夏暁【 卅壱 】 | 2015 summer request Finale

 

 

馬鹿だ。
馬鹿だとは思っていたけれど、これ程とは思わなかった。

馬鹿だ。あんなに想い焦がれて慕い続けたウンスへと続く天門かもしれない、あの光を無視するなんて。
そして扉を開けて、王様の許へ戻って行くなんて。ただ自分の誓いを守る為だけに。

地面に座り込んだまま首を振り向けて、閉まる扉に消えるその背中を見つめ続ける。
扉が軋んで開く。吹き付ける強い風の中、その音が耳に響く。

そしてあの人の、伸びた真直ぐな背中が扉の内へと消える。
二度と振り返る事も、あの光を見る事も無く。

扉が軋んで閉じる。
その音が届いた瞬間、食い縛る唇から漏れそうな嗚咽を、どうにか堪える。
泣きたいのは、叫びたいのは私じゃない。
誰よりも泣きたいのは、叫びたいのはあの人だ。
あなたの分まで泣きたいなんて、私の思い上がり。
「医女様、痛みますか」
治療道具を詰め込んだ包みを運んでくれた邸の下働きの女が、歯を食い縛って涙を流す私に、驚いたようにそう訊いた。
「・・・うん」

私はその声に、こくんと頷いた。
「痛い。とても」
「大丈夫ですか、他に何か要りますか」
素直に頷いた私に慌ててそう言葉を重ねる女に、首を振る。
薬でも、治療でも、何をしてもこの痛みが治まらないのをよく知っているから。

 

*****

 

「王様」
俺の声に、王様となられた晋城大君媽媽が目を当てる。
「まずは表の者達が落ち着くまで、お待ちください」

北極宝殿の中で王様の前に立つと、正直に告げる。
この声にパク・ウォンジョンが、早速抗議の声を上げる。
「従事官、このような狭い場所で王様をお待たせするなど」
「王様の御命と暫しの不便。どちらが大切ですか」
「それは」
「兵が浮足立つ状況で夜中の道を宮中へ戻るのは危険です。
全ての者の顔を知るわけではない。守ると約束しきれません」
「連れてきた兵は、禁軍と内禁衛の精鋭だ。どの者も」
「安全ですか」

パク・ウォンジョン。お前の口から出任せなど飽き飽きだ。
「絶対に安全と、言い切れますか」
「それは!」
「己で確かめぬ以上誓えません。
王様に誓えぬ以上、確認が終わるまで移動はお待ち下さい。
夜が明けるまで」
「従事官!」

叫んだパク・ウォンジョンを制するように、王様は手を挙げる。
挙げられたその手に、パク・ウォンジョンが口を閉ざす。
「従事官」
「は」
「そなたに従おう。一度ならず、二度も守ってもらった」
王様はそう言うと、小首を傾げた。
「医女の具合はどうか」
「傷は浅いようです」
「宮中に戻ればすぐに、治療を受けさせよ」
「は」
「夜が明ければ移動しよう。従事官」

その声に眸で問いかける。
「守ってくれるか」
「王様」
「これからも、傍で守ってくれるか」
「王様」
俺は静かに首を振る。

拒絶と思われたか、王様が俺に愕然とした目を当てる。
「・・・臣下に問うなど、王様のされる事ではありません」
「ソンジン」
「お命じ下さい」
続けた声に、王様の強張った頬がようやく緩む。
「守れ」
僅かに緩んだ俺の眸を真直ぐ見つめ、王様が頷く。
「王命である」
「は」

天地の神に守られた殿の中。
その初めて発せられた王命に、俺は頭を下げた。

 

*****

 

気が付いて。

柔らかい白い夢の中、とても優しく哀しい声がする。

どうかお願い。

誰の声だろう。どうしてそんなに悲しそうなんだろう。

あの人を守って。
あなたのあの人を、私のあの人をどうか守って。

誰を守れと頼まれているんだろう。

あの人はとても時間がかかるの。遠回りばかりするの。
不器用ですぐに目を逸らそうとするから。

一体、誰の事を言ってるんだろう。

お願い、気が付いて。あの人を、どうか守って。

自分で見ている夢の筈。
なのにその優しい哀しい声はとても懐かしくて。

誰の声だろう。私はこの声を、とてもよく知っている。
白い夢の中、涙が出るほど懐かしい姿が、何度も過る。
全て同じ人のようで、でも全て違う人のようで。

黒い瞳が振り返る。息が止まる程恋しい、懐かしい眸が。
そしてその唇が、静かに動く。

イムジャ。

誰の声だろう。深くて穏やかで。
知らない筈なのに、私はその声をとてもよく知っている。

私はそこに手を伸ばす。私はここよ。ここにいる。
あなたを一人にしない。これからは絶対一人にしない。
待たせてごめん。待っててくれてありがとう。
逢いに行けなくてごめん。逢いに来てくれてありがとう。

