「久し振りだな」
踏み込んだ手裏房の酒楼。
まだ陽の高いうちに一人で現れた俺に目を丸くして、階に腰を下したチホが大槍を手に立ち上がった。
「何だよ旦那、ほんとに久し振りじゃねえか!」
そう言って階を急いで駆け下り、奴は東屋へ飛び込んで来る。
「おう」
声を聞きつけた師叔が奥から大儀そうに歩いて来て、目の前の椅子へ音を立てて腰掛けた。
「何だよヨンア、こんな早くから。役目はどうした」
「中抜けだ。すぐ戻らねばならん」
答に不満げに鼻を鳴らしチホは槍を構え直し、その石突で東屋の床を音高く突いた。
「なあ、ヨンの旦那ぁ」
「何だ」
「トクマンもだいぶ巧くなったろ」
「ああ」
「俺のお蔭だと思わねえか」
「・・・自分で言うな」
夏以来、なかなか奴の槍を見る時間も取れん。
但しあの手の胼胝を見る限り、だいぶ遣えるようにはなっているはずだ。
良い手になっている。槍遣いの手になって来た。
腕の筋肉のつき方も変わって来たのは確かだと、俺は顎で頷いた。
「だから今度は、旦那が俺を見てくれよ」
「今は無理だ」
「分かってるよ。天女との婚儀が終わったらで良いからさ」
「考えておく」
「考えるだけかよ」
ごねるチホの横からシウルが東屋へと駆け込んで来て、奴の槍を爪先で軽く蹴り飛ばす。
槍に重心を掛けていたチホが体を揺らし、そのシウルを睨み返した。
「なにすんだ!」
「お前一人で抜け駆けしてんじゃねえよ。何で旦那に」
「何でだよ、お前は誰も教えてねえだろ!」
始まった大騒ぎに師叔が大きな息を吐く。
「お前らうるっせえな、騒ぎなら余所でやりやがれ!」
飲み過ぎで赤く濁った眼で若い二人を睨んで怒鳴り、その後に白髪交じりの頭を此方に向ける。
「で、何だよ」
「あの方との婚儀の事でな」
「まだ日取りを決めねえのか。さっさと挙げちまえよ」
「それで相談だ」
卓に身を乗り出すと、相談という言葉に師叔が首を捻る。
「婚儀の日取りはどう決める」
「・・・はあ?」
俺の問いに師叔の素頓狂な声が返って来た。
そうだ、婚儀の日取りとはどう決める。
何か縁起の良い決め方があるのか。
「普通はそりゃおめえ、寺の坊主に訊くとかよ」
「和尚様にか」
「ああ坊主でも和尚でも何でも良いや、とにかくそいつに訊けよ」
「・・・成程な」
占師でも立てるのかと思っていた。成程、和尚様にか。
「日取りが決まり次第、幾人か連絡を取って欲しい者が居る。
また改めて報せる」
「おう、分かった」
「邪魔したな」
席を立とうとした途端に東屋の奥、厨の中からマンボが飛び出して来る。
「この男は!」
振り翳されたその手に握る杓文字を避け、マンボを椅子から見上げる。
「急に何だ!」
「あたしのクッパも喰わずに帰るつもりかい!どんだけ急いでても飯は喰えっていつも言ってるだろ!!」
何か言い返せば杓文字で打ち据えられそうで椅子の上、マンボから距離を取って俺は腰を上げた。
「済まんが急いでいる。また改めてあの方と出直す」
「全くお前たち程の薄情者は見た事ないね!内向きの奴らが来た途端、こっちにゃぱったり顔も出しゃしないじゃないか!」
マンボは本気で怒った様子で、鼻息荒く言い捨てた。
今機嫌を損ねるのはまずい。この後宴の支度を頼まねばならん。
「そうではない、留守が続いた」
「ちゃんと喰ってるんだろうね?喰ってなかったら承知しないよ」
「喰っている」
「たまには天女と一緒に顔出しな!」
「ああ」
「じゃあさっさとお行き」
ようやく許しが出たようだ。片頬で笑うと俺はそのまま東屋を抜ける。
「あ、待てよ旦那!」
「こっちの話は終わってねえだろ!」
「悪いな」
追い駆けて来るシウルとチホの声を背に、それだけ言って酒楼の門を駆け出る。
マンボの怒りの収まった今が逃げ時だ。
皇宮へ駆け戻りつつ段取りを計じる。先ずは和尚様への早馬を。

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何気に和尚様。和尚、ではなくきちんと様をつけるところに育ちのよさを感じます。
そういうところに惹かれてるのかなぁ
良家の坊ちゃんなのに人間最終兵器、てギャップに。