金剛鈴【中篇・弐】 | 2015 summer request・風鈴

 

 

「チュンソク!」
玉砂利の上を駆けて来る姿を、愛おしいと思う。
「どうしていたの、大丈夫か」
息を弾ませて俺を見上げる瞳を、大切だと思う。
「ずっと逢いたかった」
そう言う明るい笑顔を、ずっと守りたいと思う。

「きちんと寝ていたか?食事は済んだか?何か作らせようか」
尋ねながら己に回される腕を、掴んでしまえば。掴んでしまえば後戻りが出来ない気がするのだ。
そのまま離せなくなってしまう気が。

これ程に身分も、齢も、立場も違うこの方だ。
それならば兄のよう一歩離れて見守る方が良いのではないか。
俺の事を思って下さるからこそ、それが最善なのではないか。
俺を好いていると思う事すら、若さ故の気の迷いではないか。
あの時の覚悟を見ても、この方の想いを知っても。いや、知ったからこそ、踏み込むことに躊躇する。
あの時とて医仙にあれ程言われたものを。

臆病だと思う、チュンソク隊長は。

そうだ、俺は臆病だ。

欲しいものを我慢しするのが大人だなんて思い違い。

俺とて判っている。何が欲しいか何が大切か判っている。それがたとえあの頃の大護軍とは違うやり方だとしても。

我慢しているのとは違う。この方が傷つくのが怖い。ただでさえ身分を擲った方が、これ以上傷つくのは怖い。
それでも。
「キョンヒ様」
この一声でまるで雲間から射した光を受けたように、その瞳が明るく輝くのを見るだけで、堪らない気持ちになるのだ。
愛おしさと、申し訳なさと、怖さと、独占したいという慾と。

「大切な話が」
「・・・良い話、厭な話?」
どうなのだろう。良い話か、厭な話なのか。しかし少なくとも
「自分にとっては、良い話です」
「それなら聞く」
キョンヒ様はそう言ってやはり明るく笑まれるのだ。
「チュンソクが嬉しいなら、それだけで良い」

 

*****

 

キョンヒ様のお部屋の中、卓を挟んで差し向う。
この小さな卓が挟まるだけで、まるで鴨緑江の入り江を挟んで右左岸に立つほどに、遠く感じるのは何故なのだろう。
卓一つでこれ程遠いから、これからはこの距離を埋めたいのだ。
「ずっと、考えていました」
「・・・うん」
「キョンヒ様の事を」
「そうなのか!」

途端に嬉しそうな声を上げ、慌てて小さな手がその口を抑える。
「・・・済まない」
「キョンヒ様」
そうだ、俺にはまだ分からない事が多すぎる。だから小さい卓の向かい、この方の口を抑えた手に指を触れる。

「チュンソク?」
「厭ではないですか」
「・・・え」
触れたままで問うてみる。この方の肚を読むなど、慣れていないのだ。
そのままその小さな手を握る。握って、口元から離す。
「厭ではないですか」
「チュンソク」

握った手を卓に預けたまま下ろしていた腰を上げ、膝で立つと卓越しのキョンヒ様を、ほんの少しだけこの胸に寄せる。
「厭では、ないのですか」
「・・・・・・」

返らなくなった声が不安で、引き寄せた腕の中、キョンヒ様を見下ろして息を呑む。
腕の中から此方を見上げるその目が、なみなみと涙を湛えているから。

驚かれたか、不快だったか。
固唾を飲み次に謝罪の言葉を掛けようと口を開く寸前に、腕の中のキョンヒ様が小さく呟いた。
「信じられない」

その声と共に、溜まった瞳の涙が一粒落ちる。
「チュンソクから、初めて触れてくれた」
「いや、そんなはずは」

幾度も触れた気がする。柔らかく小さな体に。典医寺で抱き締めた。最後の抱擁だとしても構わんと。
そうして思い出し、気付くのだ。

そうだ。いつもいつも手を伸ばして下さったのはこの方だった。
その柔らかい腕の中に俺の居場所を作って下さったのは。
俺の体にいつもいつも、腕を回して下さったのはこの方だった。
俺はただその中に納まって、安堵の息を吐くだけだった。

この腕は何の為にある。敵の胸倉を掴み、引き摺り回す為だけか。
この目は何を見てきた。大切な方を見ず、周りを気にするだけか。
齢だけを重ねて大切な方一人、満足に抱き締めてやる事も出来ず。
大切な方が本当に何を欲しがっておられるか、見極める事も無く。

やはり俺はどうしようもない阿呆だったらしい。
「いきなり婿、と言うのは、さすがに困ります」
「・・・うん」
キョンヒ様が泣き笑いで頷いた。
「ですがこうして少しずつ、慣れて下さい」
「・・・うん」
「こうするたびに泣かれては、困ってしまいます」
「・・・泣かない。チュンソクが困るのは、困る」

そうおっしゃりながら小さな手で懸命に目を擦るこの方を、いつの日にか本当に娶るとなれば。
もし本当にそれが許されるのならば。
「厭では、ないのですね」
「とっても嬉しい」
上気した頬で嬉し気にそうおっしゃるこの方とこの先共に、本当に共に居られるのであれば。
真にその夢を実現できるのならば。

「ご挨拶を、せねばなりません」
「え?」
「儀賓大監と、翁主様に」
「本当に?」
「痩せても枯れても迂達赤隊長です。いつまでも盗人のように御二人の目を盗んで、御自宅にお邪魔するわけにはいきません」
「待ってて!!」

そう言って、腕の中から勢い良く抜け出たキョンヒ様が叫ぶ。
「父上と母上にお伝えしてくるからから、待ってて!!」
「キョ、ンヒ様!!」

何も今、今日すぐにでなくとも。改めて後日。
お伝えする前に小さなけたたましい足音は、部屋を飛び出し廊下を駆けて行く。
「お待ちください、姫様!!」

続くハナ殿の呼び声が小さくなっていくのを聞きながら、取り残された部屋の中、俺は独り頭を抱えた。

 

 

 

 

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2 件のコメント

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    おはようございます。
    スマホから見たら文字化けみたいになってたり、画像がある所がそのまま文字で表されてます。
    あ、これ見たら消していいので

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    さらんさん、可愛いキョンヒ姫の明るいお話をありがとうございます。
    相手への思いのみを大事に、ただただ一途に走れるキョンヒ様が、羨ましいです。
    天邪鬼で気にし屋の私にとっては、ハードルが高く…σ(^_^;)。
    キョンヒ様、いい「物件」に目を付けましたね。
    真面目で思いやりのあふれるチュンソクなら、絶対に大事にしてくれますからね❤︎
    さらんさん、昨日からの曇り空が一転、今日は暑い日になりましたね。
    熱中症に気をつけてくださいね。

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