イムジャ。

あなたが笑う。その笑顔に心からほっとして、でも悲しくて。
どうして気付いてくれないの。私はこんなに近くにいるのに。

どうかお願い。気が付いて。あなたの私が、ここにいる事。
その声で、私を呼んで。
「・・・ソヨン」

私を呼んで、どうか気付いて。
「ソヨン」

ねえ、私はここよ。あなたの私は、ここにいる。
「ソヨン、聞こえるか」

不安げな声に瞼を開くと、途端に眩しい光が射し込んで来る。

「・・・うん」
「魘されていた」
「・・・そうだった?」

とても良い夢を見たはずなのに。
思い出そうとするほど指の隙間を擦り抜けて行く。
その尻尾を捕まえようとするほど、遠ざかって霞んでいく。

とても懐かしい人にやっと出逢ったはずなのに。
涙が出る程逢いたかった人に逢えたはずなのに。
とても大切なあの声で私の名を呼んでくれたのに。

温かさと懐かしさと、恋しさと哀しさと。
逢いたい、聴きたい、もう一度だけでも。

呼んで。呼んで。私を見つけて。忘れないで。
そんな声だけが、漣のように胸に押し寄せる。

宮中の内医院、延べた床の枕元に座り込むソンジンに笑う。
まるで親とはぐれた小さな子みたいに、途方に暮れたような顔。
「未だに判らんのか」
「何が?」
「無理に笑うなと」
「無理なんてしてないわ」
「一晩中熱があった。傷のせいだろうと言われたが」

枕元に座り込んだあなたは、その大きな掌を私の額に乗せる。
「下がったようだな」
「丈夫なのが取り柄なの。医女が倒れる訳に行かないでしょ」
「斬られて倒れて、熱まで出してどこが丈夫だ。威張るな」

あなたが私の声に安心したように、小さく喉の奥で笑う。
「・・・さて」

そう言ってようやくほっとしたようにあなたが枕元で片膝を立て、私をそこから覗き込む。
「言ったが暫し慌ただしくなる。
大君媽媽・・・いや、王様はこのまま宮中へと移られる。当然、保母尚宮も共に戻るだろう。
これで俺達二人とも住処を失くしたな」

寧ろ愉快気に呟くあなたの声に、私はくくくと笑う。
「・・・何だ」
あなたが不思議そうな眸を、私へと向ける。
「住むとこなんて、何処でも良い」
「何?」
「屋根さえあって雨露が凌げれば」
「お前な」
「あんたは御営庁に寝泊まりできる兵舎があるんだし」
「俺の事はどうでも」
「私の事は気にしないで」
「そんなわけに行くか!」

低い怒鳴り声に、私は枕元のソンジンの顔を驚いて見つめた。
「何で怒るのよ」
「俺が連れて来た」
「だから何よ」
「俺の責だ。どうにかする」
「あんたね、自分勝手な事を言うのもたいがいにしてよ」
「何だと」
「そうじゃないの。俺が、俺がって」
「男なら当然だろう!女人の身では」
「男も女も無い。女にもできる事はたくさんある。
男が女を守りたいように、女だってそう思ってる」

私がそう言った時。ソンジンの黒い瞳が、大きく開いた。
「・・・・・・ソヨン」
「何よ、怖い顔して」
「お前」
「え?」
「今、何と言った」
「男も女も無い。女にもできる事はたくさんある。
男が女を守りたいように、女だってそう思ってる。だから何」
「お前、それを」

そう言ってソンジンは急に押し黙る。
「言いかけて止めないでよ、気になるでしょう!言ってよ、何よ」
問い詰めても頑として口を開かない。
「ねえ、何。何なの」
「・・・煩い女だ」
急に呟いて、ソンジンは脇に置いた刀を手に腰を上げる。

「行っちゃうの?」
「ああ」
大股で部屋を抜ける背を、布団の中から目で追いかける。
「・・・時間があれば」

最後に部屋の戸口で立ち止まり、此方を振り向かないままソンジンが背中越しに低く呟く。
「後で、また寄る」

仕方がない。そういう男だ。頑固で、意地っ張りで。
私は溜息をついて、布団の中からひらひらと手を振った。
「行ってらっしゃーい」

ソンジンがようやく、その声に振り向く。
そして布団の中から手を振る私をじっと見つめる。
泣き出しそうな顔で。あまりにも優しい眸で。

恥ずかしくて、でも振り始めた手を止められずに振り続ける。
「早く来てね、期待しないで待ってる」
「・・・煩い上に、一言多い」

部屋の戸を開け出て行く背に、私は笑んで手を振り続ける。

 

 

 

 

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3 件のコメント

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    さらんさん…。時が変わっても、姿かたちが変わっても、魂と魂は呼び合っているのですね。
    互いに運命の相手だと思い合うまでには、時間がかかるかもしれませんが、掛け替えの無いソンジンであり、ソヨンであり、誰よりも信じられる互いであることは間違い無きこと。
    幸せの形は人それぞれですが、どうかさらんさんのお力で、笑顔の多い将来にしてあげて頂けたら嬉しいです❤
    さらんさん、おやすみなさい❤(///∇//)

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    二人は、私のあなたであなたの私。
    でも、まだソンジンはソヨンじゃなくてウンスを見てる。
    気付いてソンジン!
    今回、ソヨンが斬られたことで、分かるかと思ったのに。
    ソヨンは、居て当たり前、想ってくれて当たり前じゃないんだぞ!
    少しづつ、ヨンとウンスにリンクしていく様子が、またキュンポイントです。
    続き、楽しみにしてます♪

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    さらんさん
    あぁ、ソヨンが生きてて良かった!
    そして、ソンジンがソヨンの中にウンスを見つけた時の気持ちを考えると、ドキドキしました!

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