除虫菊【前篇】 | 2015 summer request・蚊取り線香

 

 

【 除虫菊 】

 

 

「ねえ、チャン先生?」
「はい」
御顔の前を手で扇ぎつつ、医仙が診察室へと入って来られる。

「何かものすごーく、けむいんだけど」
「除草菊の香を焚き締めました。暫し御辛抱ください」

私が頭を下げると医仙は軽く咳込みながら
「私はいいけど・・・気管支系の患者にはこの煙、却って咽喉や鼻に良くないかもよ?」
そう言ってまだ煙が残る診察室を見渡した。

「確かにおっしゃる通りなのですが、この暑さでは部屋を閉め切る訳にも参りません。
虫刺されで感染する病の方が恐ろしいので」
「なるほどね。じゃあ、蚊帳じゃ駄目なの?」
「蚊帳では中に寝ている病人は守れますが、室内の医官や薬員を守れませんので」
「うーん・・・」

医仙は私の言葉で目を泳がせ、部屋の中から開け放った戸や窓に順々に確かめる。
そしてふと
「私の部屋も、そうなんだけど」
そう言って開け放った窓へと歩いて行かれる。
「ねえ、蚊帳はあるのよね?今の時代でも」
「ええ、ございます」

寝台の上に巡らせた天井の梁に鉄輪を掛け、床まで広く覆えるよう、特別に長く作らせた蚊帳があるにはある。
「でも病人が蚊帳の中にいたら、顔色もよく見えないでしょう。
呼吸音とか聞こえにくくならない?急変の時、却って邪魔じゃない?」
「おっしゃる通りです」

医仙のおっしゃることは、悉く私たちの悩みでもある。
それどころか灸を据えるときなど万一の引火を考えると、結局はほとんど上げたままになり、蚊帳の役目を成さない。
まして室内の医官や薬員を考えれば、結局は香を焚くか、蚊遣火を燃やす事になる。
しかし香ならまだしも、蚊遣火では年中火鉢を焚くことにもなる。
ただでさえ暑いこの時期、部屋の中で火鉢を燃しては、良くなる病も悪化することがある。

結局は診察の始まる前にこうして強く除虫菊の香を焚き、その後は緩やかに燃え尽きるに任せるのが実情だ。

「で、医仙の御部屋が何か。医仙も蚊帳を御所望ですか」
私の問いに医仙は首を振った。
「ううん、蚊帳じゃなくて」
「では除虫香ですか」
「ううん、それでもなくて」
医仙は首を振ると、開け放った窓をじっと眺める。
「ねえ先生。ここに使えなくなった蚊帳ってないの?」
「ございます」

使っているうちに破れたり穴が開いてしまえば、吊るす意味も無くなる。ただの邪魔な長い布だ。
目の粗い麻で拵える蚊帳は、火にも弱い。そのようにして駄目になった蚊帳の残骸が山ほどある。
私が頷くと、医仙の目が輝く。
「それ、見せてくれない?」
「・・・無論、構いませんが」

上がった嬉し気な声に私は答えた。破れた蚊帳をご覧になって、一体何をするおつもりか。
隊長も気苦労が絶えぬ事だろう。このお考えの読めぬ方と四六時中、共にいらっしゃれば。

御気の毒にと思う反面、あの隊長が振り回されつつ、少しずつ増えて行く笑顔を知る私としては複雑な心境だ。
しかし可笑しいと正直に言えばあの方はまた臍を曲げ、むっつりと口を閉ざされる事だろう。
そんな事にならぬには医仙にも隊長にも、何も言わぬに限る。

それだけを肝に銘じつつ、医仙の御声に曖昧に笑み、裏の物置から蚊帳を取って来ようと診察室の扉へと歩む。
自分の長い髪が揺れた拍子に其処から立ち上る除虫香の香りに、苦く笑みながら。

確かに煙い。

「こんな感じなのかあ。私の知ってるのとそう変わらないわ」
「天界にも蚊帳があるのですか」
「うん。私たちの世代はあんまり使わないけど、ハルモニの家にあったの。田舎の農家だったからかもしれないけどね」

奥の物置から取り出して来た蚊帳を指先で触れながら、医仙はご満足そうに頷いた。
「先生がさっき言ってたじゃない?香を焚くのは戸や窓を閉め切る事も出来ないし、蚊帳じゃ医官や薬員を守れないからって」
「おっしゃる通りです」

医仙の声に私は頷いた。
「だったら、何で窓を網戸にしないの?」
「は?」
「何で、窓に網を張らないの?」
「・・・窓には、硝子が張ってあるので」
典医寺の窓は、高価な硝子をほとんどの窓に張っている。
それを敢えて外すなど、私の一存で決められることではない。

「あ、ううん、違う違う。ガラスを外せって事じゃないの。
二重に・・・うーんと、硝子を張った窓の外側に網戸を取り付けて、夏の間はガラス窓だけ開ければ・・・」

医仙のおっしゃることがよく判らない。
私が首を傾げると痺れを切らしたように、医仙が卓の上の紙をお手元に引き寄せ、筆を握られる。

「これが、ガラス窓。で、この内側に、もう1つ窓を嵌めるの。
その窓は硝子じゃなくて、網を張るのよ。この使えなくなった蚊帳でいい。
使えるとこだけ切り取って、内側からテンションかけてピーンと張って、周りは・・・何で固定しようかな・・・」

一人で呟きながら医仙が何か書き止める、そのお手許を覗き込む。
成程、硝子窓の他にもう一つ窓を作るとは、考えてもみなかった。
「天界では、そのように窓を二重にするのですか」
「うん。窓がサッシだったり、気密性が高まってるから楽なの。典医寺でもわざわざ蚊帳を吊るすより、網戸にしちゃえばいいのよ」

実に面白いお考えだ。これは一考の価値がある。
医仙のお書きになった絵を拝見しながら、私は幾度も頷いた。

 

 

 

 

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