夏暁【 卅弐・終章 】 | 2015 summer request Finale

 

 

「王様。お呼びですか」
呼び出された景福宮、康寧殿。
王様の寝殿へ、臣下である俺を敢えて呼び出すなど。
「おおソンジン。参ったか。こちらへ」
その声に王様の御前へと進み、その場で頭を下げる。
「座りなさい」
「は」

しかし朝鮮では、何故椅子をあまり使わぬのか。
あの頃蒙古で卓と椅子に慣れていた己からすると、床への着座は斬りかかるまでに一拍、余分な間が空くのが厭わしい。
椅子なら蹴り立ちすぐ敵に斬りかかれるものを、床から立つ間が何とも惜しい。
あの時とて地に伏せておらねば、ソヨンはあの様に腕を斬られず済んだのかも知れん。

己の責だ。此処にいると決めたらこの暮らしに慣れねばならん。
より早く気配を察し敵を見分け、守りたい者を確りと守れるよう。
床から立つ為に一拍遅れると言うなら、一拍早く動き出せるよう。

「礼が言いたかった。そなたにも、ソヨンにも」
「王様」
「そなたらが居らねば、今の私は此処には居らぬ」
「いえ」
「あの光は何だったのだ。あの時そなたが言った事が真となった。
まるでこの世のものならざる何かに守られているようだった」
「王様」

静かに呼ぶと王様は少し微笑まれた。
「そなたという最高の兵と、天地の神仏の守りを受けた」
「王様の御代は、その始まりの時より神仏に守られております。
どうぞそれに相応しい聖君と御成り下さい」
「聖君か」
「は」
「一両日中には、燕山君の流配の処罰を下す」
「は」
「支持を得られぬ王だったとしても、それでも兄君だ」
「・・・は」
「奸臣イム・サホン、宦官キム・ジャウォン、元淑容チャン・ノクス、燕山君を裏で操ったこの三名は斬首」
「は」
「その後高官を刷新せねばならん。前勢力を残すわけにはな」
「は」
「右参賛らに褒美を与えぬわけにはいかぬ」
「は」
「そして誰より、そなただ」
「・・・王様」
「そなただけが変わらずに傍にいた。それも、己の欲でなく。愚かしい程に尽くしてくれた。
追われた身の大君に仕えようと、何の見返りも無いかもしれぬのに」
「見返り」

王様は呆れたように息を吐く。息を吐きたいのは此方だ。
見返りが欲しいなら最初から下らぬ権力争いに参加などせん。
誰かの下などにつかず、裏切られるかもしれぬ兵になど戻らん。

「何でも良い。欲しいものを申せ。叶えよう」
「・・・では」
「うむ」
「宅を」
「宅か。どのような」
「一間で良さそうです。雨露さえ凌げれば」
「・・・良さそうとは、どういう意味だ。そなたが住まうのでは」
「医女が住まいを失いました。しかし王様が医女に住まいを宛がうわけにはいかぬでしょう」
「・・・ソンジン。医女の事は、ゆくゆく右参賛と共に考える。
身を挺して庇った事は褒美に値する。しかし私はそなたに聞いたのだ」
「ですから、それが欲しいのです」

そして俺は、低く笑った。
「茅葺の小さな庵を、出来れば川の側に。月が見え、庭に縁台があるような」
「・・・随分と細かいな、何処かで見た事でもあるのか」

王様の御声に、曖昧に頷く。
ウンス。
あの頃お前と共に河原を探しながら過ごした、最後のあの庵。
そんな場所にソヨンが落ち着けば、そしてその庭からひらひらと手を振ってくれれば。

胸を締め付けるようなあの声。いってらっしゃいと振られる手。
何故だろう。何故こんなにも苦しいのだろう。
俺の何処かが叫んでいる。
忘れるな。忘れるな。思い出せ。草の根を分けても見つけろ。
決して離すな。一人にするな。

誰をだ。何をだ。一体何なんだ。
放っておけば浸されそうな雑念を払うように首を振り、目前の王様へと向き直り深く頭を下げる。

「最初で最後です。この後は何も」
「・・・不思議な男だな、そなたという男は。考えておこう」
王様は苦い笑みを浮かべ、困ったように呟かれた。
その御声に頭を下げ、御前から腰を上げる。
王様の前で背を向ける事が許されぬ宮中の仕来りも苦手だ。
後退り御前を辞す俺の足取りに、王様はゆっくりと頷いた。

