糸遊【後篇】 | 2015 summer request・陽炎

 

 

あの女の医者は舎姉とは違う。
何を考えているのか、全て顔に出る女。そして誰が相手だろうと、決して嘘を吐かない女。

吐いたところでこの女に、それが隠せるとも思えない。今もこの屋敷にいるのは王命の為。
逆らえば舎兄が、王にもあのチェ・ヨンにも手を伸ばすと知っているからだ。

どれ程豪華な衣装を与え、どれ程豪奢な設えの部屋を与え、邸から出られぬだけで王妃より豪華な暮らしを与えられても、舎兄に心をやるとは決して言わない。

王妃だって、皇宮から自由に出られないのは同じだろう。それならこうしてここにいた方が余程良い暮らしが出来る。
一言だけ言えば良い。心をあげると。
それが本当か嘘なのか、そんな事は判りようがない。何れ飽きてばらばらに壊され、道端に投げ捨てられるまで。

それさえ言わずに、端から勝ち目の無い喧嘩を続けるなど愚かだ。
そんな愚かさが目に余る。

そしてこの女がそこまで庇うチェ・ヨン。邸に乗り込んで来た時、一度会い見えただけの男。
取り立てて強い内気を持っているとは思えない。あの程度、才のある餓鬼でも振るえる内功だ。

さすがに雷功遣いというのには驚きはしたが、それでも気は薄く途切れがちで、取り立ててどうという事はない。
頭は切れるかもしれないが、それだけなら舎兄の敵ではない。
奴の何があれ程に舎兄の気に障るのかも、俺には全く分からない。

この女が出て来てからというもの、全てが混乱している。この邸も、舎兄の計画も、そしてモビリョンの興味も。
良師の胸の悪くなるような計画や、虎の威を借るキ・ウォンの下らない声が、塞いだ耳から流れ込んで苛々する。

 

「腹を探る。ゆさぶりを掛けろ」

そしてそろそろ、舎兄の我慢も限界なのだろう。医者と供だって出掛けた皇宮から帰ってから数日。
俺を呼びだして怒りの籠る声で吐き捨てる舎兄に頷いた俺は、

あの女医の閉じ込められた豪奢な部屋へと向かう。

見せる物がひとつ。そして聞く事がひとつ。
嘘の吐けないあの素直な女なら、腹を読むまでも無いだろう。
女の部屋への道を歩みながら息を吐く。
何故、素直に人の言葉を信じないのだろう。人が嘘を吐くときには必ず声が変わるものだ。
隠そうとするほど巧妙な声音の裏に、必ず嘘が滲んでいるのに。

哀れだ。舎兄も舎姉も、良師もキ・ウォンも、そして俺自身も。
嘘で固められた屋敷に閉じ込められている、あの女だけが自由だ。
不満だらけで舎兄に到底勝ち目の無い喧嘩を吹っかけ、本当なら誰より哀れな筈なのに。
それなのに、あの女だけが柵なく自由だ。
本当の言葉しか言わないから。

女の部屋へ向かおうと横切る夏の庭。
余りの暑さに焦げた石畳の向こうに、陽炎が揺れている。

 

*****

 

「ユチョン、今日あの医仙に音功を見せたって?」

真夏の寝台の上は、何をしていても熱い。
窓を開け風を呼び込もうと、棕櫚の扇子で扇ごうと。
モビリョンがいる限り、俺の肌にこうして絡みつく限り、どうやっても熱さから逃れる事は出来ない。

鬱陶しさを装って、隙間なくぺったりと張り付く熱い体を、自分の上から乱暴にどかす。
そのまま寝台に転がったモビリョンを尻目に立ち上がり、部屋の隅の寝椅子へと歩き腰を下ろす。

「ああ。見せた」
他の女の話をしながら、お前を抱き締めたりしたくない。
お前は気にしないだろう、よく判ってる。
それでも俺は、お前が吐く毒は吐きたくない。お前に死なれたくはない。

「おまけに言ったらしいじゃない。助けろと言えば殺す、殺せと言えば助けるって」
「ああ。言った」
モビリョンが唇を歪めて、どうにか笑みを浮かべて見せる。
「それって、舎兄が言えって命じたの?」
「・・・」
「言われてないのに、逆らってまであの女に教えたの?」
「揺さぶれと言われた。舎兄の怖さを教えたまでだ」
「ふうん」

舎姉は寝台の脇の燭台に灯る蝋燭を、細い息で吹き消した。
「何するんだ」
「あんた、あの女が気に入ったの?」
暗闇からの子供じみた問い。
男を次々寝台に引き入れ、飽きると焼き殺す女とは思えない。
「・・・」

馬鹿な事を言い出したモビリョンに呆れ、返す声すら見失う。
「ユチョン」
「何だ」
「気に入ったの?」
「舎兄の玩具だ。手に入るまで機嫌を損ねたくはない」

その返答に寝台の上で低く笑いながら、絹の敷布を擦る小さな音がする。
月も射さない真暗闇の中、モビリョンが何をしているのかは此処から見えない。

それでも分かる。空気が揺れる。
あの赤い衣を肌から滑らせ床へと落とす音。 高く結った髪に挿した簪を抜く音。
そしてその髪を解く音。
髪が肩へと流れた瞬間、部屋の中にお前の纏う麝香が濃く漂う。

「あんたは音で判ってる」
楽しそうにモビリョンが、笑みを含んだ声で呟く。
「だけどあたしには見えるの。あんたのその銀色の髪がね。
どんなに小さな光でも、何処にいるかすぐ判る」

最後に一つだけ身に纏ったままの革手袋を滑らせる音。
そして闇の中で、まるで小さな焔のように紅くなる手。

次に灯ったのは、その火功で燃やした本物の蝋燭の焔。
焔に照らされるのは革手袋だけで、他は一糸纏わぬ体。

「来てよ、ユチョン」
俺の舎姉は嘘ばかり吐く。そして時々、真実を。
「一人じゃ淋しい」
俺が吐くのは溜息と嘘だけだ。こいつみたいに毒は吐けない。

熱い夜が終わるのは、ようやく焔を鎮め終えたモビリョンが深い眠りにつく刻。

白々と明けていく窓の外を見詰める俺の目に映る糸遊。
真夏の今頃見えるなど、随分珍しい。
音功で殺し損ねた蜘蛛が逃げたのか。

頭を支えていた腕の枕を解き、胸に擦り寄り深い寝息を立てる小さな頭を絹の枕へ移す。
それでも寝息の調子が変わらないのを確かめ、そっと寝台を降りて窓へ寄る。

真夏の五更、ようやく白む空気に揺らされる儚い糸。
指で巻き取り、窓の外へと打ち捨てる。
何時切れるかも判らない、儚い糸にぶら下がるなど厄介だ。
いっそこうして断ち切れば、どれだけ清々する事か。

俺の音功から生き延びた強運があるなら、遠くへ逃げろ。
俺の大笒の音色など、二度と届かない遠くまで。
俺の分まで。絡新婦に巻きつかれ、逃げられない俺の分まで。

 

 

【 糸遊 | 2015 summer request・陽炎  ~ Fin ~ 】

 

 

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