威風堂々 | 24

 

 

「大護軍様!」
いつ顔を合わせようと、無駄に調子の良い奴だ。
平虜領よりの船の着いた碧瀾渡。
船着き場で出迎えるムソンの明るい声に応え、チュホンを牽く足を止める。
足を止めた俺に向けムソンが一目散に駆け寄った。
「お帰りなさい!どうでした、平虜領は」
「・・・ああ」
唸る以外に、何が言える。

 

*****

 

穏やかに降る狐雨に濡れ、村へ戻る。
一夜の寝床を取ったのは、王様と王妃媽媽にお過ごし頂いたあの時と同じ旅籠。
何しろ村でたった一件きりの宿だ。
翌朝に碧瀾渡へ戻る旅程がある限り、入り江から離れる訳にはいかん。

「ねえ、ヨンア」
宿の入口をくぐりつつ、この方が脇を護る俺を見上げる。
「このホ・・・じゃなく宿屋、何だか見覚えがあるけど」
「・・・ええ」

見覚えがあって当然だ。
黙家に襲われ頸を斬られた王妃媽媽を御救いするため、王命で天の神医、あなたを攫いに行った。
そしてこの宿へと問答無用で連れ込み、治療にあたって頂いた。
この腹を治療して頂いたのも同じこの宿だった。
見覚えが無いとおっしゃれば、その方が驚きだ。

「やっぱりそうだと思ったのよ。あの時はパニックだったから周りを見る余裕なんてなかったけど、意外と覚えてるもんね」

あの時は黙家の襲撃の後。
彼方の戸は外れ此方の壁は穴が開き、辺り一面に矢が刺さり、床は一面敵と味方の血に塗れていた。
しかし建物は変わらん。
おまけにこの方はこっそりと此処から抜け出て、逃げているのだ。
「あの扉」

俺は振り向き、背後の木戸を顎で示す。
「あなたが無断で抜け出ようとして、俺が閂を掛け直しました」
俺の声にこの方がきょとんと丸い瞳を返す。
「そうだっけ?」
「・・・はい」

覚えていないあなたに驚いた。
「あの窓」

あの時この方を閉じ込めた二階の部屋を、階下から指す。
「あの窓から逃げ出したでしょう。挙句の果てに捕らえられ、顔まで殴られて」
「ああ!あったあった、あったわねー」

なぜそれ程に暢気なのだ。
此方にしてみれば最悪の記憶だと言うのに。

あなたの頬に残る痣。切れた唇。乱暴に扱われた跡を残す顔。
それを見た瞬間、目の前が真赤に染まった。
俺の名を懸け連れて来た天の女人を、このように扱った奴ら。
脅すだけでは済まんと、頭が真白くなった。

振り返ればあの時から答はあったのに、遠廻りをした。
けれどもし今の俺があの時の俺に教えても、きっとあの時の俺は一笑に付すに違いない。

お前は今から六年の後に、この天の女人を娶るのだ。
この方無しでは生きてはいけぬと、生涯護ると誓うのだ。
そう伝えた処で馬鹿を言うなと、肚を抱えて嘲り笑うに違いない。
こんな女人など御免蒙る。俺には忘れられぬ女が今も心にいると。

時は流れる。同じ淀みに留まる事はない。
河が全てを流していくように、気付けば流れて行く。
流れるべき場所へ。どれ程に時間が掛かろうと。
俺の流れ。この方の流れ。
互いに別の源流を持ち、別の地を流れても、ぶつかる運命の河ならばいつか必ず出逢う。
そして二つの水は溶けあい混じり合い、悠久の流れとなる。
どちらがどちらの水だったかなど、誰にも区別はつかない。

「あなたに助け出されて担がれたっけ。懐かしいなあ」
「・・・二度と御免です」
首を振り呟くと、あろうことかこの方は小さく吹き出す始末だ。
「笑い事では」
「あなたあの時は、散々私を荷物みたいに担いでた」
「手を焼きました」
「そうよね、でも私も必死だったんだもの」
「・・・ええ」

この方は必死だった。この手を拒み、眸を盗んで逃げようと。
どうにかしてもう一度天界へ、あの門をくぐって戻ろうと。
まるで蜘蛛の巣に掛かった蝶のように。
偶然掌に捉えてしまった小鳥のように。

チョ・イルシンから伝えられた王命。
天の女人を、神医を王様の許へ連れ帰れ。天界へは戻すな。

腸が焼ける思いで、あと一歩で戻れるこの方を背から抱き締めた。
名を懸け誓った約束を違えた。必ず無事に返すと誓った約束を。

あの時あれ程返したかった。肩に負った荷を下ろしたかった。
けれどもし今の俺があの時の俺に教えても、きっとあの時の俺は鼻で哂うに違いない。

お前は今から六年の後に、必死になって止める事になる。
手を離すどころではない。奪うなと心から天に乞う事になる。
ありとあらゆる策を講じるとなど言えば、笑い飛ばすに違いない。

知らぬが仏、知れば煩悩。知ってしまえば穏やかではいられない。
あの頃知らなかったことを知ってしまえば。
そしてこの方の心に気付いた今となっては。
心も躰もこれ程に愛おしいこの方を。同じ想いであろうこの方を。

肚の底から息を吐き、旅籠の開け放った扉内へ踏み込む。

どう言われても構わない。たとえ愚か者と罵られようと。
立てた誓いは必ず守る。違えるなど二度とない。
今更道が変えられるわけもない。それすら見通している方だから。

今宵一人で悶々と、閨の寝台の上で最後の呪いを唱えるだろう。
容易に想像が付く。繰り返される、うんざりする程長い一夜が。
最後に欲しいものが、厭と言うほど互いに分かっているのに。
互いのその指のすぐ先、触れられる場所で息づいているのに。
眸を瞑り少しだけ見ない振りが出来れば、奪ってしまえるのに。

それでも出来ん。
もしも手に入れば、掛けた箍が外れれば明日の舟どころか全て放り出し、溺れてしまうだろう。

この肚の中に燻る慾、誤魔化し続けていた想いは、それ程黒い。

 

 

 

 

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2 件のコメント

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    さらんさん、こんばんは。
    まさに、14番目の月夜…という時を迎えている二人ですね。
    満月となる婚儀の直前を、丁寧に描いて頂き、ありがとうございます。
    さらんさんなら、十五夜を過ぎても、いつでも次の朝晩が、より楽しみになるお話をお創り頂けると思います。
    さて、ウンスには思い出したくもない忌まわしい場所であるはずの、あの時と同じ宿なのに、愛するヨンと共に訪れたことで、負の記憶が塗り替えられたのでしょうね。
    ああ、ストイックなヨンも好きなのですが、いよいよ婚儀…\(//∇//)\。
    ここまでよくもまあ、我慢してきましたね~(#^.^#)。
    さらんさん、お風邪をひかないように。
    おやすみなさい。

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