 

*****

 

まだ朝陽が強さを残す晩夏。
庵の壁に切った窓から射す光の中、緩やかに眸を開く。
この庵に一間しかないのが悪い。
ソヨンを守ろうとすれば、勢い同じ部屋で眠る事になる。

ただ眠るだけだ。
それも部屋の両隅で、出来るだけ離れようやく延べた床で。
そのはずなのに。
「・・・・・・ソヨン」

俺の声に、横のお前が口の中で嬉し気に何かを呟く。
空の東雲を透かして照らす、その黎明の光の中で。
「起きろ!」
「・・・ん・・・」
「さっさと起きろ!」

身動きもせず、床の中で身を固くし、天井に向けて眸を閉じ。
そう怒鳴ると、俺の真横で小さく幸せそうな欠伸が聞こえる。
ふわぁあ、と気が抜けそうなその欠伸にかぶせ
「良いか、男の床に勝手に入るな。何をされても文句は言えん」
この大声に、ソヨンが眠たげな起き抜けの声でくくくと笑う。
「出来ないくせに」
「・・・ふざけるなよ」
「信じてるから、大丈夫」

眠さで掠れたその声に、天井へ逸らした眸を思わず落とす。
俺の真横、ソヨンは此方を見上げたままで笑む。
「男の事は信じない。私はあんたを信じてる」
「俺も男だ」
「男の事なんて知らない。私はあんたを信じてる。私が嫌な事を絶対したりしないって」
「お前な」
「なぁに、ソンジン」

布団の中、まともに動かす事すら出来ぬ程に震える掌を、力一杯固く握り込む。
伸ばさない。決して。この心の中に、ほんの僅かでもあの亜麻色の髪が過る限り。
触れない。決して。この眸の中に、振り返り三日月に笑む鳶色の瞳が浮かぶ限り。

いつかそれらが白紗の向こうに霞み、隠れ、ただ懐かしさと愛おしさだけ残し、滲んで消えるまで。
追い駆け、求め、共に居たいと気がおかしくなる程に探した想いの全てが、遠く離れてしまうまで。

しかし何故、その面影が重なるのだろう。全く似ていない。思い出すわけではない。
それなのに、ふとした拍子に胸を掴まれる。
気が付けばいつの間にか鳶色のあの瞳ではなく、この黒曜の目を探すのは何故だ。
亜麻色の柔らかく空に舞う髪ではなく、漆黒の濡れたような髪を捜すのは何故だ。
大輪の花の咲いたような笑顔ではなく、小さく密やかで不器用な笑顔を探すのは、一体何故なんだ。

「・・・淋しくなる」

ソヨンが、まるで猫のように潜り込んだ布団の中、己の脇で低く呟く。
「離れろ」
「そういうのが、淋しくなる」
「いい加減に」
「あんたが寒いのに温められない」
「まだ夏だ。笑わせるな」
「寒いのは、体じゃないでしょ」
「俺は」

俺は、俺が生きたい場所は。共に生きて行きたい者は。

「あんたの胸に空いた穴を、埋める方法が分からない。
寒いだろうなと思うのに、あんたが一番嫌いって知ってる方法で、こうやって傍にいる事しかできない」
「ソヨン」
「外も中も医術の腕も、目が醒める程美しい女には程遠い」

己の不用意に放った言葉が、こうしてこいつを苦しめる。
「・・・良い事を教えてやる」
「何よ」

布団を跳ね除け床から身を起こし小さな庵の窓へと寄って、床に横になったままのソヨンへ向かい低く唸る。
「俺は兵だ」
「知ってるわよ、そんな改めて言わなくたって」
「どれ程深く寝入ろうと、敵が寄れば目が覚める。絶対にだ」
「そうでしょうね。そうじゃなきゃ、寝首を搔かれるわ」
「ああ」
だから、分かれ。
「少なくとも、お前を敵と思ってはおらん」
「味方だと思ってさえいれば良いってものでもないのよ」
「ならばどうすれば良い」
「脈を、取らせて」

