蟷螂【前篇】 | 2015 summer request・草刈り

 

 

【 蟷螂 】

 

「ヨンア?」
私の声に、窓際から穏やかな黒い瞳が戻って来る。
「はい」

典医寺の私の部屋で窓際に置いた椅子に腰掛けて、行儀悪く窓枠に長い足を上げて、本を読んでるあなた。
私の呼んだ小さな声にすぐにこっちを向いてくれるあなた。そんなにあなたにじっと見られるとすごく聞きづらい。
「あの、あのね」
「はい」

うろうろ惑う私の視線に、あなたの声も瞳も不思議そうに曇る。
「・・・如何しました」
興味本位で、聞いていいことじゃないかも。
もしかしたら、あなたを傷つけちゃうかも。
ああ、でも。でも聞きたいの、どうしても。

「ヨンアにね、聞きたいことがあるの」
「・・・はい」
この方の言い淀む声に不安が募る。何なのだ、何を聞きたいのだ。
普段であれば此方の肝が縮み上がるほど無茶な事をする方が、何をこれほど遠慮がちに惑う。
「何ですか」

俺の声にこの方は言い辛そうに、首を傾げてそっと訊いた。
「実はね、ちょっと小耳にはさんじゃって」
「小耳に、何を」
「あなたの噂話を」
「・・・俺の」

噂話。全く皇宮の噂雀どもにはうんざりだ。
有る事無い事を陰で囁くなら、有る事の分は許す。
無い事無い事を噂した挙句、回り回る頃にはその嘘の噂が有る事有る事になっている。
その騙しの手練手管にだけは、畏れ入るというものだ。

「何を聞かれたのです」
俺のうんざりとした声に、この方は痞えながらようやく言った。
「あなたが、すっごい、技を・・・使うって」
その声に眉が寄る。凄い技。技とは一体何の事だ。
「技?ううん、何だっけ、雷?」

この方の声に気が抜けて、俺は首を振る。
「イムジャ、今さ・・・」

今更、何を。そこまで言って思い出す。
雷功を使う己の姿は最初に天界で一度見せたきり、その後はこの方の前では遣っておらぬ事を。

この方を攫った奇轍邸へ踏み込んだ時。
腹の傷さえ十分に癒えぬ中で俺が内功を遣った折、この方は邸の中に閉じ込められていた。
慶昌君媽媽の亡くなった江華島の一件。
あの屋敷で雷功を放とうとした折この方は奇轍の汚れた手に堕ち、俺は官軍に包囲された。

奇轍との深夜の正面衝突。
互いの刀越しに雷功と氷功がぶつかった折、この方は俺を止めるため懸命に駆けている最中だった。

戻って来たこの方を抱いて敵へ雷功を落した折、落馬したこの方は腕の中で気を失ったままだった。
そして紅巾族を退けた鴨緑江。あの戦の折、この方は俺の横にはいなかった。

「覚えていらっしゃいませんか」
「何を?」
「・・・・・・イムジャを、天界より攫う折」
口に出す度、心は痛む。全て己の仕出かした事とはいえ。
「COEXで?」
そう返すこの方の声に、暗さは不思議な程に微塵もない。

「透き通る大きな板をぶち割りました。あれが雷功です」
「覚えてる、ような。ガラスが割れたのは、もちろん覚えてる。荷物みたいに担がれたのもね。
でも何しろ、あの時はいろいろとあったじゃない?一大スペクタクルだもの。細かいとこまでは・・・」

この方は楽しそうに天界の言葉で言うと、俺に向けて小首を傾げた。
「じゃあ、あなたが雷を使うって言うのは本当なの?それで?
他に誰か、そんな技を使えるひとはいるの?」
「・・・おります」

渋々頷くあなたに、私は今までを思い出してみる。
最初に思い出すのはキチョル。丘の上であなたを凍らせたあの男。
飢えて空っぽの自分の黒い心に負けた可哀想な男。
「ねえ、もしかして」
「はい」
「キチョルや、キチョルの周りりって、みんなそんな人たちだった?」
「おっしゃる通りです。奇轍は氷を、火女は火を、笛男は音を」

あなたの声で思い出す。あのX-WOMANはやたらと手榴弾みたいなものを爆発させてたし。
それにキチョルの屋敷で見たあの男の人の笛。並べた壺を笛の音で粉々に吹き飛ばしてた。
迂達赤のみんなと一緒に、あの笛の音で耳が痛くなった事も。
一定以上の高周波で振動を与えればグラスくらいは簡単に割れるし、あれはそういう科学的な根拠があると思ってたけど。

「そうだったの。じゃあ今はもうそんな力があるのは、あなただけ?」
私の声に小さく首を傾げて、あなたは曖昧に首を振った。
「俺が知る限り、少なくとももう一人はおります」
「誰?」
問い掛けに息を吐くと、あなたは小さく言った。
「・・・・・・ヒドです」
「ヒドさん?」

挙がった意外な名に驚くように、この方が目を丸くする。
「そうなの?」
「・・・はい」
俺は顎だけで小さく頷いた。

ヒドにとっての内功、あの風功は祝福で呪いだ。
斬る事しか知らぬ男。人を斬り、その瞬間にのみ己の生を感じて来た男。
赤月隊が終わった後、再び逢うまでどんな生き方をしてきたか、互いに聞かなくとも分かる。

雷功とは違うあの風功は、俺の手の震えとは違う傷をヒドに負わせてきたはずだ。
軽々しく口には出せぬ、迂闊には訊けぬ傷を。
訊かれても答えたくも、答えようもない傷を。
俺が凍っていたように、ヒドにとっても長く昏い途だったろう。

