威風堂々 | 5

 

 

「媽媽。チェ尚宮様と少しだけお話して来てもいいですか」

意を決したように媽媽へと問い掛ける医仙に穏やかに頷き、媽媽が御目で私へと告げる。

ゆるりと聞いて差し上げよ。

 

医仙と共に媽媽の御部屋を辞し、連れて来られた回廊の隅。
屋根もなく切れ陽射しに溢れた小さな橋で、義理の姪となる女人は意を決したよう此方を振り返った。

「あの人には絶対に絶対に聞けません。だから叔母様に」
ヨンには話すな、訊くな、漏らすなという事か。

己の前に立つ医仙の目。この目をする時は碌な事が無い。
最後にこの目を見たのはあの時だ。
私がいなくなったら、あの人はどうなりますか。
そう問い、挙句の果てに毒を呷ると言うた時。

此度は一体何を考えている。

心を決めてしまったその目を真直ぐ見つめ、先を促す。
「メヒさん」
医仙の声が震えている。

今更何を。そう言い返そうとして言葉を喪う。
そうだ。私は医仙を追い駆け、奇轍の処へと向かったあ奴を止めて頂こうとした時、その名までは告げてはおらん。
一体何処で耳にした。今となってはもうあ奴ですら思い出さぬ程遠い昔の、思い出の中だけに浮かぶその名を。
「・・・って、誰ですか」

分かっておるのだろう。だからこそあ奴には訊くなと。
私は小さく首を振り、医仙の目を見つめたままで呟いた。

「医仙が気にされる者ではございません」
「叔母様」
「何処でお聞き及びか存じませんが」
「叔母様!」

一貫して崩さぬ私の尚宮としての物言いに苛立つように、医仙が一歩、向かい合う私の懐へと大きく踏み込んだ。
「ウンスヤ」

その距離まで寄ればお前は私の義理の姪。家族だ。
医仙と奉られ、甘やかされる事ばかり期待するな。

「いい加減にしておけよ。匙加減を誤れば薬も毒だ。医官のお前に素人の私が諭すのも可笑しな話だがな」
「叔母様、でも」
「知りたい気持ちは分かる。しかし本人すら忘れている。今になって一体どうやってその名を知ったのだ」
「・・・あの人が、寝言で1回だけ」

迂闊者がと怒鳴りつけてやろうにも、寝言ではそうもいかぬ。
「そうか」

夢で見られるほどになったか。
本当に心に残っていれば夢でなど見ぬ。寝ても覚めても追い駆けている。忘れられず、血を吐く思いで。
悪夢に魘され叫んで飛び起きようと、その声を聴く者と共に一つ夜具に包まる程愚かな男ではあるまい。

ヨン。あ奴はあの頃傍に誰かを置いて眠るなど、考えもしなかったに違いない。
そうして死に場所を求め、己を必要としてくれる者を探し、屍のように眠り続け、重い足を引き摺り死ぬるように生きて来た。
そしてようやくウンス、お前に逢ったのだ。

死者を鞭打つな。これ以上の忘却を求めるな。
人が一番悲しいのは厭わしく思われる事でも、憎まれる事でもない。
忘れ去られる事だ。
お前たちには未来がある。皆が祝福し待ち望んでいる未来がある。
それはお前たちが逃げなかったからだ。立ち向かい、闘い、血を流し、それでも最後まで互いから目を逸らさなかったからだ。

「人は時として奇跡を起こす」
「・・・え?」
私の言葉にウンスが首を傾げる。分かりようもなかろう。
起こした本人は相手の事しか考えておらぬのだ。
「考えてもみろ。お前たち二人は、始まりからして奇跡だ」

王命で天門をくぐっただの、王妃媽媽の治療の為連れて来ただの。
相手を想う一心で天界に返そうとするだの、この世に残ろうとするだの。

「思うのだ」
ずっと思うて来たことだ。周囲の事しか考えぬ馬鹿者二人、相手の事しか考えぬ愚か者二人。

「もしもお前たちどちらか一方でも私欲で動いたとしたら」
例えほんの一筋でもその行いに私欲があったとすれば、あの奇跡は真に成し得ただろうかと。

「今お前たちはこうしてここに居らぬかもしれん」

奴が最初に王命に逆らい我を通し医仙を返していたら。無理に天穴から押し戻していたら。
例えばあ奴が、どう考えても敵う筈もないあの奇轍に、端から無理と白旗を上げていたら。

例えばウンスが奇轍に捕らえられ皇宮へ戻る事が出来ずにいたら。
例えば二人で逃げた折、己の命を第一に考えて戻らずに断事官の公開処刑を避けていたら。

例えば二人が役を辞し天穴まで逃げた折。媽媽の拐しを知り、それでも心のまま逃げていたら。

例えばウンス一人が天穴に入り、その先で己の事のみ考えて此処に戻らぬまま過ごしていたら。
例えば奴が天穴に入ったウンスを諦め、北方奪還も投げだし王様のお側で栄華を貪っていたら。

一歩でも道が違えば今の二人はない筈だ。
思うのだ。二人は何かに導かれるように正しい道を歩いている。

正しい道と楽な道には雲泥の違いがある。
その道の途中で起きた事は、互いの心に血を流させた事だろう。
私自身あ奴に、諦めろ、医仙を思うならば慕うなと言った。
それでもそれを超えたからこそ今の二人があるのではないか。
出会った全ての者、起きた全ての事に理由があるのではないか。

「聞かなかったことにしてやれ」
「叔母様」
「慕うから呼んだのではない、忘れたから呼んだのだ」
「じゃあ、メヒさんって」
「そうだ。あ奴の昔の許嫁の娘の名だ」

大きく息を吐き、ウンスは震え声で己に言い聞かせるよう呟いた。

「やっぱり」

 

 

 

 

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1 個のコメント

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    さらんさん、コモとウンスの“ガールズトーク”❤
    よくある女性同士特有のネチネチ感や、根拠のない無責任な傷の舐め合いが全く無くて、いいですねえ。
    でも、後できっと、ヨンはコモから「この迂闊者が!」と一発、頭をはられることでしょう。
    それに、後々にどこかでこのたびのことを肴にして、女子会でも開かれてしまうかも…^_^;
    ああ…だけど、想像してはいても、自分の耳で相手の名を聞いてしまうと、妙に生々しいものですよね。
    さらんさんは、「全て聞きたい派}? 「多少、知らないことがあってもOK派」?
    ヽ(^o^)丿

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