威風堂々 | 17

 

 

「ヨンア」

船が出てから数刻の後。腕の中からこの方が、静かに呼びかける。

秋の陽は釣瓶落とし。落ちるのが早いのは、その陽だけではない。
陽が傾くと同時に川面を渡る風の温みが、あっという間に落ちる。
まして北を目指すこの船が先を急ぐ程、風の冷たさが増して来る。

揺れる舳先から夕空が望める、ごく短い時。
その短さを惜しむよう、空は濃い緋に染め上げられる。

その朱丹の中を、鳥たちが塒へ渡る。

「・・・はい」

夕暮れの礼成江の光景を、舟からこうして見たのは久方ぶりだ。
大きな川の流れ、暮れ行く陽射しに赤く染まる川面。
その赤の川面に金砂のように、小さな光が舞い踊る。
川面の端は弧を描き、夕陽が近づく程に燃えて行く。
まるでその丸い大きな夕陽が触れれば、音を立てて白い湯気を上げるのではないかと思うほど赤い。

空は上に向かう程に暗さを増していく。
頭上を仰げば、昏い丸天井が覆い被さるように黒い。
先刻選んだあの黒絹の緞子のようだ。
黒絹の空に陽に照らされた金色の筋雲が流れて行く。

揺れる舟、転げて落ちぬように、冷たくなる川風から守るように、腕の中に抱いた俺のこの方。
違う。そんなものは全て言い訳だ。ただこうして抱き締めたい。
二度と一人では泣かせないと、せめてこの腕から伝わるように。

前回この大きな夕景を船上から見たのは、あの時だ。

あの時。
この方を天界より攫い、刺された腹の傷を抱いて船に乗り、王様を守る開京への道を命辛々連れ帰った日。

癒えぬ腹の激痛に脂汗を流し、舟板の上を這うように歩いた。
感じた気配に物陰へ身を潜め、その姿を背中から確かめた。

眸の先にこの方が紅い髪を風に遊ばせ立っていた。
あの紅い髪が夕陽と、まるで溶け合うようだった。

肩に担いだ時、そして返すつもりで天門へ送った時に感じた。
花のようなあの髪の香。何処かで嗅いだような、懐かしい香。

これ程離れて身を隠しても、鼻先に香が漂うような気がした。
その理由さえ判らず、ただ果たせなかった約束に唇を噛み、その場を黙って後にした。

天の女人。
いっそあの時一思いに殺してくれれば良かったと、そなたにはその資格があると、痛む肚裡で幾度も呟きながら。

今あなたが俺を生かした事を、こうして心より感謝する。
そしてこの約束を二度と違えぬと、こうして心より誓う。

返答をし次の言葉を待つ俺に、腕の中、返る声はない。

不思議に思い覗き込むと、瞳に緋色の暮れ空を映したままで、この方は小さく呟いた。
「黒い服を頼んだこと」
「・・・はい」

声が震えているのは、川風の冷たさ故か。

「知らなかったけど、ごめん」
「気にする事など無い」

気にする事など無い。あの頃隊長と、皆と共に身に纏った隊服と同じ黒。
俺は嬉しかった。
あの頃と同じ色であなたと新しい門出を迎え、共に進むと誓える事が。

「あなたの寝言を、聞いたの」
「寝言」

先刻震えていたのは声だけだった。
今は腕の中に包む細い肩、全てが震えている。

「イムジャ。寒いならば、続きの話は」

温かいもので包んでやらねば、風邪を引くだろう。
そう思いこの方に回していた腕を解こうとすると、細い指が思わぬ力で俺の袖を引き留めた。

緋色の暮れ空を映した瞳が腕の中からこの眸へと戻る。
白い頬を照らす秋の夕陽の中、紅い唇がゆっくり動く。

「・・・・・・メヒさんの、名前を呼んでた」

この腕の中、紅い唇が告げた懐かしい名。
一日一日忘れて行き、心で詫びたその名。

メヒ。俺に忘れて欲しくないのか。
この心がその名を刻む事を忘れれば、こうしてこの方の口を借りるか。
もしそうだとすれば。

なあ、メヒ。
あの時一人で置いて行かれても、もうお前を恨まない。
守ると伝えた声を信じてもらえなかった事も悔やまない。
だけどもしこの方の声を借り、口を借りてこの方の心を傷つけるなら。
その時にはたとえお前と云えども、俺は赦さない。

もしもそんな事をするならその時はメヒ、お前は俺の敵になる。

 

 

 

 

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3 件のコメント

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    そうよね、 このままじゃ スッキリしないよね。
    ヨンも これで ウンスの様子がおかしかった訳が
    わかって… 糸口がさがせる。
    複雑だよね。 お互いに…
    スッキリ門出を迎えたいね

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    ウンス,やっぱりヨンに言いましたね。
    ずっモヤモヤしたままより,直接聞いた方が良いと思っていました^^
    ヨンだってメヒを忘れられずに名を呼んだ訳では無いですし,ちゃんと話してウンスの不安な気持ちを取り去ってくれれば良いなと思います。
    婚儀に向かう気持ちに一点の曇りも無く臨んで欲しいです!

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    さらんさん、今日もお話をありがとうございます。
    隠し通さずに、話をして良かったですね。ヨンの心を護るために、胸の内に留めておこうとしても、ウンスの耳から入った不安は消えることはないですからね。
    それに、そんなウンスの不安がヨンをさらに不安にさせ…(´Д` )、相手を思うが故の、負の連鎖になりかねませんものね。
    さらんさん、お疲れは癒えましたか?
    (#^.^#)

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