連虹【後篇】 | 2015 summer request・二重虹

 

 

「ヨンア」
終の夏、雨の日が増え始めている。
降るたびに暑気を洗い流し、翌の晴れには空気が澄んでいく。

盛夏の頃の驟雨とは違う。絹糸のような銀の細く柔らかい雨。
その雨音を縫うように俺のこの方の声が、落ちる雨より細く静かに届く。

いつもは明るい声が沈んでいるのは、この銀雨の所為だけか。
「はい」
その声に隠れた息すら聞き漏らさぬよう、この両耳を欹てる。

「明日ね、徳興君の診察する」
言い辛い事を一息で吐き出し、この方は眉を下げて無理に笑む。
「約束、したから。言うって約束したから」
「ありがとうございます」

小さく顎を下げて伝えると、その眉が曇る。
「でもほんとに平気よ。ヨンアも忙しいんだし、私と他の皆で」
「参ります」
「だって」
「イムジャ」

俺の声にこの方が紅い唇を閉じる。
「徳興君は王族です。謀反人の王族の治療に迂達赤が付き添う。
何処もおかしなところはない」

言いながら己で腹を抱え、笑い出したいほどだ。
正しく何処にも齟齬がない。
徳興君。お前に自由など与えられることは、二度とない。
俺のこの方を毛の先程も傷つける機会は、二度と来ない。
今後この方がお前に寄る度、横には必ず俺が控えている。
万一妙な気を起こせば、斬り捨てた後に言い訳を考える。

そしてキム侍医。奴の翻意だけが一抹の不安だ。
どれ程の憎悪を、恨を抱えて来たかを知る故に。
腕だけを持って行った、その言の葉を信じたい。
信じたくともそれに足る信頼は互いに未だない。
俺以外の手で鼠を弑する事は、絶対に赦さない。

「ヨンア」
先程よりほんの少し明るさを増した柔らかい呼び声が、耳を震わせる。

眸を上げると同時に小さな白い手が頬にかかる。
雨で冷えた頬に、その手の温みが染み入るように広がる。
「私ね、あなたの歯並びも大好き」
「は」
覗き込む鳶色の瞳の中、銀雨を背景に己の姿が映る。
「歯並びも、好きなんだってば」
「・・・はい」

細い指が、引き結んだこの唇をゆっくりと割る。
「だからそんなに歯を食いしばっちゃダメ。歯並び悪くなる。
あー、って言ってみて」

割った唇の間から歯を確かめるように、この方が俺の口を笑いながら覗き込む。
「せーの、あー」
「あ」

渋々丸く口を開けると中を見て、この方は笑って頷いた。
「よくできました。思い出してね、あなたの歯並びも好きなの。
歯並び悪くなったら、キスしたくなくなるかも」

そう言って細い指が、この唇の戒めを解く。
きす、したくなくなる。
結局きすが何なのか、巴巽村で答は頂けなかった。
しかしこの方が誤りだと正さぬ限り、接吻で正しい筈だ。

それをしたくなくなるとは、婚儀前に酷な宣告だろう。
戸惑う俺にこの方は、真面目な顔で頷いた。
「困るでしょ?だったら、歯を食いしばっちゃダメ」

 

悪循環なのよ。
あなたの唇から指を離して、私は笑ってみせる。

ストレスから歯を食いしばる。歯並びが悪くなる。
咀嚼に影響が出る。消化が悪くなって、内臓に影響が出る。
ただでさえ過度なストレスを受けてる内臓のダメージは大きい。

この時代、審美歯科はもちろん歯科自体も治療技術は殆どない。
そこで歯が悪くなるイコール疾病に直結だもの。まずは予防よね。
手作りの歯磨き粉は使ってる。塩入りのぬるま湯でうがいもしてる。歯間ブラシの代わりに柳の楊枝も使ってる。
口腔の清浄環境は問題ない筈だから、あとは歯並び。

あんな男のせいであなたがストレス感じて、歯ぎしりするなんて。
あなたが心配してくれてる事は、イヤっていうほど分かる。
2回も毒を盛られた私を、黙って徳興君に近付けるわけない。
たとえどんなに大丈夫だって説明しても、聞いてくれない。

それならいっそ一回自分の目で確かめてもらった方がいい。
大丈夫なんだなって、心から納得してもらった方がいい。
今後毎回、徳興君のリハビリに付き合わせないためにも。

あんな馬鹿男に構って、あなたの大切な時間を無駄にするなんてゴメンだわ。
それなら見て、安心してゆっくりしてほしい。
ストレスフリーの人生って難しいわ。ましてこの人の環境じゃほんとに難しい。
だけど諦めたりしない。少しでも減らしたい。
あなたの心の重圧も、肩に乗っけた荷物も。

2人で分け合ったら少しは軽くなるかもしれないじゃない?
昔から言ったものね。楽しみは二倍に、悲しみは半分に。
そのために私がここにいるんだから少しは頼ってほしい。あとはストレスも半分に。

うーん。私自身がこの人のストレスにならないように、どうにか工夫しなくちゃね。
降り続く小雨の中、寒いって言ったら膝に抱っこしてくれるかしら。

「ヨンア」
小さく声を掛けると、その黒い瞳がこっちを向いた。
「ちょっと肌寒くない?」

私の声にふ、と息を吐いて、この人が両腕を広げた。
ほんとは私が膝に乗せて抱き締めたいけど、そんな事したら潰れちゃう。

 

 

 

 

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