威風堂々 | 37

 

「イムジャ」
役目の退けた夕刻は、瞬く間に宵の深さを増す。
兵舎を出る時薄明るかった足許が、典医寺に着く頃には覚束なくなる程に。

外から声を掛け私室の扉を開くと、内のあの方が振り返る。
「ヨンア」
此方に向ける笑顔も歩み寄る歩調も、額に頬に頸に当てられる小さな掌も。
手首の脈を取る指の温みも変わらない。

じっと見上げる瞳に疚しさも悩みも読み取れん。
叔母上からの話とやらは、では特に気にする事でもないのか。
「うん、大丈夫」

温かな細い指が離れて行く、その瞬間を捕まえる。
摑まえて何がしたいではない。ただ離れるのが淋しいと。
摑まえてしまった温かく小さな手が、安心させるよう己の武骨な掌を握り返す。
その細い指がこの指の間に潜り込み、あやすように揺らされる。
「どうしたの?」
「・・・いえ」

掌から伝わってしまう気がする。ただ離したくないだけなのだと。
誓うと分かっているのに、その誓いの日まで待ちきれぬのだと。
秋風が冷たくなって来たから、あなたの温かさが恋しいのだと。
そしてあなたにも、この肌の温かさを恋しがってほしいのだと。

それともこの方の事だ、そんな事はとうに見透かしているのか。
いつものように明るく笑い、掴まれた手をそのままご自身の頬に当て、この方は静かに目を閉じる。

俺の手が指を掴んだ速さとは真逆に、睫毛がゆっくり伏せられる。
だからこの眸はその動きを漏らさずに見つめられる。
こうして瞳を閉じる瞬間さえ、瞼の裏に焼き付ける。

あなたの姿が、共に過ごした数々の景色が、切り取った瞬間が記憶の中に増えて行く。
一つとして同じ姿、同じ景色は無い。

目を閉じても開いても、起きていても眠っていても。
例え互いの心の臓に繋がる指に、誓いの金の輪が光っていても。
全て俺のものだ、俺だけのものだと分かっていても。

何故一日はこれほど長い。光陰矢の如しなど大法螺だ。
本当ならばとうに誓いの日を迎えているはずだろう。
なのに己はまだ宴の場所さえ定まらぬ有様だ。

「ねえ、ヨンア?」
この方が手を握ったままで睫毛を上げながら、俺を下から覗き込む。
早々に部屋内に点した蝋燭の灯で、鳶色の瞳を輝かせながら。
「はい」
「あのね、考えたんだけど」
「はい」
「ガーデンパーティの会場ね」

手と手が繋がっていると心までも繋がるのか。
がーでんの宴の場所を案じるこの心裡を読んだような声に、眸を下げて顎で小さく頷く。
「はい」
「場所なんだけど」

この方は俺の掌を細い指先で軽く撫でながら、此方を伺うよう小首を傾げた。
「うちの庭にしない?」
「・・・は」
「そうすれば準備も移動も楽だしね。あのね、叔母様に聞いたの。
おうちに仏壇があれば、婚儀も家で挙げるのもいいんだって。
だから菩提寺の和尚様を呼んで、結婚式もガーデンパーティもうちで開くってどう?
その後のハネムーンの時に、の御実家のお墓参りがしたいなあって」

確かにそれは良い。
良いが、この方はあれ程言っていたのではなかったか。
崔家の菩提寺で婚儀を挙げると。自分が恥ずかしくて御先祖に紹介できぬのかと。

「叔母上に呼ばれた理由は、その話ですか」
「呼ばれたの、知ってた?」
「テマンより聞きました」
「・・・他に、何か聞いた?」
「は」

此方の様子を伺うような、何かを探るその声その目。
「特には」
正直に伝えると、明らかに安堵の息を漏らすその唇。

叔母上やテマンならば我慢もする。けれどあなたまで俺を謀るなら話は別だ。
「何を隠しているのですか」
「え?!」
「何を」
「隠してなんか」
この声の終わりすら待たず、被せるように言うのがなお怪しい。
「イムジャ」
隠していないならこの掌の中から、小さな手が逃げたがるように退かれるのは何故だ。

逃がさないと握り直し、もう一度ゆっくり問う。
先刻のあなたが睫毛を伏せた時ほどゆっくりと。

「何を、隠している」

 

 

 

 

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2 件のコメント

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    初めまして
    クララと申します。
    いつも楽しみに拝読させていただいております。
    素敵なお話 ばかりでまるで本当にあのシンイの続きを観ているようです。
    私にこんな素敵な時間を与えてくださって感謝しています。
    ありがとうございます。
    ヨンのこの瞳で問われたら逃げられないですよね。

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