「どんな技なの?」
天真爛漫に問うこの方には分からない。それで良い。それが良い。
この方までそれに心を痛め、他人の見えぬ傷に怯えるのは真平だ。
「・・・斬ります」
「切るの?鬼剣みたいに?」
「俺の剣とは違います」
「じゃあ、どうやって」
「・・・手というか、風というか」
「何でも切れる?」
「たいがいのものは斬れましょう」
「あなたのは、雷功って言ったわよね?」
「はい」
「じゃあ、ヒドさんは?」
「・・・・・・鎌鼬のようなものです」

この方は不思議そうに頷くと、やがて小さな手をぽんと打った。
「ヨンア、ヒドさんと会いたいの。出来れば、ここで」
「此処、とは、典医寺ですか」

晴れ晴れとした顔で俺の問いに頷いて、この方は明るく笑んだ。
「そう。良ければ、連れて来てもらえないかしら。ヒドさんを」

ヨンと並び、あの女人の待つ治療場とかいうところへ向かいつつ、何度目になるか判らぬ息を吐く。
その息の終わるのを見計らうように、横のヨンがぼそりと呟いた。
「俺にも判らん」
「お主に判らずに誰が分かる」
「あの方は読めん」
「豪い女人と縁付いたものだ」

だいたい俺は何故ヨンに連れられるがままに、このだだ広い皇宮をその治療場とやらへ向かわされておるのだ。
断れば良いものを。俺には関わりないと切り捨てる事も出来るものを。

いくらお前の女房になるからと、俺が係る理由などない。
俺はいつからこれ程、甘い男になったのだ。
お前の生き死にに関わる事ならまだしも、赤の他人のあの女人に。
女人がこやつに尽くす力の僅かでも、助けてやろうかと思うなど。

お笑い草だ。俺が誰かを助けようなどと。

「俺は」
「あそこだ、ヒド」
何か言おうとする前に隣のヨンが腕を上げ、途の先を指し示す。
その大きな構えの門に、俺はもう一度息を吐いた。

「ヒドさん、いらっしゃい!」
ヒドと共に診察棟の扉をくぐる。
待ち構えていたらしき小さな顔が、腰掛けていた椅子の上、喜びに笑みながら上がる。
「ヨンア、ありがとう。でもごめん、少しだけ2人で話してもいい?」
この方の思いもかけぬ頼みに、俺は眸を見開いた。

何を考えている、この女。ヨンを外して、俺と二人で話すだと。
話す事など互いにこれっぽっちもなかろうに。
「ヒドさん、図々しくてごめんなさい。でもちょっとだけ」
そう言って傾げた首に、俺は思い切り無言で息を吐いた。
さすがの己も気が抜けぬよう、丹田に思い切り力を込めて。

「では、表で待っております」
俺が憮然として唇の隙間からそう言うと、この方は嬉し気に笑み
「うん、すぐ終わるから」
そう言って幾度も頷いた。
いつもなら此処まで機嫌の悪い様子をあからさまにすれば、僅かばかりは逡巡し此方を気遣う様子を見せるものを。
本当に読めぬ。全くその肚の内が見えて来ぬ。
俺は無言で踵を返し、沓音も高く診察室の今来たばかりの扉を抜ける。

それ見たことか。
あの短気な男は何一つ変わっておらん。いや、俺とてそうなるだろう。
心底惚れて命を懸ける女が、兄弟とはいえ他の男と二人きりで話したいなど、無神経な事を言い出せば。
全く厄介な女と縁付いたな、ヨンア。
俺は首を振り、目の前の女人の気配を探る。
一体何を計じておるのか。
事と次第によっては、例えヨンの許嫁とはいえ許す訳にはいかん。
いや。許嫁だからこそ、あ奴の生きる理由の全てだからこそ赦せん。

「ヒドさん」
女人はヨンの背を見送りその背がすっかり消えてから、ようやく椅子を立った。
「お願いしたい事があるんです。あの人には秘密で。あの人の事だから、知ったらまた絶対に無理しちゃう。だから」
そこで無人の部屋の中をぐるりとその目で見渡すと
「ちょっとここじゃ。部屋まで来てもらえますか?」
返事も待たずに歩き出す女人に無言で引き摺られるよう、俺は後に従いた。

「切ってほしいものが、あるんです」
二人きりの部屋の中向かい合った卓で、女人はそう言って頭を下げた。

「何の事だ」
短い問いに女人は頭を伏せたまま、目だけを上げて俺を見た。
「ヒドさんは何でも切れるって、あの人が」
「・・・・・・斬ってほしい者があると」
「そうなんです。でもあの人は仕事で忙しいから無理させたくなくて」
「そんな事をさせるな」

そうだったか、そういう事か。ヨンには内密に斬りたい者があるか。
それならば得心が行く。俺で良ければ斬ろう。そうして生きてきた。
そしてこれからも変わらん。
あの弟の手を汚すくらいなら、既に汚れた俺の手をもう少し汚す方がどれ程ましか知れん。
「判った」
「いいんですか?」
「無論。で、何処だ」
「え?」
「その、斬りたい者」

女人は椅子から立ち上がる俺に目を投げ、驚いたように息を呑む。
「もうやってくれるんですか?」
「早い方が良かろう」
「だって」
「愚図愚図するな。何処だ」

女人は俺の声に、慌てて席を立った。

 

 

 

 

ヒドのエピソードで、
『草刈り』
当たるといいな。(にゃんこさま)

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