに目線の高さが違えば、迫力に欠ける事この上無い。
まるで弟が兄に向かい虚勢を張るような格好だ。
「はい」
穏やかに浮かべたコムの笑みが、兄の気遣いのように思えて来る。
困り果てた俺は話を逸らすよう、握ったままの手の包を眸で示す。
「涼しい処に置いて来い」
「聞こうと思ったんです、ヨンさん。これは」
コムがでかい手に納まる包を掲げる。
「鶏だ」
「そんな、わざわざ」
「お前が育ててくれてる奴だ。裏から一羽もらった」
「それはヨンさん達の」
「あのなあ・・・」
忠義も此処まで来たら石頭と紙一重だ。
俺は湿気て目許へ落ちる邪魔な前髪を振り払い、コムを見た。
「雛が山ほど居た」
「ああ、可愛かったでしょう。春にたくさん孵りました」
「危うく踏み潰す程な。あの中から一羽絞めても、お前判るか」
「あれだけいると、一羽では・・・」
コムは困ったように優しい目を瞬く。
「だろ。全部お前が孵してくれた。お前にやるのが当然だ」
「ヨンさん」
「雄鶏だぞ。卵は産まん」
「・・・はい、ヨンさん」
結んだ唇を曲げた俺に苦笑すると、コムはようやく頷いた。
「母堂は、鶏は大丈夫か」
「昔の人です。好き嫌いはありません」
「何よりだ」
安堵して頷くと、コムは楽しそうに声を上げて笑う。
「何だ」
「いえ。こうして絞めてから聞いてくれるのが、ヨンさんらしくて」
「これ程近いなら、たまには持って来て差し上げろ」
「・・・はい」
此度は諦めたか、反論せず頷いてくれたコムは
「厨に置いてきます」
鶏を納めた桶の包を掲げ、最後にもう一度深々と頭を下げた。
*****
「タウナ」
小さな呼び声に振り返ると、優しい目が戸の後ろから部屋を覗く。
「鶏が焼けた。お母さんに」
「ありがとう」
戸から庭に下りると、庭の隅の小さな焚火にかけた鉄鍋の上。
そこから焼けた肉の濃い匂いが漂っている。
「竈を、厨にもうひとつ。残り三日のうちに組む」
「でももう戻りたい。これ以上お二人のご好意に甘えたくない」
「タウナ」
さっき診立てを終えて下さったウンスさまが庭先から幾度も振り返り、此方に手を振って笑って下さったお顔を思い出す。
「3日後ね、タウンさん!」
動かないウンスさまの横に佇む大護軍が、困ったように首を振る。
「お母さんによろしくねー!」
大護軍に促され、数歩進んでまた振り返り
「あ、薬湯ちゃんと飲んでねー!」
「・・・イムジャ」
最後には大護軍が痺れを切らすように、その手を握り歩き去る。
あれ程大切な、掌中の宝と慈しむウンスさまの居る御邸を護るにも、早朝から激務の大護軍ではご苦労も多い。
その心が焦らせる。昼には兵を鍛錬し夜にはウンスさまを護っては、どれ程に気を張っておられるか判る。
だから帰りたい。大護軍にはお休み頂き、御邸を守りたい。
意地張りな私の声に、コムは困ったように眉を下げる。
「チェ尚宮様にもヨンさんにも釘を刺されたろう。絶対に戻るなって。
三日後にもう一度 ウンス様が来て下さるまで」
「コムヤ」
それでも頑固に言い募ると珍しくその目を少し厳しく細めて、コムは私をじっと見た。
「俺だって同じだ。だけど帰ればヨンさんは心苦しい。ヨンさんが苦しければ、ウンス様は尚更だ」
「それは」
「どうする」
「・・・判った。残るわ」
それ以上は何も言わず、コムは大きく頷いた。
そして手にした皿に、焼けた鶏を鉄鍋から手際よく移していく。
「コムヤ」
「うん」
大きな手許を見ながら呼ぶと、目は上げずに声だけが返る。
「ありがとう」
コムは肉を移し終えた皿をこちらに手渡し、戸を目で示す。
「渡して来い。冷めないうちに」
その声に頷くと、私は戸へと踵を返した。
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