布団の中から伸ばされた細い腕。小さな掌、折れそうな白い指。
それを凝視し、そして首を振る。

触れれば。次に互いに触れれば、どうなるのか、何が起きるか。
一度目に診脈で触れられた折、お前はただ泣いた。
二度目に握って立たせた時、俺達は見つめ合った。

だからもう良い。三度目は要らん。これ以上探したくない。
あの不思議な衝動の理由を。胸を詰まらせる息の理由を。
眸を逸らし、顔を背け、それで過ぎて行くならそれで良い。
聞きたくない。この胸の中から突き上げるように叫ぶ声を。

忘れるな。忘れるな。思い出せ。見つけろ。
決して離すな。一人にするな。

差し伸べられたその手を、握りたくなどない。
「・・・お願い。取らせて」

横たわった布団から身を起こし、お前が窓脇の俺の正面へ歩み寄る。
「お願い」
その白い指が恐る恐る伸びる。伸びて手首に絡みつく。
絡んでそこで、この脈を探して。

夏暁の部屋内、窓の外の空は澄み涯無く続いている。

地に在って腕を伸ばせば、翔けて行けそうなほどに。

緋色の空気は胸に涼しく、草葉は朝露を結んでいる。

その黒曜の瞳を覗き込む。その瞳が此方へと向かう。
言葉にならぬその声が、目の前の紅い唇を震わせる。

ソンジン。

何故だ。何故思うのだ。何故心が、これ程叫ぶのだ。
見つけた。ようやく見つけた。何故今迄気付かずに。

そんなはずがない。そんなはずはない。有り得ない。
「・・・満足か」

震えを無理に押さえ、漸くそれだけ咽喉から絞り出す。
頷くソヨンから眸を背け、深い息で躰の震えを止める。

そんなはずがない。今迄お前を探していたなど。
此処に辿り着いたのは、それが理由だったなど。

「ソンジン」
「何だ」
ソヨンはふと、困ったように笑む。
「脈が乱れてる。動脈。触れられて厭だった?驚いた?」

あの時、劉先生がウンスに教えていた。
俺が劉先生の言葉を伝えたのだ、よく覚えている。
今の俺の脈は動脈。短く滑らか、豆のような丸さ。
脈がこのように変わるのは、何かに驚いた時だと。

何かに驚いた時だと。当然だ、驚きもするだろう。
立ち尽くす俺に向けソヨンは首を傾けて、此方を見つめる。
「ありがとう」

そして脈を読んでいた指が、静かに解かれる。

俺はあの時お前の背を押した。愛しい男の許へ行けと。
此処とよく似た庵の庭で、お前と最後に月を見た。
此度こそは離さない。諦めの良い振りなどしない。

お前とではない。お前とではなく、全てを新しく。
「・・・始めてみるか」

意味が分からぬと言った顔で、此方を見上げる黒い目。
真に生きたい場所で。真に見つめたいその目と。
帰れず残ろうとも、悔いは無いと思える者と共に。

そしていつかお前の影がただ懐かしさと愛おしさだけ残し、滲んで消えた時には。

ソヨン、その時には目の前のお前を堂々と、必ず強く抱き締める。
早起きの蝉が啼き出す前に。

 

 

【 夏暁 | 2015 summer request Finale ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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9 件のコメント

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    いつもさらんさんの小説の更新を楽しみにしています。
    それから読むばかりでコメントも残せずすみませんm(_ _)m
    さらんさんの小説大好きです。
    ソンジンとソヨンの関係、思いもどんどん変化していき改めて深い小説だなと感じました。
    素敵な小説をいつもありがとうございます。

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    ソンジン、やっとやっとソヨンが自分のあの人だって気付きましたね!
    気付くのだいぶん遅いけど(^_^;)
    それだけ、ウンスのファーストインパクトが強かったのかな。
    思い込んだら一筋って感じですからね。
    ソンジンとソヨンが、これからどんな風にその距離を縮めていくのか。
    ソンジンが自分に向くことはないと思っているソヨンなのに、ソンジンが自分に向き始めたと気付いたらどんな反応をするんでしょう。
    うれしく思うのかな。疑うのかな。怒ったりもするかも。
    続きがぜひとも読みたいけど、続きの掲載予定、あるのかなぁ。
    さらんさん、続きお願いしますっっ(^w^)

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    今までの…過去のお話の中のソンジンを思いながら読みました。
    あの時のウンスの言葉だけを頼りに天門をくぐったソンジン。
    ウンスの言葉の意味が、やっと伝わったのかな。
    涙が落ちました。

