威風堂々 | 41

 

 

全てを整えたタウンたちが離れへ下がる刻。
あの方の湯上りを待ちながら、冷えた縁側に腰を下ろす。

秋の月はまだ東空、中天まで上がるには早い。
庭の向こうから斜めに射し込み、静かに木々を照らし出す。

考えもしなかった。この庭で婚儀後の宴。
そう思いながら改めて、月に照らされた庭に眸を投げる。
確かに広い。分不相応に広すぎる。
木々の向こう、コム達の離れの黒い影を超え、庭はそのまま奥へと続いている。
そして縁側前の途は邸を囲むよう、ぐるりと回って裏庭へと。

俺達を見知る者たちが集まる。
何かあれば、己の身は十分に守れる者がほとんどだ。
チュンソクには予め、守りについて指示をしている。
問題など起きぬのかもしれん。
俺はあの方だけに全ての神経を注げば良い。

それでもと考えるのは、護りたい者を手に入れた故か。こんなにあれこれと考える男だったのか。
「お待たせ、ヨンア」

湯上りの濡髪を手拭いで押さえつつ、あの方が廊下を戻る。
縁側から眸を上げる俺を見つけ、瞳が嬉しそうに笑む。
そのまま膝に潜り込もうとする小さな体を指先で留めると、不思議そうな顔で問い掛けられる。
「どうしたの?」

嫌なの?そう思っておられる、心の声が聞こえて来る。
この方の瞳は嘘を吐けない。何よりも真直ぐで正直だ。
そうではないと首を振り
「濡れ髪では風邪を」

手拭いから零れる濡髪に指先で触れると、この方はようやく得心したように小さく頷く。
「じゃあ、部屋ですぐ乾かして」
「いえ、寝屋で話しましょう」

帰宅の刻が遅かった。いつもなら風が冷え切る前に乾く髪も今宵は無理だ。
隣に膝をつくこの方の手を引きながら立ち上がる。
途端に拭く秋風に、掌の中の手が小さく縮こまる。
「夜は冷えて来たわね」
「・・・秋です」

そうだ。待って待って、待ち続けた秋。
離れている間も、そして戻ってきた後も。
此処にいると呟き、空を見上げて待った秋。
瞳に吐息に、指先に唇に惑わされ待った秋。

今はまたこうしてもう一つ知っている。新しいあなたを。
男を知らぬ、俺を落胆させるのではと気を揉むあなたを。
だから今宵から吐く息は、婚儀までは安堵の息だ。

それでもと考える。あの方の事だけはこれ程に。
この再三再四の思惟が、良い方にばかり傾けば良いが。
俺には向かん考え過ぎが、いずれ毒にならねば良いが。

思いながらも止められず、小さい手を引き寝屋へと向かう。

 

*****

 

油灯の暖かい色の灯の揺れる寝屋の中。
手拭いで髪を拭うあなたの横顔に寝台の上から問い掛ける。
「イムジャ」
「なぁに?」
横顔の瞳で笑みながら返る暢気な声に息を吐く。

「きすを、してください」
「・・・・・・はあ?!」

濡れ髪を拭う手拭いが指の間からひらりと離れ、床へと落ちる。

「きすを、してください」
「誰にいつ、どこで、どうして?」
「俺に今。此処で」
「だからどうして!」
「して頂きたいので」

俺の勘違いだろうか。先刻のこの方とタウンの話が気に掛かる。
何度思い返してみてもこの方と唇を合わせる時、この方から先に合わせて頂いた記憶がない。

他に手立てがなく。そして愛おしさを堪えられずに。
確かに数回、俺からこの方に唇を合わせて来た。
けれどそれだけだ。それで十分だと思っていた。
全ては婚儀まで。それまでの辛抱だと。

金の輪を作りに訪れた巴巽村で、天界の言葉を教えて頂いた。
キスしてくれたら、もっと嬉しいのに。
心のままに従えば俺の唇はこの方の熱を探して、紅い唇の上に落ちて行った。
正解でも不正解でも良いと思った。
そして確かにあの時塞いだ唇で この方が言った気がした。正解よと。

ただもしも万一、俺が先走っていたのだとすれば。
閨の相性の事でごねる方が、真新の過去しか持っておらぬなら。
衆人環視の初めての接吻、それ以外に手立てがなかった。
薄汚い鼠と毒蛇が周到に張り巡らせた婚儀の罠。
断ち切ってこの方を逃がすには、それ以外に手立てがなかった。

それでもこの方を傷つけたのではなかったか。
先刻はあれ程晴れがましい気分だったのが嘘のようだ。
そして一度考え始めれば、もう手も足も出なくなる。

俺が今まで重ねて来た唇も、この方にとっては望みと違っていたのか。
碧瀾渡から天門へ渡る船中この方の心も躰も愛したいと、そしてこの方が望むものも同じと思えたものを。
もしそれすら思い違いなら。
この方が本当は何もせず、寝台の上一つ夜具に包まり、共寝の夢の温かさだけで満ち足りるなら。

己の脳裏に過る想像に愕然とする。
婚儀までは。その線引きがあったからこそ耐えられた。
これで婚儀を過ぎて、もしこの方が腕の中で泣いたら。
首を振られ、そんなつもりではなかったと言われたら。

いや、さすがにもう子を授かっても不思議のない方だ。
まさか全く何も知らぬなど。
それでも確かめずにはいられん。知らなかったと泣かれる前に。
この手で傷つけるくらいなら、死ぬまで堪える方が余程ましだ。

一人の女人に心を奪われ、死ぬまで護ると誓うのは。
その方を伴侶として偕老同穴の契りを結ぶとは、これ程考える事だったのか。
それでも誓った。この方を傷つける者は俺が赦さぬ。
道を塞ぐなら容赦なく斬り捨てる。迷いはないと。

だからこそ迷いを断ち切るために、確かめぬわけにはいかん。
俺がこの方を傷つける者になるわけにはいかん。

考え過ぎて碌な事はない。正しい道は、いつでも簡単なのだ。

「きすを、してください」

 

 

 

 

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