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    ソンジン,多分このままソヨンと幸せになりそうな予感ですね♪
    良かったです。ソンジンのウンス(ソヨン)に出逢えて。
    彼はもうその事に気がついてますよね。
    リク話,どれも良かったですが,今回のお話は特にハラハラドキドキ秀逸な作品でした^^
    沢山のリク話,ありがとうございました。
    皆さんの膨大なリクから,こんな素敵なお話が出来るなんて,流石さらんさんですね(o^-')b
    今後,本編に戻られると思いますが,又楽しみにしています♪
    ヨンとウンスの一大イベント「婚儀」が待ってますもんね~
    急に寒くなったりしてますが,体調に気をつけて下さいね(^-^)ノ~~

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    夏暁
    コメは 最後にと決め
    ひたすら 読み続けておりました。
    もう、何だか切なくて…
    ソンジン そんなにしてまで ウンスに逢いたいの?
    もう 諦めようよ~!
    ソヨン… そんなソンジンを一途に思い 気持ちも表にださずに…
    まさかのタイミングで天門が… でも 選んだ道は
    残ること。
    ソヨンの姿を ウンスに重ね
    ウンスの姿が消えるまで もう少しかな~
    ジレジレの せつなさも…
    暁ね。 もうすぐ 夜が明けるのね (゚ーÅ) 
    夏リク お疲れ様でした。
    たくさん、たくさん 素敵なお話し
    ありがとうございました。
    また 本編 楽しみにしております。

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    「夏暁」は切なくて何度も涙しました。
    毎回先が気になって、どうなるの?何が起こるの?とハラハラしながら更新を待ちました。
    終わっちゃうのは寂しいけど、素敵な最終話に感動です(p_-)
    最後はソンジン気付いてくれて良かった。
    きっとソヨンと幸せになれますね。
    さらんさん、お疲れ様でした。ありがとうございました。

  • SECRET: 0
    PASS:
    切なくて、うるうるしながら読み終わりました。
    ソンジンもソヨンも後は幸せになるだけ !
    本当に素敵なお話の数々をありがとうございました(*^_^*)
    次は、、、ヨン!更新を楽しみに待っています<3

  • SECRET: 0
    PASS:
    さらんさん(*^o^*)
    「チケット代はどこでお支払いすれば?」とお聞きしたくなるくらい、壮大で見ごたえのある映画を拝見したような気分で、最終話を読み終えました❤。
    男女が簡単にくっついたり離れたり…を繰り返すのが珍しくもない現代と異なり、武人のソンジンと医女のソヨンの距離は、この先も急速に変わることは無いかもしれません。
    むしろ、互いに相手のことを思いやるあまりに、自分の意思は抑えてしまうかも…。
    でも、その切なさやもどかしさを積み重ねた後には、きっと誰にも真似のできない、二人だけの尊い絆ができているのだと思います。
    それが詠雪之才のさらんさんが私たちに贈って下さった、素敵な余韻であり、先への楽しみや希望でもあり…❤
    それにしても、驚くべき素晴らしい夏リクエスト話の数々…。
    ありがとうございます…だけでは、感謝の気持ちが足りないくらいですが、それでも愛を込めて、改めてお伝えさせてください。
    毎日、毎日、本当にありがとうございました❤

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    PASS:
    さらんさん、夏リクお疲れさまでした!
    とてもとても。楽しませていただきました。
    夏暁・・・夏リクの締めくくりに相応しい、素敵なお話でした。
    ソヨンの想いが実を結んでくれそうで、幸せな気持ちになりました。
    気づいてくれて良かった、ソンジン❤
    自分への縛りと痩せ我慢する姿は、本家、さらんさん家のヨンにも負けてないほどの、不器用すぎる愛すべき武人でしたね。ソンジンらしくて、とても良かったです!すごく納得しちゃいました、イロイロな面で。
    人はきっと誰でも、大切な誰かに誇れる生き方をしなければ・・・と思って生きているのではないでしょうか。私にも常に意識する大切な人がいます。亡くした義父(主人の父)ですが・・・。
    大切なお祖父様を亡くされたさらんさんが、それでもお話を書いてくださったことに感謝しつつ、ふと、そんなことを思ったりしました。
    的外れなコメントかな・・・とも思いましたが。一言お礼も兼ねて。
    本編再開も楽しみにしています。
    夏リク、本当にありがとうございました!

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